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中村英俊「科学的想像力の時代:18世紀フランス自然科学小史」

第3回 フランス植物学の父、トゥルヌフォール


『基礎植物学』花冠による分類

 「ホモ・サピエンス」はラテン語で「賢い人」、ヒトという種の学名だ。「ホモ(人)」で分類学上の属を、続く「サピエンス(賢い)」で特性を示し、2語で種の名を構成する。この二名法はスウェーデンのナチュラリスト、リンネが18世紀なかばに考案したことで知られるが、それはまず植物分類の研究を通して確立され、のちに動物分類に応用されることになった。

 古くから植物は実用の面から研究されてきた。それは日用品であり、医薬品だった。有用、無用を問わず植物が学問的な研究の対象として定着したのはようやく 17 世紀も終わる頃で、トゥルヌフォールはこの転機を象徴するナチュラリストだ。今回は「フランス植物学の父」と呼ばれ、分類階級「属 genre」 を定義した彼の仕事が 18 世紀自然誌研究のなかでどのように息づいていたかを確認したい。

 アリストテレス論理学に端を発する「属」や「種」という概念は伝統的に事物の分類に用いられてきた。しかし定義は曖昧で、植物に関していえば薬効や用途を基準にすることが多かった。それに対 し、『基礎植物学』Éléments de botanique(1694)でトゥルヌフォールが提唱した分類は実用から明確に離れ、誰もが一目で分かる植物の形質を基準とした。植物を客観的に対象とする分類はそれだけでも画期的だったが、驚くべきは、彼が当時知られていた植物を残らずその分類体系に収めたことだ。あらゆる植物は、最初に花弁の有無、その形や数などの特徴をもとに 22 の綱 classe に大別され、さらに果実や種子の形質をもとに目section に分けられる。これら上位階級から持ち越された特徴がさらに細かく検討されて属が決まり、そこに見合う種espèce が振り分けられるという寸法だ。こうして最終的に約 1 万種を数えた植物は、698 にのぼる属のいずれかに場所を見いだした。トゥルヌフォールが勤めていた王立植物園(現国立自然史博物館)では、この体系に基づいて分類花壇が整備され、以後 70 年以上にわたってその配置が保たれることになった。

 種名を構成する「属名」+「種の特性を示す修飾語」という仕組みは、リンネはもちろんトゥルヌフォール以前からあったが、語数に制限はなく、ひとつの種名が 20 語に及ぶこともあった。この長い名称のわずらわしさを除くにあたり、トゥルヌフォールは属の重要性を説く。種の上位階級である属をできるだけ多く設定すれば、それだけ同じ次元で語られる種は少なくなり、結果名前も短くできるに違いない。後にリンネが二名法で解決したこの問題に、彼は属を吟味することで対処しようとしたのである。しかし実際に新たな種名が提案されることはなく、先人が採用したものが引用され、彼らの著作を直接参照できるような配慮がなされている。

 この参照の配慮は、植物学に対する彼の姿勢によるものだ。トゥルヌフォールは『基礎植物学』をフランス語で書いた。専門書の類は学術語であるラテン語で書くことが常識だった当時、それは彼が、読者として一般の植物愛好家をまず想定したことを示している。事実、図版と客観的な描写に支えられたその体系を用いれば、専門知識に乏しくとも種を特定できた。くわえて確実に綱から種へと導くこの「アリアドネの糸」を読み解いていくことは、野山で採取した一輪の花から植物全体を学ぶ機会も提供する。ならば、新たに種名を設定して必ずしも専門家ではない読者を悩ませるよりは、先人の知へと導いてやるほうがよいのではないか。毎年のようにヨーロッパ各地へ植物採集に出かけ、後年は近東諸国にまで渡ったトゥルヌフォールにとって、植物研究はなによりも実地の観察であり、そこには分かちあうべき楽しみがあった。小難しいラテン語の命名など、学者たちに任せておけばよい。「楽ませて教える」というホラティウス流のモットーは彼のものでもあったのである。

 綿毛の 1 本 1 本から小さな萼(がく)まで詳細に分析し、微視的に描写する近代科学的なトゥルヌフォールの観察眼は、後にピエール・リヨネの昆虫解剖やドーバントンの動物描写理論などに受け継がれ、他方、その分類体系はリンネを後継者とした。花冠の形質に重点を置いた体系を建てたトゥルヌフォールのように、リンネも雌雄蕊を基準として 24 の綱を擁する「性の体系」を確立し、植物を分類し尽くして多くの支持を得た。このように基準となる部分を決めてから分類する手法は「体系分類 système」と呼ばれたが、そこに見られる演繹的な趣向に激しい批判を浴びせたのがトゥルヌフォールの後輩たちだった、というのは皮肉な巡りあわせだ。イギリス経験論に与する彼らは、人為的な基準で自然を測ることは不遜きわまる愚行と考えた。ジュシュー一族やアダンソンはより多角的に対象を判断する「自然分類 méthode naturelle」を提唱し、ビュフォンは自然物の分類そのものに嫌悪を示した。1774 年、王立植物園の花壇はついに配置替えされ、采配をとったアントワーヌ= ロラン・ド・ジュシューの自然分類は革命的と評されたが、彼の仕事においても、近代科学的な観察の精神は相変わらず重要な役割を担っていたのである。

◇初出=『ふらんす』2016年6月号

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著者略歴

  1. 中村英俊(なかむら・ひでとし)

    明治学院大学非常勤講師。18世紀仏文学。

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