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倉方健作「にわとり語学書クロニクル」

第7回 会話

 とあるイギリスのタバコ店に、ひとりのハンガリー人が入ってくる。タバコが買いたいようだが、彼が旅行会話書を見ながら口にするフレーズは「私はこのレコードを買わないでしょう、これには傷があります」だの「私のホバークラフトはウナギで一杯です」だの、完全にデタラメである。だが本人は一向に気付かない……「会話書」の胡散臭さ、文例の不自然さを誇張したモンティ・パイソンの傑作スケッチは1970年に放送された。揶揄と不信の歴史はどこまで遡れるのだろうか。そして現在、それらは本当に払拭されたのだろうか。

 確かに、井上源次郎『井上ふらんす語 発音・単語・文法・会話・和訳・仏訳の基礎』(1933)のページを繰れば、半畳を入れたくなる気持ちもよくわかる。最初に出てくる会話の例は « Ai-je la rose ? » « Oui, monsieur, vous avez la rose. » と、不自然を通り越してほとんど超現実的であり、状況を思い浮かべることすら難しい。実は、この会話は日本オリジナルではない。「殊にM. Otto の著書から多くを得て居ります」と著者が断っているとおり、1864 年に刊行されたFrench Conversation Grammar という本の例文を引き写したものであった。ドイツ人著者によるこの本は、フランス語会話書の嚆矢として20 世紀前半まで広く流布し、日本各地の大学図書館にも所蔵されている。珍妙な会話文の歴史は、150 年以上にわたる世界規模の歴史を持っていることになる。

 もっとも、外国の古い会話書を踏襲する『井上ふらんす語』の旧態依然ぶりは、1930 年代においてもむしろ例外に属する。工夫を凝らした日本独自の新たな会話書は当時、白水社からもすでに刊行されていた。そのうちの一冊、『片言まじりの仏蘭西行き』(1930)を著した田島清は、段階的かつ網羅的であろうとするあまりに例文が不自然となる会話書の性質を巻頭で批判している。「宇宙、人体、衣食住、天候、時間、旅行、散歩、何もかも抜かりなく搔き集めて、見たらわかることをきく甲に、言ふまでもないことを乙が答へる。またしても退屈極まる愚問愚答を並べる、いやが上にも興味をそぐ。それが会話書に共通する型である」。この陥穽を避け、「外国語を聞き且つ言ふべき雰囲気に導いて、愉快な会話に誘ひ込む」ことを目的とした『片言まじりの仏蘭西行き』は読んで面白く、また主人公たちは英語をある程度知っており、少しフランス語をかじったところで現地に赴くという設定も現実的である。そのため最初のうちは « S’il vous please » « J’understand » などと思わず口にしてしまうのだが、こうした間違いは脚注で正しく直され、本人たちも次第に正確に話すようになる。対話相手のフランス語も生き生きとしており、辰野隆による「序」はその点を褒め上げる。「仏蘭西語に通暁せる田島さんの『片言まじり……』には、正確で上品な仏蘭西語と同時に、現代にぴんぴん生きて跳ねてゐる誤れる仏蘭西語をも故ら捨てずに、興味を以て収めてある。そこが流俗の会話書と本書との全く異る独特の長所で面白みである」。型破りな会話書は、戦後の1951 年まで版を重ねた。忘れられるには惜しい名著であり、ぜひ一読をお勧めしたい。

 唯一無二の『片言まじりの仏蘭西行き』に対して、その後の会話書の理想的なモデルとなったのが目黒三郎『標準仏蘭西会話』(1932)である。文章の自然さ、構成の見事さは、1960 年の「改訂版」を経て、40 年以上読まれ続けた息の長さにも証明されている。1974 年には原著者の息子・目黒士門による『新稿版 標準フランス会話』が刊行され、1994 年には同書の改訂版刊行、さらに2013 年には目黒士門・目黒ゆりえ『携帯フランス会話小辞典』へと生まれ変わった。著者も読者も三世代、その歴史は80 年におよぶ。旅行者の携帯を想定した判型や、実用的な文例を精選する方針は変わらないが、会話の背景は時代とともに変化している。『標準仏蘭西会話』は、船旅でマルセイユに向かう昭和初期の一般的な旅程を想定していた。そのため「汽船旅行」の章に10 ページが割かれており、現在ではなかなか使う機会のない文例が提示されている。「私は船に酔ひました」「ボーイさん、金盥を持つて来て下さい」「御覧なさい、煙突から濃い黒煙が出て長い尾を引いて船について行きます」「陸地が水平線に消え初めときには誰れもがその家庭を名残惜しく思ひ、孤独感を抱きます」。


『携帯フランス会話小辞典』

 その一方で変わらないものもある。『標準仏蘭西会話』の助言は80 年以上を経た今もそのまま通用する。「言ふまでもなく、会話はそれからそれへと続けられ、その間には充分の時間の余裕がないのが普通である。従つて巧に言ひ表さんが為に考へ込んだりすると、遂には大切な事でも言ふ機会を逸してしまうものである。[…]自己の語学力の不十分なるを気づかひ、言ふべきことも言はないのは間違ひも甚だしい。思つてゐることや、言ふべきことは曲りなりにもどしどし言ふべきである」。その通り、信頼できる会話書を手にしたならば、言うべきことをどしどし言おうではないか。

◇初出=『ふらんす』2016年10月号

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著者略歴

  1. 倉方健作(くらかた・けんさく)

    東京理科大学他講師。19世紀仏文学。著書『カリカチュアでよむ19世紀末フランス人物事典』(共著)

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