第2回 博物誌から自然史へ
パリは5 区にある国立自然史博物館Muséum national d’Histoire naturelle が現在の名称で呼ばれることになったのは大革命後、1793 年のことだ。それまでは王立植物園Jardin du Roi といい、ヨーロッパの自然研究の要であった。下図は同機関のロゴだ。
パリ国立自然史博物館のロゴ
革命帽を冠して左右にブドウと麦、その下に岩石の集積、貝と蛇、巣から飛び立つ蜜蜂が見える。自然のあらゆる事物をこうした三界(鉱物、植物、動物)に分けて記述、把握しようとする学問をフランス語でhistoire naturelle という。さまざまな自然科学の母体となったこの知的営為は「自然史」のほかに「自然誌」、「博物誌(史)」、「博物学」とも訳されるが、今回はこの日本語訳に注意しながら、この知的営為が18 世紀に科学としての地位を確立するまでの経緯を概観してみたい。
元来histoire はある対象にまつわる調査や研究、またそれらが記述されたものという意味で、Histoire des animaux やHistoire des plantes のように自然の事物が主題として使われるときはそれぞれ『動物誌』、『植物誌』と、「誌」を与えると通りが良い。「歴史」という意味は副次的で、また自然の研究に時間の観念が加味される「史」と訳すべき展開が来るのはようやく18 世紀半ばになってからである。古代ギリシアからそれまでは、アリストテレスが『動物誌』で見せたような観察や伝聞による対象の記述はすべてhistoire と見なされたと考えていい。
時は下って帝政ローマ時代、大プリニウスのNaturalis historia は当時の知を一堂に集めた大著だ。その百科全書的特性を鑑みると、フランス語で形容詞naturel (le)の部分は「この世に現存するものに関する」という意味で捉え、書名全体の訳としては『博物誌』とするのがしっくりくる。言及される対象は自然物が中心とはいえ絵画や建築といった人工物にまでおよび、またそれらにまつわる話がべつの話を呼ぶさまは、「自然に関する」記述と条件を限定するには違和感があるのだ。さらにアリストテレスやホメロスをはじめとした確かな典拠にもとづくものから些末な逸話の類にいたるまで、虚実入り混じった内容から思い浮かぶのは、目にした文献資料を余すことなく書き留めようとする博覧強記の作家の姿で、アリストテレスのような自然観察を重視する学者のそれではない。
ルネサンス以降、先人が記した知を編集しながら、実地の観察に基づく描写も交えて自然を研究する知識人が登場する。「ナチュラリストnaturaliste」と呼ばれることからもわかるように、彼らの研究領域の主題は自然物に絞られ、その著作は「自然の事物にまつわる話をあつめた記述」=「自然誌」の体をとる。博物誌から自然誌へのこうした移行は、モノグラフの増加に顕著だ。『珍奇なる海魚の自然誌』Histoire naturelle des étranges poissons marins、『四足動物誌』Histoire des animaux à quatre pieds、『驚くべき植物誌』、Histoire admirable des plantes等々。
17 世紀後半まで、自然誌研究の肝は先人の文献をまとめることにあった。アルファベット順の記述を採用して自然誌に画期をもたらした『動物誌』を書いたゲスナーが、『世界著作目録』で近代書誌学の基礎を築いたという事実は象徴的だ。自然科学の少なからぬ部分を占める知が「話、記述」としてのhistoire をもとに、伝言ゲームのように量産されるという状況、それこそが新たな時代を迎えた科学の現場に身を置く人々が非難したことだった。ヨーロッパ各地に科学アカデミーが設立され、啓蒙の機運高まる科学界には、自然誌を科学として洗練させようとするナチュラリストの姿もあった。古典の権威は18 世紀になっても根強く、たとえばレオミュールは古代人の仕事を認めながらも、その権威に無条件に屈する人々の怠慢を激しく非難する。先人の著作に書かれていることに合わせて事実を見誤るのは愚の骨頂だ。
新たな時代の科学的精神は、プリニウス流の博物誌はもちろん、前時代のナチュラリストが展開した自然誌にも否をつきつける。彼らの仕事は感覚に訴える自然の表面をなぞるだけに過ぎない。物事の本質を探る行動指針/科学全般としての「哲学」については先回触れたが、その文脈からすれば、感覚に訴えるところから帰納的手続きで何らかの法則を導きだすことができなければ、自然誌が科学を標榜することは許されない。自然の記述ばかりを増やしたところでその本質には至らない。さまざまな事象を比較し、あらゆる組み合わせを試み、それらの関係を見極めることが必要だ。こうした試みがあってこそ、動植物と地球の現在の関係から過去の姿を想像し、感知不能な過去の闇、生物体制の奥底にまで観想の視線を送ることができたのだ。ビュフォンの『全般と個別の自然史』Histoire naturelle, générale et particulière によって、「自然誌」は歴史的な視座を得て「自然史」になる契機を得た。「個別」な動物の記述は地球全体に及ぶ通時的考察で関連づけられ、「全般的」な自然のタブローを提示する。その一端は自然史博物館の目玉、動物たちが織りなす「大進化ギャラリーGrande galerie de révolution」に見ることができる。
◇初出=『ふらんす』2016年5月号