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倉方健作「にわとり語学書クロニクル」

第8回 対訳

 フランス語の学習が少し進むと、翻訳で読んだ文学作品の原文を確かめてみたい、という気持ちが出てくる。その反対に、フランス語で読みはじめて自分なりに理解した作品を、他の人はどう翻訳しているのか知りたくなることもある。当然、翻訳と原文はイコールではない。私も学生時代、「東の空の雲を破る太陽が西に沈む夕陽より美しいとだれが私に言うであろうか?」と美文調で幕を開けるメリメの短篇「トレドの真珠」の原文を確かめたところ « Qui me dira si le soleil est plus beau à son lever qu’à son coucher ? » と淡々としたもので、ひどく拍子抜けしたおぼえがある。

 ページの見開きに原文と訳文を収めたものは一般に「対訳」と呼ばれる。白水社は日仏対訳の「仏蘭西文学訳註叢書」を 1925 年から戦争を挟んで 1953 年までの間に21 冊刊行している。第一弾『二人の友』は、モーパッサンの短篇小説を岸田國士(1890-1954)が訳し、注釈を付したものであった。面白いのは、左ページには原文と注、右ページには岸田による「逐字訳」と「翻訳」が収められている点である。たとえば冒頭の « Paris était bloqué, affamé et râlant. » という一文は、「逐字訳」では「巴里は封鎖されてゐた、飢えてゐた、して喉をぐうぐう鳴らしてゐた」だが、それが「翻訳」になると「巴里は糧道を絶たれ、市民は飢えきつて、死に瀕してゐた」と小説らしい文章になっている。巻頭言を書いた内藤濯は岸田の達意の訳文を褒め上げる。「遠慮なくいつて、日本の仏蘭西語界はまだ一向に垢ぬけがしてゐない。光つてゐない。書物の読み方にしても、多くは平面的な行き方に留まつてゐて、立体的な円味を有もつていない。[…]さういふ状態に在る日本の仏蘭西語界が岸田君のこの念入りな訳註本を得たことは、物の駈引なしに嬉しい事だと言ひたい」。


『二人の友』

 だが、行き届いた注釈は騒動も巻き起こした。小説中、魚釣りをしていたフランス人を射殺して川に沈めたドイツ兵が« C’est le tour des poissons maintenant. » と言う場面がある。岸田は「さあ、今度はさかなの番だ」と訳したうえで、「此の言葉に別に深い意味はなく、「さあこれで人間は始末した、今度は奴等の捕つて来た魚を平げよう」と云ふわけである」と注釈をつけた。それだけならば良かったのだろうが、さらに続けて「所で「奴等は魚を釣つた罰で、河に投げ込まれたが、今度は魚が奴等の死屍をちょうだいする番となつた」と云ふ意味に取れば取れないこともない。が、これは不自然で却つて面白くない。こんな解釈をする読者は先(ま)づないと信じるが、さう云ふ説を嘗て耳にした事があるから附け加へて置く」と書いたのである。これを読んで、「さう云ふ説」を唱えていた仏語学者・鷲尾猛(1890-1967)は憤慨し、『ふらんす』の前身である雑誌『ラ・スムーズ』1926 年 5 月号に「語句の理解より内容の直感」という文章を寄せて反論した。「如何にも字面の訳は正しい。若しあれに註がなかつたならば、決して此の問題は起らなかつたであらう」と言い、「今度は魚の番だ」という訳文では一致しながら、解釈で岸田と真っ向から争ったのである。

 さらに同年 9 月号では、「今度は魚の番だ」とはドイツ兵の次に魚が始末するという意味ではありませんか、という一読者の投書に鷲尾が長々と反駁するなど、事態はますます錯綜した。実はこの問題はいまだに決着がついていない。以降の『二人の友』の翻訳で該当部を見ると、「さあ、今度は魚を始末する番だな」(新庄嘉章訳)は岸田と同じ解釈、「さあ、今度は魚どもにまかせよう」(青柳瑞穂訳)、「後の始末は魚がやってくれるな」(高山鉄男訳)は投書者と同意見のようだ。いずれにせよ、注釈を付すという行為は、訳文をつくる以上に難しいことがよくわかる。

 1927 年には 3 冊の「仏訳近代名作叢書」も刊行された。芥川龍之介『鼻』、菊池寛『恋愛病患者』、谷崎潤一郎『無明と愛染』に仏訳を付した「対訳」で、訳者は『白水社和仏辞典』(1927)を著して和文仏訳の第一人者と呼ばれた丸山順太郎(1882-1970)であった。

 このほか「対訳」と相性がいいのは映画である。『ふらんす』は現在も「対訳シナリオ」を連載中だが、同趣旨のコーナーは戦前から存在し、一冊まるまる映画の対訳に充てた増刊もかつてはたびたび刊行されていた。単行本『仏和対訳シナリオ 愛と宿命の泉』(1988)と『シェルブールの雨傘 仏和対訳シナリオ』(1994)では、「対訳シナリオ」の連載を長年にわたって担当していた窪川英水による翻訳と解説で、字幕では拾い切れないニュアンスや、口語ならではの洒落た言い回しに触れることができる。


『《仏和対訳シナリオ》シェルブールの雨傘』


 最近では、小野潮編著『対訳 フランス語で読む「赤と黒」』(2014)松村博史編著『対訳 フランス語で読む「ゴリオ爺さん」』(2016)も刊行された。原作の抜粋と翻訳、語彙や文法の注釈に加えて、各見開きには「読解のポイント」も示されている。朗読 CD も付いており、文学作品を「目と耳で味わう」第一歩としてぜひお勧めしたい。


『対訳 フランス語で読む「ゴリオ爺さん」』


◇初出=『ふらんす』2016年11月号

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著者略歴

  1. 倉方健作(くらかた・けんさく)

    東京理科大学他講師。19世紀仏文学。著書『カリカチュアでよむ19世紀末フランス人物事典』(共著)

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