第4回 オゲレツ・ふらんせ?
ことばは、おとや、インクのしみのようなものにすぎないのだが、そしてことばは、それがさしているかもしれないものとは「そういう約束になっている」という以外なんの関係もない(あの動物が「イヌ」とよばれなくてはいけない必然性はない)のだが、それにもかかわらず、ぼくたちは、ことばに感動したり(文学、美談)、きずついたり(くちげんか、差別発言)、そしてことばにオエッとなったりもする(下ネタ)。
そのいっぽうで、意味があまり意識されないで、ことばが、それがさすものの純粋なラベルのようにはたらくこともある。その典型が色彩名称だ。「ムラサキ」や「ダイダイ」があの色、この色のことだということがわかれば、これらの単語を使用するのに、もはや一切苦労することはない。それが、(ムラサキ色ではなく)しろい花をさかせる植物であることや、正月のしめかざりにつかわれるあのカンキツ類であることを、筆者もオトナになるまでしらなかった。
他方、母語以外の言語のばあいは、オトナになってからならうということもあり、「意味」がどうしても気になってしまう。ガードレールのことをgarde-fouって、それおかしくない? とフランス人にたずねても、いわれてみたらたしかに的なあいまいな反応しかかえってこない。そんなわけで、ぼくたちはときどき、意味をかんがえるのをやめなければならないときがある。言語学習は、まさに人生そのものなのだ。
色彩語彙にもどろう。caca d’oie:意味は「ガチョウのうんこ」(caca は幼児語とされる)で、服飾品などのいわゆる「色目」をさす色彩用語である。画像検索してもらえればわかるが(ホンモノもヒットするので要注意)、カーキあるいは「うぐいすいろ」にちかい。「え、でもそれってひどくない、『きみのそのガチョウン○色のジャケット、すてきだね』とかゆっちゃう?」と筆者がうったえても、ネイティブは「ハイ、ソレガナニカ?」的な反応しかかえしてこない。「ムラサキ」や「ダイダイ」の意味をかんがえないのとおなじだよね、と自身にいいきかせようとするも、ほかの、黄・緑系の語彙は、ambre, canari, chartreuse, miel, mimosa, poussin, topaze など、みんなそれなりにいい感じなのだ。ガチョウン○だけがどうみてもういている。
などとかんがえていたら、どうも、フランス語でのこの手の(ウン○系)下ネタは、ぼくら日本語話者がおもっているのとはちがうしかたでうけとめられているのではないかということに気づいた。「ホカホカのヤギのウン○」という料理について来月!
◇初出=『ふらんす』2015年7月号