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中村英俊「科学的想像力の時代:18世紀フランス自然科学小史」

第1回 啓蒙の知の様式

 下の図はヴォルテール『ニュートン哲学要綱』Éléments de la philosophie de Newton に付された扉絵だ。


ヴォルテール『ニュートン哲学要綱』の扉

  画面右上に鎮座するニュートンは、天球儀とコンパスを手に宇宙の法則を説いている。その左、プッティに支えられた知恵の女神はシャトレ夫人だ。史上初の「理系女子」でヴォルテールの愛人だった彼女は、ニュートンの『プリンキピア』に詳細な注釈をつけて仏訳したことでも知られる。そして画面の下、ローマ風の桂冠詩人として描かれているのがヴォルテールで、足元には地球儀や分度器、定規といった一見詩人にはふさわしくない器具、専門書の類が置かれている。

 ニュートンと林檎の伝説的な逸話を広めたのがヴォルテールであることは知られている。この扉絵は、ニュートン力学がフランスに輸入されるや一世を風靡し、「啓蒙 Lumières」の潮流を決定づけたという経緯を先取りしているばかりか、その知の様式を端的に示してもいる。

 神のごとき『光学』の著者が投げかける真理の光は角度が悪く、そのままでは下界に届かない。そこでシャトレ夫人の登場だ。数学や物理の研究をともにした最愛の女性から霊感を受けたヴォルテールは、科学に詩の言葉を与えるべく一心に原稿に向かう。

 とっつきにくい理系の知識を文学として語り直すという試みはフォントネルを嚆矢とする。『世界多数問答』Entretiens sur la pluralité des mondes での哲学者と侯爵夫人との対話が示すように、科学は楽しみながら教示されることが望まれたが、この扉絵には、フォントネル流の雅な雰囲気には見られなかった貪欲な知への意志が窺える。

 ニュートンを端緒に改革された自然科学は新たな自然観を生み、それまで当然とされていたあらゆる問題の再考をせまった。目も眩むような広大さを見せつける自然を前に、知性はあまりに狭小だ。この自覚は逆説的に理性への信頼を強め、科学を武器に自然の本質に分け入ろうとする情熱、ダランベールが後に言う「精神の全的沸騰」を発酵させることになった。熱にうかされた人々は諸科学を有機的に関連付けようと試み、そこで仮想的共同体が形成されるのを意識するに至った。光をめぐって三者三様の振舞いを見せる扉絵の人物たちは、文理を越えたこの「沸騰」を分かち合い、一丸となって知を生産しようとする彼らの似姿なのだ。

 この共同体は「文芸共和国 République des lettres」と呼ばれ、住人は「文人 gens de lettres」を自認した。複数の lettres は、文系の学芸全般に関わる書物由来の知識を表すが、強調すべきは、そこにおける科学者の位置だ。「科学 science」や「科学的 scientifi que」という語があったにもかかわらず、今日の「科学者 scientifi ques」という呼称はきわめて稀で、彼らは他の文系知識人と同様「文人」としてひとまとめにされていたのである。書物に記された言葉の威光は根強く、この事実は「文」の「理」にたいする影響力の一端を示す例ともいえるだろう。

 ヴォルテールの著作のタイトルにある「哲学 philosophie」という語にも注意が必要だ。当時この語は今よりも古典的な意味に忠実で、事物の奥に隠された本質や法則を探り当てようとする学問、およびその手法を意味しており、「数哲学Philosophie mathématique」、「農地哲学Philosophie rurale」、「動物哲学Philosophie zoologique」 な ど、至るところに哲学があり得た。『プリンキピア』と略されるニュートンの書名にもラテン語で「自然哲学」の表現があるが、それは全宇宙を統べる物理法則に関わる学問全般を指し、「ニュートン哲学」と言えば彼が提唱した理論と科学的方法を指した。ディドロとダランベールの『百科全書』Encyclopédie に付された知性と学芸の 分類表「人知体系図 Système figuré des connaissances humaines」を見ると、哲学からすべての「科学」が派生していることが分かる。してみれば、今日文系学問の象徴と見られがちな哲学は、18世紀 ヨーロッパでは「理(ことわり)を探る学問系」=「理系」の親玉だったわけだ。そればかりか言語学や法学、心理学など、現行の文系に数えられる学科のもとになる多くの学問も「科学」として理系学科と同列の位置を占めていた。こうした適度にゆるやかな学科区分からなる「共和国」の住人たちはその国土を縦横無尽に駆け巡り、あらゆる問題に首を突っ込み、議論、研究し、成果を主張できたのである。

 したがって、詩人にとって科学は相容れないどころか必須だった。自然を模倣するために研究することは、詩作という創造行為の前提だったのだが、この一連の活動は、理性に導かれる想像力という知性の理想形を提示する。無軌道な想像力は自然に関する知識を歪めるものでしかないが、科学で武装した理性によって制御されたとき、それは「天才」としてあらゆる分野で成果を上げ、ときに新たな学科を創設すると期待された。

 こうした知の様式を背景に、18 世紀の自然科学がどのように実践されていたかを探るのがこの連載の目的だ。毎回、人物あるいはテーマを取り上げながら、現代の感覚では思いもよらない知の生産の場に立ち会うことができればと思う。

◇初出=『ふらんす』2016年4月号

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著者略歴

  1. 中村英俊(なかむら・ひでとし)

    明治学院大学非常勤講師。18世紀仏文学。

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