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中村英俊「科学的想像力の時代:18世紀フランス自然科学小史」

第5回 モーペルテュイの「自然学」


「北極圏ルック」のモーペルテュイ

 地球の形状論争に終止符を打った人物として前回登場したモーペルテュイは、18世紀の「文人」を体現する科学者だ。数学から出発した彼は光学、天文学、測地学から心理学にまでおよぶ広範な研究をおこないながら、ヴォルテールとともにニュートン力学の大陸輸入に貢献するいっぽう社交人としても知られ、その魅力は多くの女性を惹きつけた。われわれの目からは分野違いの研究も彼にとっては有機的に結びついており、それらは社交の場で議論されることが当然とされた。彗星の運行と生体組織の成長、恋愛感情は同様の法則によるが、それを語る方法はさまざまというわけだ。今回はモーペルテュイの多彩な仕事のなかでも生物学にかかわるものをとりあげ、そこに見られる 18 世紀的な知の特徴を確認したい。

 モーペルテュイの動物への関心は1720 年代後半、彼がパリ科学アカデミーの年金会員に選ばれる以前からあったようだ。幾何学や微分法を研究するかたわら彼はトカゲとサソリにかんする論文を発表するが、トカゲの腹の中に卵と孵化した子が混在するという思いがけない発見をきっかけに、その関心は生物の発生の問題へと向かうことになった。ニュートン力学の本格的な研究や測地学をめぐるデカルト派との論争などで一時期この方面の著述はなくなるが、1744 年、アルビノの問題をあつかった『白い黒人についての自然学的論考』Dissertation physique à l’occasion du Nègre blanc を端緒に、彼は画期的な説を養うことになった。

 この頃、測地遠征で一躍有名になったモーペルテュイの名声は最高潮に達していた。アカデミー・フランセーズ第 8 席に推されると、ベルリン科学アカデミーには総裁として招かれてもいる。時のプロイセン王フリードリヒ 2 世じきじきの要請に応じた彼の邸宅には国内外の動物が集められ、その生態を思う存分観察できる環境が整えられることになった。

 そんななか上梓されたのが『自然学のウェヌス』Vénus physique だ。遺伝学と進化論的言説の先鞭をつけたとされるこの作品は、科学者のプロというよりも科学アマチュア層へと向けられている。前述したアルビノの『論考』を下敷きとしているが、そもそもこの『論考』は愛人と思しい人物に語りかける体で書かれたものだったし、タイトルからもこうした意図はあきらかだ。「自然学」はギリシア語源に忠実に、あらゆる自然現象を統一的にとらえてその法則を探求する知的 営 為 の 総 体 で、「自然哲学」philosophie naturelle とも呼ばれていたが、いっぽうで形容詞 physique に は「身体的な」、「官能の」といった意味もあり、それらが愛と美の女神のイメージと結びつけられているのだ。背表紙だけを見れば、この小品は当時流行していた哲学を標榜するポルノ小説群の棚に紛れているほうがふさわしい。事実、「血気にはやる牡牛」の荒々しい情交からキジバトの「やさしいうめき」と愛撫の数々、そして「後宮の恋人たち」すべてを満足させる女王蜂の「狂気きわまる放蕩」に至るまで、動物たちが見せる性癖の自然誌は人類のそれとして読むことができる。

 「詩情あふれる」と評される筆致で展開するのは描写的な記述ばかりではない。既存の説に反論するにも、モーペルテュイは同様の口調をもってする。なかでも当時ひろく受け入れられていた、創世記以来の生物が「卵」あるいは「精虫」に入れ子状に収まっているとする「前成説préformation」にたいし、彼は真っ向から対立する立場をとった。雑種や突然変異、遺伝といった観察にもとづく事実をふまえ、雌雄の「体液」の混淆によって胚が形成される独自の「後成説épigenèse」を打ち出したのである。

 胚の成長は当時の技術でも観察できたが、その発生の瞬間を捉えることはできなかった。知覚される事実を第一条件としながら仮説を退ける近代科学にとって、それは結局対処できない問題だった。モーペルテュイが『ウェヌス』を詩の文体で書いた理由はそこにある。科学的事実に裏づけられた文学は、発生のメカニズムを大胆に見通し、さらにそこから新たな自然観を提示することになるだろう。

 雌雄の体液から胎児の体が正確に組織されるのはなぜか、という今なら遺伝子で対処すべき問いに、モーペルテュイは「親和性 affi nité」を措定する。これは生物を構成する「要素 éléments」ひとつひとつに宿る万有引力の一側面で、親の体液を構成する「要素」はこの性質にしたがって結合、反発し、胚の各器官を形づくると考えられた。

 発生がこのように幻視されるなら、個体の死が「要素」の分解に過ぎないと定義されてもいいはずだ。ばらばらになった「要素」は自然の循環の輪に合流し、その「親和性」にしたがってまた新たに生物を形成するだろう。こうして種の形質は保持され、まれに生まれる変異した個体は新たな種の可能性をもたらすのである。18 世紀の科学的想像力が吹き込む詩の言葉は科学の高みから教えを垂れるのではなく、あらゆる現実的な束縛をのがれた仮想実験の場をつむぎだす。そしてこの公開実験に読者の立ち合いをもとめ、思考をせまる。『ウェヌス』が見せる種の形成の夢は、こうして『種の起源』を準備することになったのである。

◇初出=『ふらんす』2016年8月号

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著者略歴

  1. 中村英俊(なかむら・ひでとし)

    明治学院大学非常勤講師。18世紀仏文学。

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