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倉方健作「にわとり語学書クロニクル」

第5回 仏和辞典(戦前篇)

 戦前に白水社が刊行した仏和辞典を、フランス語タイトルとともに眺めると、おおよその役割と編集方針が見えてくる。『模範仏和大辞典』Nouveau Dictionnaire français-japonais(1921)、『新仏和小辞典』Petit Dictionnaire français-japonais(1923)、『標音仏和辞典』Dictionnaire de poche français-japonais(1931)、『新仏和中辞典』Dictionnaire pratique français-japonais(1937)の 4 冊である。


『模範仏和大辞典』

 本邦初の本格的な仏和辞典『模範仏和大辞典』の刊行は、白水社が創業と同時に取り組んだ大事業であった。東大仏文出身の社長・福岡易之助自身も編者のひとりである。同じく編者の内藤濯によれば、もともとは東大で長らくフランス語を教えたエミール・エック(1868-1943)の在職 25 年記念で集まった金の使い道を教え子たちが熟考し、仏和辞典の編纂を福岡の白水社に持ち込んだものらしい。10 人の編者のうち、法学者の柳川勝二を除いた 9 人は刊行時 30 代であった。全 2176 ページの辞典は、若さを頼みに完成したという側面もある。若さを犠牲にして、と言うべきかもしれない。編者の折竹錫は校正のために目を痛め、眼帯をしながら教壇に立っていたというが、誰よりも心血を注いだのはやはり福岡だった。刊行前後の回想には鬼気迫るものがある。「殊に仏和大辞典は小生が白水社を興すに及び敢然として之が実現に向つて猛進し、自ら筆を執り、友人の助力を借り、巨万の資を投じて前後六年間不眠不休にて漸く完成し、小生はその為め重き病魔に襲はれ、病院の一室に呻吟しつゝ更に仏和小辞典を完成して仏蘭西学界より多大の賞讃を博し、ジョフル元帥来朝の際、仏国政府は小生に対して破格の叙勲表彰をなし、貴重なる勲章を与へられ、よつて小生は一層感激して斯道の為め尽瘁し、やゝその基礎の固まりたる際、思ひがけぬ大震火災によりて白水社の資産二十数万円のものは一物もなく烏有に帰し申候」。その後、福岡は長い闘病の末1931 年に 45 歳で没した。

 『模範仏和大辞典』の序文には、フランスへの興味が急激に増してきた時代背景も語られている。「従来我々の同胞に多く親しまれなかつた仏蘭西の文明が、世界大戦後俄に驚異の対象となり来つたことは、既に何人も否むことのできない事実である。独逸系統の事象に対する抽象的な観察眼を、仏蘭西の具体的な而かも真の意味で現実的な文明の基調によつて是正しようとする人の可なり多くなつた事もまた我国に於ける最近の著しい事実である」。つまり「敗戦国」ドイツが株を下げた一方、「戦勝国」フランスの文化が見直されたということである。ちなみに本文中、記念すべき最初の例文は « Le nombre de gens qui ne savent ni a ni b diminue tous les jours. »、添えられた訳は「『いろは』のいの字も知らないやうな人の数は日毎に少くなる」である。「abc」を「いろは」に移し、知識を伝播する辞典にまことに相応しい。

 刊行当時の 8 円という定価は、大卒初任給が 50 円というから、現在の 4 ~ 5 万円といった感覚だろう。確認した限り、戦前は 1940 年の第 48 版まで版を重ねている。『模範仏和大辞典』は文学にも影響を与えた。編者に名を連ねてはいないが岸田國士(1890-1954)も執筆に参加し、F、G の項目は岸田が書いたと内藤は回想している。この報酬によって岸田は渡仏が叶い、帰国後は日本の演劇界に新風を吹き込むこととなる。また、中原中也のランボー訳に見られる vitrail「焼絵玻璃(やきゑがらす)」、voile「面帕(かつぎ)」といった語は、『模範仏和大辞典』の訳語そのままであることが宇佐美斉によって指摘されている(『中原中也とランボー』、筑摩書房、2011)。翻訳にあたって辞典の恩恵を受けたのは中原ひとりには留まらないだろう。


『標音仏和辞典』

 一方、戦前に白水社が出したもっともコンパクトな仏和辞典が、カタカナと発音記号を併記した『標音仏和辞典』である。著者の山本直文(1890-1982)は改訂新版の序文で誕生の経緯を語っている。「この辞典は元来初代白水社長福岡易之助氏の請求によって出来たものであった。最初は、単語も熟語成句なども極力制限し要をとって不急を省き、而もそのため実用上の価値には影響することがないもの、そして発音は初学者のためを主として片仮名のみをつけるということが福岡氏の所望であった。」「それがために編著者は多くの時間と苦心とを払ったが、単語の割愛に、訳語の取捨に非常の時間を要し、割愛の量が多ければ多いほど却って実用にはならないと言う不安も加わり、その上、標音法は、日本の片仮名どころか簡略にした国際記号と称する標音法で決して正しい発音は示すのが困難であるがため、福岡氏の求める壱円売りの普及版は到底実用的ではないと言う結論に達し、福岡氏の意図する所には反したが、妥協して昭和六年六月この標音仏和辞典の第一版が公刊されたのであった」。定価は予定の倍の 2 円となったが、初版 20,000 部を刊行翌年に売り切り、創業社長の死後事業不振に陥っていた白水社を起死回生させたという。

 辞典を舟に喩えたタイトルの小説が映画化されたのは数年前のことだった。だが、こうして背景とともに眺めれば、大胆に舵を切り、たゆたえど沈むことのなかった出版社こそ舟ではなかったか、とも思うのである。

◇初出=『ふらんす』2016年8月号

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著者略歴

  1. 倉方健作(くらかた・けんさく)

    東京理科大学他講師。19世紀仏文学。著書『カリカチュアでよむ19世紀末フランス人物事典』(共著)

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