第11回 quoi:おるたな・ふらんせの真骨頂
1月号では、おもいあまって号外的内容となったので、今回は12月号のつづき、quoiのはなし。普通の教科書類にはあまりかかれていないが、quoiというのは実は代名詞queの強勢形である。「強勢形」というと、moi, toi, luiなどの人称代名詞強勢形がおなじみだが、おなじみとはいえ、強勢形というなまえもなんだかいさましいし、そのわりに、なんか要するに、ちょっとハンパな状況でしゃーなしに登場する感じ、というのが、初級文法をおわったぐらいの学習者の印象ではないだろうか。これについてひとことだけ。主語人称代名詞(je, tu, il...)も補語人称代名詞(me, te, le...)も、言語学では「接語 clitique」などといって、単語は単語なんだけど独立してなくて、動詞の直前にひょいひょいあつまってくる(だから目的補語は代名詞になると位置がかわる)、実は結構地味な要素である。それに対して、主語や目的補語以外のところに独立でおくための代名詞のかたちが強勢形。文法的には名詞あつかいの部分もあって、ムワ、トワとはっきり発音しなさいということでこのなまえなのである。
その傍若無人ぶりが強勢形人称代名詞のおるたなたるユエンなのだが、だからといってquoiについて、おおきめの辞書や文法書でみてみても、で、結局なんなのquoiって?というおもいがつのるばかりである。フランス語話者は、ときどき « N'importe quoi ! » とさけぶときがあり、それって「なんでも」って意味っすよねぇ?と不満な表情の当事者のかおいろをうかがうと、どうもそれは「あほんだら」ぐらいが適訳の表現だったりするのだ(「なんでもありか!」経由で理解されたし)。
結局、強勢形代名詞としてのquoiは独立でいろんなところにおけるので、「なに」の意味をベースにさまざまな表現のなかでつかわれ、フランス語文法のなかを優雅にかけまわる、いわば、おるたな・ふらんせの真骨頂である。で、「ゆうたら○○」の意味の文末の間投詞的用法(2015年12月号参照)は、おおきな辞書には、Accompagnant un mot qui résume une idée, une énumération(Le Grand Robert)、つまり、つらつらと羅列的にはなしてきたことをまとめることばにそえられる。最後にquoiつまり「なんやろ」ということで、「まとめる」というよりはむしろ「まとまらない」感じを余韻としてのこす表現といえば意をくんでもらえるか。日本語だとそういうのは「〜かなあ」などの文末表現でいくらでもだせるニュアンスなのだが、フランス語のような言語では、こういうおるたなボキャブラリーが動員されるということなのだ。
◇初出=『ふらんす』2016年2月号