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中村英俊「科学的想像力の時代:18世紀フランス自然科学小史」

第7回 リヨネの観察技法


ボクトウガの幼虫の神経系

 多様な生物と現象が織りなす「スペクタクル」としての自然観には、人間が知覚し得る「外観」と隠された舞台装置としての「内奥」という自然のふたつの側面が想定されていた。そこから出発したプリューシュは、先月号で確認したように、自然の「外観」の研究だけにとどまるべきだとし、「内奥」に踏み込む行為には人の傲慢を見たのだった。こうした立場は本来、科学アマチュアの彼がつねに拠り所とする科学の現場に見られたもので、なかでも科学アカデミーの権威レオミュール(1683-1757)を盟主とするナチュラリストたちが標榜した。今回はそこに名を連ねるリヨネPierre Lyonet(1706-1789)と昆虫学に焦点をあて、「外観」の研究における「観察」が自然科学の展開の中でどのような様相を呈するのかを見ていきたい。

 リヨネはオランダ人ナチュラリストだが、著述はすべてフランス語でおこなっている。多彩な経歴の持ち主で、大学で法学を修めた彼ははじめ弁護士の職を得、8 か国語を操りながら暗号解読書記官としてスパイまがいの特命を果たしたこともあったという。自然誌のなかでも昆虫研究を志したのはようやく30 代になってからだが、その非凡な才能は、比較的遅い科学者としてのスタートを補って余りあるものだった。つまり確かな観察眼、精密な解剖をこなすばかりでなく顕微鏡を自作してしまうほどの器用さにくわえ、見たものを逃さず再現するデッサン力までも兼ね備えていたのである。

 彼の仕事を紹介する前に、「昆虫Insectes」について確認しておこう。分類学そのものが揺籃期にあった当時、この語は今日イメージされるものよりはるかに広範な生物群を指し、「小動物petits animaux」が「昆虫」を表すことも普通だった。われわれが昆虫と呼ぶものはもちろん、その他甲殻類などを含むほぼすべての節足動物、貝やイカなどの軟体動物、原生動物やバクテリアの類にいたるまで、つまり科学的研究対象として顧みられることのなかったあらゆる生物が「昆虫」とみなされたのである。研究が進むにつれて種は加速度的に数を増し、動物界は植物界や鉱物界とは比べ物にならないほどその領域を拡大していった。

 レオミュールは「昆虫」の千態万状に自然の計り知れない広大さを読み取った。「小動物」が見せる「無限の多様性」は動物に関わるあらゆる概念の再考を迫り、狭小な人の知性が基準や法則を自然に想定することの危うさを再認識させた。そこで彼は自然の「内奥」を詮索することは慎み、「外観」の描写を積み重ねることに専念すべしと主張したのである。対して「内奥」に踏み込んで作り上げられ、まことしやかに学説として流布されたものを「体系système」と呼んで激しく批判した。レオミュールを師と仰ぐリヨネもこの姿勢を受け継ぎ、生物の発生や成長に関する学説を、「思弁による体系Système de spéculation」と呼んでことごとく切り捨てている。

 リヨネがなによりも重きを置いたのは、観察によって科学的事実を見極め、それを可能な限り忠実に再現することだった。『柳を食害する幼虫の解剖学的論考』Traité anatomique de la Chenille qui ronge le bois de Saule( 1760) は、彼の妥協をゆるさぬ仕事ぶりを反映した作品で、蛾の幼虫の解剖学的描写はもちろん、作画からそれを版画におこす作業まで、すべて自らの手でおこなっている。

 これまでの連載でもたびたび触れたように、18 世紀前半までの科学的精神には、一般読者を「楽しませ、教える」というホラティウス流の信条が少なからず見られた。レオミュールもそうだったし、科学を文学の形式で語り直した『自然の光景(スペクタクル)』はその精華だったが、リヨネの仕事は、科学がこうした要請にもはや応えきれない段階に入りつつあったことを暗示している。事実、『論考』はボクトウガの一種、それも幼虫だけという非常に限定された対象のモノグラフであるにもかかわらず600 ページにもおよぶ大著で、はなから大衆は蚊帳の外、さらに学術書として削除はできないが、それゆえ「あきらかに骨が折れる」章があることをリヨネ自身も認め、そこについては図版を参照するだけでいいとさえ述べている。

 万人が享受できる楽しみを生むと考えられていた観察も、ここにおいては、きわめて専門的な研究手段の様相を呈する。リヨネは対象の描写に先だち、顕微鏡はじめ解剖に用いた器具とその使用法を具体的に記している。100 年は先行していたといわれる緻密さで描かれた対象に対する読者の不信感を和らげ、さらには著者と同じものが彼らにも再現できるようにとの配慮だが、寸分たがわぬ器具が手元にあったとして、たとえば数ミリほどの幼虫の頭部に228 もの筋肉を数え、そのうえ各体節、消化器官の部位ごとに計4041 もの筋肉をより分けて観察することなど、どれほどの人ができるだろうか。

 リヨネが実践した観察の極北は、専門化した科学が「骨が折れる」もので、門外漢がそう簡単に口をはさむことができないという未来を先取りする。それは科学と文学との分岐点であるのみならず、19 世紀以降活発になっていく学科の細分化へと至る潮流の源といっても過言ではない。

◇初出=『ふらんす』2016年10月号

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著者略歴

  1. 中村英俊(なかむら・ひでとし)

    明治学院大学非常勤講師。18世紀仏文学。

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