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中村英俊「科学的想像力の時代:18世紀フランス自然科学小史」

第6回 自然の「スペクタクル」


『自然の光景』の扉絵

 自然を研究し、そこから神の認識に至ろうとする立場は古代にまでさかのぼるが、これを自然神学 théologie naturelleという。時の科学に応じてさまざまな様相を見せる自然神学に則った作品は、18世紀、自然誌の展開とともにヨーロッパ中で書かれた。今回注目するのはこの流行のフランスにおける立役者プリューシュ( Noël-Antoine Pluche, 1688-1761) と、その主著『自然の光景』Spectacle de la Nature( 1732-1742) だ。

 17世紀後半から18世紀にかけてhistoire naturelle が科学として成立していく過程は 5 月号で辿ったが、プリニウス以来の「博物誌」からその記述対象を自然物に絞り、より科学的な「自然誌」への変容に沿うように、この時期自然神学は多くの作品を生み出した。

 ニュートン自然学とおなじくその発端はイギリスだ。英国国教会の牧師ナチュラリスト J. レイと W. デラムは、それぞれ『創造の御業に顕れし神の叡智』(1691)、『自然神学、あるいは創造の御業からなされた神の存在と象徴の論証』(1713) を書き、流行の先駆けとなった。被造物を理解することで摂理の認識に至ろうとする姿勢は変わらないものの、『自然の光景』の毛色はかなり異なる。荘厳な文体の断章からなるイギリスの 2作品に対し、「自然誌の特性に関する対話」という副題が示すように『自然の光景』は対話形式の読み物として書かれているのだ。

 著者のプリューシュも聖職者で科学についてはアマチュアだったが、自然科学における最先端の知識を渉猟し、それらを大衆の趣向にあわせて巧みに語り直す手腕には「文人」としてのセンスが光っていた。複数の人物に問題を議論させる対話形式は当時人気で、『自然の光景』には著者の分身と思しい修道院長とその生徒である若い騎士を中心に、伯爵夫妻を含めた計 4 人の人物が登場する。つまり、感情移入できる人物に幅を持たせることで読者の興味を持続させながら、同時に自然誌の知識を多角的に提示できるような仕組みがこの作品には織り込まれているのである。著者の意図はみごとにあたり、『自然の光景』は出版当初から各国語に翻訳され、18 世紀をつうじて空前のベストセラーを記録することになった。

 科学知識の普及に資する文学が「文芸共和国」における知の理想であるなら『自然の光景』はまさにこの理想を象徴する作品だった。知識を披露する人物が特別ではなく、もっとも卑近な対象から考察されていくという構成も、この作品を親しみやすいものにしている。レイとデラムが「詩編」を引きつつ天界の高みから神の偉大さを説き始めるのとは対照的に、プリューシュは田舎道への散歩に読者を誘い、そこで出会うごく身近な昆虫を最初の話題にする。創造主の叡智はマクロの世界と同様、ミクロの世界にも見られる。とすれば、多数の読者に縁遠い天界の考察から唐突に始めることは、著者の傲慢でなくて何であろう。彼らの自然に対する興味をくじいた挙げ句、信仰心を削ぐことにもなりかねない。このことは扉絵のソロモンにも見て取れる。彼は威厳あるイスラエル王ではなく、身近な動植物から順にその知識を授けてくれる親しみやすい賢者の姿で描かれているのだ。

 さて、この作品で表明される「光景」spectacle としての自然は、付随する美学的な姿勢とともに当時の自然観の類型を表している。それは楽しませながら教える壮大な光景、オペラにも喩えられる総合芸術としての見世物で「スペクタクル」とそのまま訳すべきものだ。さまざまな舞台装置をそなえた劇場を想起させるこの比喩は、五感に訴える表舞台とその裏に隠された仕組み、すなわち「外観」と「内奥」という自然のふたつの側面を意識させる。プリューシュによれば、観客である人間にとってスペクタクルの本質は「眺めと外観」にある。というのも「美と有益、そして真なるもの」は外観からじゅうぶんに見出すことができるのだから、「この世の外側の装飾とスペクタクルを形成する機械仕掛けの作用」を享受するだけでよしとしなければならない。与えられたスペクタクルに満足せず、その機械仕掛けをも知ろうとすることは不遜な行為として退けられねばならないのだ。

 しかしながら、この禁止事項はすぐに破られることになる。前回言及したモーペルテュイの発生に関する思考実験、あるいはビュフォンが想定した地球の歴史は、自然の「内奥」に向かうものだ。神が創造した不変のスペクタクルを支える静的なヴィジョンにかわって、そこでは近代的な無限の時間の流れが支配する。「自然誌」が「自然史」となる瞬間だ。そのとき自然はダランベールが熱に浮かされて見た夢、すべてのものが相対性の彼方に押しやられ、「あるものは、ある」と表現するしかない不定形の深淵としてわれわれの前に現れる。

 神から知識を得て大王となったソロモンは、晩年神を忘れて自らの国に不幸をもたらした。深淵をあえて見ようとする近代科学精神はプリューシュの目に、ソロモンの背信とおなじように映っていたのかもしれない。

◇初出=『ふらんす』2016年9月号

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著者略歴

  1. 中村英俊(なかむら・ひでとし)

    明治学院大学非常勤講師。18世紀仏文学。

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