第3回 てか、結局さぁ、enfinって強引よね
enfin の用法が複雑怪奇であることを前回ほのめかしたのだが、それをあらためてみていると、enfin と「てか」がますますちかいよな、とおもわざるをえない感じがある。enfin には、「ついに、最後に」という基本の用法のほかに、「というより」にとてもちかい前言修正的用法があることは前回みたが、ほかにも辞書ではヤレヤレ用法(C’est encore vous, enfin ! 「 ってか、またあんたかよ」)、イライラ用法(Mais enfin, dépêchez-vous ! 「ってか、いそいで!」)、などと(念のため、命名は筆者っす)別わくで記載されながらも、日本語にするときには「ってか」でおなじ雰囲気をだせそうなものもある。また、前言修正用法的な事例がラシーヌやモリエールぐらいまでさかのぼってみつけられることをかんがえると、enfin は、はやくからおるたな展開をみせていたこともわかる。enfin のイライラ用法にはさらに « Enfin ! » と単独でイライラをあわらす用法などもあり、「ってか、ないよなそれ」と啞然とする状況で「ってかさ」でとまっておなじ意味あいという日本語もいけそうだ。
enfin に比較的ちかいところでは「結局」なども、辞書にはないが、これを「結局」でもないところで強引につかわれてムカつくばあいがある。「結局さぁ、あなたは優柔不断なのよ」など、え、でもそれどういう「結局」よ、前段の論証なしでいきなり結論ですか、などといいたくなるときの「結局」のウエカラメセン用法。
あんまりこむずかしい話をする連載ではないのだけど、ケッキョクどういうことかというと、ぼくたちはいつもいつもきちんと話をしているわけではなく、それでも強引に「はい、これでオワリ」とやってしまいたいことがしょっちゅうあるということなのだろうか。enfin のバリエーションは、率直にいって、フランス語さん、そこでen+fin は強引でしょというよりないものばかりだが、「てか」もまた、「というよりX」の原義が展開して、もうそのさきの再修正がない感じに強引にもちこむような意味の展開をしてきているというのが筆者の印象である。「ってか、ごはんいかない?」などの、もっともあたらしい部類の用法は、なにかをいいかえるという本来の使命をはなれて、漠然とした状況を、そのばにふさわしいかたちにいいかえると、という意味で、やっぱり強引にそっちにはなしをひっぱりたいきもちのあらわれなのだ。
ってか、やっぱりコムズカしくなってしまった。次回は気をとりなおして、若干シモネタ系おるたなに期待されたい。ウグイス色は、ガチョウのウ○コ色という話。
◇初出=『ふらんす』2015年6月号