第一回 保育園がなくなる時代?
待機児童から保育園閉鎖の時代へ
「保育園落ちた日本死ね」。SNSでこの叫びが共感とともに瞬く間に広がっていったことは記憶に新しい。保育の問題といえば、もっぱら「待機児童」のことだった。
しかし、ここ数年、問題は一変しつつある。待機児童が解消に向かいつつある反面、その対策で増やした保育園の存続が危惧される事態になっているのだ。
しかも、保育園を増やした方法には「民営化」という新自由主義的手法が用いられたため(小泉改革による公立保育園の運営費の一般財源化については第3回に詳述)、今後は市場原理によって定員割れした保育園が容赦なく切り捨てられていく。社会のゆりかごであるはずの保育園に過当競争の波が押し寄せているのだ。
さらに待機児童問題が規制緩和とともに民営化によって解決されたため、問題は事業者の経営問題に矮小化され、親や子どもの思いは省みられることはなかった。
「公立園の園児を回せ」
この連載は、千葉県船橋市を舞台にこの問題を追いかける。千葉県北西部に位置する船橋は人口64万人。JR総武線と東京メトロ東西線の2路線を中心に都心部へのアクセスは良好で、いわゆる「千葉都民」の街だ。
市政への関心は低く、2021年の市長選の投票率はわずか28.88%だった。他方、船橋は、全国的にもめずらしい、父母会活動が盛んな地域である。公立保育園が民営化の荒波の中でも生き残った。
父母たちが連帯して市に予算要望を行う伝統が残り、市長(現実には副市長)懇談も定例化されている。父母会が自ら人形劇やマジックショーなどのイベントも手がけており、それは戦後の市民自治の最後の輝きと言っていいかもしれない。
そんな船橋にも不穏な空気は着実に広がっている。
待機児童対策としてこの20年で私立保育園が激増している。2002年にはわずか19園だった私立保育園は、2022年の現在、101園にまで膨れ上がった(公立園はこの間ずっと27園)。
まさに民営化の激流である。そうした保育園に父母会があるはずもなく、市の担当課は父母を「お客さん」と言ってはばからない。「お客さん」とは言っても一方的に行政に翻弄される受け身の存在だ。
他方、市の保育政策を審議する「船橋市子ども・子育て会議」では、これまで、保育園の野放図な増殖を推し進めてきたが、供給過多の状況下、ここ最近は、私立園経営者から「公立園の園児をこちらに回せばみんなうまくいく」との悲鳴もあがる。
市幹部「店じまいの時代がきた」
市幹部は「子どもが減ってきたなら利用定員を減らすしかない。店じまいの時代がきた」と突き放す。
待機児童対策で民間活用をしてきたこれまでの政策はいったいなんだったのだろうか? あまりに無責任である。
こうした状況は船橋だけのものといえるだろうか?
いま、全国的に「保育園がなくなる日」が現実化しようとしている。
厚生労働省の調査を見てみよう。
2021年の「保育を取り巻く状況について」で、同省保育課は「人口減少の影響下にある市町村では、定員割れにより保育所の運営が困難な状況が相対的に顕著」としたうえで、「保育所の利用児童数のピークは2025年となる」と強調しているのだ。中長期的課題として施設の「縮小」も明記している。
「縮小」と書くのはたやすいが、その背後には保育士をはじめとした分厚い雇用がある。社会全体で保育園の未来に向き合っていかなければならない時代なのである。
船橋市役所
(著者撮影)
父母会という場所
2011年4月、長男1歳で船橋市の公立保育園に入園が叶った。
「在園中に1度は役員を引き受けてください」「子どもが小さいうちの方が楽です」。
入園すると早々に父母会入会と役員募集の案内があり、引き受けることにした。
すべてはここから始まった――。
営業職として職場復帰。徐々に仕事量は増え、半年後には1日300キロ運転する日もあるほど営業範囲が広がった。それでも役員を引き受けたからには、会議には参加したいと時間を工面した。
そして、父母会役員から始まり、翌年度からは船橋市の父母会の連合体である船橋市公立保育園父母会連絡会の会長を引き受け、その後も執行部として現在に至っている。
都市社会学に「サードプレイス」という概念がある(オルデンバーグ『サードプレイス』みすず書房)。家、職場とともに、個々人を支える第三の場所という意味だ。自分にとって父母会はまさにそんな場所だった。
他方で、この10年間はまさに新自由主義の荒波が保育現場を洗った年月でもある。父母会は荒波の防波堤として保護者の拠り所になってきた。このことについてはまた書くことにする。
連帯する父母たち
(連絡会提供)
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保育の現場でいまなにが起きているのか? これからなにが起こるのか? 保育を取り巻く数字を取り上げながら考えていきたい。また、保育が根差す地域の未来も浮き彫りにしていきたい。