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倉方健作「にわとり語学書クロニクル」

第10回 手紙・Eメール

 大学進学後しばらくしてEメールの爆発的な普及に遭遇するまで、私の世代は電話全盛の世を生きていた。10代半ばで読んだ本には、人生で手紙を書く機会などごく限られている、チャンスがあればすかさずラブレターを書け!とあったものだが。まさか日に何通も、ときにはフランス語で手紙(メール)を書くような日が来るとは思ってもみなかった。それだけに、関連する語学書にはいまでもずいぶんと助けられている。

 白水社が 1926 年に刊行した増田俊雄『仏文手紙の書き方』は、日本で最初の、日本人による仏文手紙指南の語学書である。まず冒頭では「仏蘭西語の手紙に関する注意」が述べられる。著者によれば、日本の手紙の特徴は時候の挨拶や虚字虚礼に類する前置きを長々と書いてから本題に入り、結尾は「草々」「頓首」「敬具」と比較的簡単に終わる点にある。それに対してフランスの手紙は、前置きはほとんどなく一挙に本題に入り、その代わり結尾に数語を費やして親愛の情なり敬意なりを表する。「一体西洋人の頭は理論的に出来て居るが就中(なかんづく)仏蘭西人の頭は然りであつて無駄な文句を手紙の中に列べる如きは彼等の排斥するところである」。同じ「手紙」と言っても根本的に様態が違う、というわけである。そのため『仏文手紙の書き方』は、封筒や紙の選び方、折り方にはじまり、100 以上のさまざまなシチュエーションに応じた文例を紹介している。フランスの手紙文化を包括して紹介した最初の書物と言ってもいいだろう。なお、巻末には名刺 carte de visite の使い方も説明されている。「名刺の使命は主として自己紹介用や訪問用等であるが其の他手紙等の代りに略儀に使用せられることがある。之は余り奨励すべきことではないが行はれて居る主なる場合を次に紹介する」。祝い事には右下に P.F. (Pour féliciter の略)、転居等の際には P.P.C. (Pour prendre congé)、ほか哀悼で P. C. (Pour condoléance)、感謝でP. R. (Pour remercier)と書き、直接訪問する時間のないときに送付する。また訪問先の人が不在の際には「名刺の上部右端を少し内側に折曲げて残し置く習慣がある」とも教えられた。

 『仏文手紙の書き方』は戦時中の 1943 年 8 月に 7 版、戦後の 1948 年に 8 版と絶え間なく読まれ続け、1958 年の 13 版ののち、1961 年に『フランス語手紙の書き方』に改訂された。構成はほぼそのまま踏襲されたが(名刺の使い方もそのままである)、多少日本語訳は柔らかくなっている。フランス語の文章が同一であるのに、「新年の御慶申述べ併せて貴下の万福を祈ります」が「新年のお喜びを申し述べ、あわせてあなたのご多幸を祈ります」に更新されているのを目にすると、日本語の手紙文のほうがよほど時代の変化を受けたことがわかる。そのほか、同じ人名の肩書きが「東京市歩兵第二連隊付陸軍大尉」から「東京都運輸省技官」になるなど、細部が戦後仕様になっているのは面白いが、首を傾げたくなる箇所もある。旧版では「天長節祝日に際し祝賀を受くる旨を公文にて通知する場合」という例文があり(これ自体ずいぶんと限られた用途だが)、神奈川県知事が横浜市のフランス領事に、県庁に来てもらえるよう書き送っている。これが新版では「天皇誕生日に際し祝賀を受ける旨を公文で通知する」となっているのだが、天皇誕生日に県庁で公式祝賀会が開かれるなど、戦後の日本でありえたのだろうか。そもそも横浜のフランス領事館邸も 1947 年に焼失している。これらの例文は、いまならさしずめ校閲の出番といったところだろう。

 戦前の匂いを残した『フランス語手紙の書き方』は、1980 年代まで版を重ねた。実はその間、白水社からは類書がひとつもあらわれなかった。商業文に特化した語学書には尾上貞五郎『仏蘭西商業文解説』(1933)、目黒三郎『仏蘭西商業通信文範』(1943)があり、それぞれ戦後にも改訂版が刊行されていた。だが手紙全般を扱った語学書は、市川慎一『フランス語の手紙』(1982)の登場を待たねばならなかったのである。同書は刊行から 30 年以上を経て、いまもなお現役である。手紙を書く状況や文体は実際に即しており、章立ても「初めて出す手紙・文通」「祝う」「知らせる」「誘う・招く」など動機別で、使い勝手は非常に良い。その後、高山晶、エマニュエル・ボダン『フランス語 手紙の12か月』(1997)、田中幸子、イザベル・フォルテット『Eメールのフランス語』(2008)も刊行された。どちらも 10 年を待たずに「改訂版」「増補版」へと更新されているあたりは、「手紙」「Eメール」をめぐる目まぐるしい状況の変化を反映している。ちなみに商業文のほうも、2009 年に横田納『貿易実務のフランス語 Eメール実例集』が出て、「手紙」はすっかり「Eメール」にその地位を譲った観がある。


『フランス語の手紙』


 私自身は、言ってみれば手紙文化の谷間にあたら青年期を過ごした最後の世代にあたる。物心ついた頃から E メールを書いてきた人々は、ヴォルテールの書簡集を見ても気圧されることなく、ふん、80 年も生きてこんなものか、と思うのかもしれない──などと考えていたのだが、時代はさらに変化している。SNS に慣れきった若者からすれば、「件名」などというものを付けなければいけない E メールは億劫で、時代遅れにも見えるらしい。もしそうであれば、便せんに手書きで、などというのは、ほとんど巻紙に毛筆で、と言われるのと同じような気持ちだろう。語学書の出番がますます増える道理である。

◇初出=『ふらんす』2017年1月号

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著者略歴

  1. 倉方健作(くらかた・けんさく)

    東京理科大学他講師。19世紀仏文学。著書『カリカチュアでよむ19世紀末フランス人物事典』(共著)

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