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「昭和の鉄道少年ものがたり」栗原景

第9回 国鉄全線完乗キャンペーン「いい旅チャレンジ20,000km」

「ブルートレイン乗車」から拡大する夢

 まず前回の訂正から。

 前回、「エポック社の『日本旅行ゲーム いい旅チャレンジ20,000km』に出会ったのは(中略)昭和55年6月頃のことだった」と書いたが、これは記憶違いだった。このゲームを入手したのは昭和55年9月10日。僕の9歳の誕生日のことで、母方の祖母に買ってもらったものだった。祖母は音楽大学の教授で、各地を訪れる機会が多かったこともあり、昔から鉄道旅行が好きだった。当時僕の鉄道趣味の最大の理解者で、誕生日プレゼントに鉄道のボードゲームを買ってくれたのだ。


 ブルートレイン乗車を目指して貯金を始めて2年あまり。1980(昭和55)年秋になると、小学3年生の僕の興味は、ブルートレインと時刻表から特急列車やローカル線へと大きく広がっていた。「ブルトレ乗車」が夢の中心にありつつも、それ以外の列車にも乗ってみたい気持ちが膨らんでいた。


「ブルートレインには乗りたいけれど、九州まで往復してハイおしまい、じゃつまらない。もっと鉄道をすみずみまで楽しめるような楽しみ方はないかな」


 そんなことを考えていたところへ現れたのが、ボードゲームの外箱に記載されていた「いい旅チャレンジ20,000km」キャンペーンだ。1980(昭和55)年3月15日に始まった国鉄のキャンペーンで、国鉄全線乗車を国鉄が公式に認定するというもの。当時、新幹線を含め242線区あった国鉄路線に乗車し、各路線の始発駅と終着駅で駅名標と自分の顔が写った「証明写真」を撮影して事務局に送ると、「踏破」、つまりその路線を始発駅から終着駅まで全区間乗車したことを国鉄が認定してくれた。10線区賞、30線区賞など、区切りごとに賞状や記念品がもらえ、242線区を「完全踏破」すると、「国鉄総裁賞」として立派なケースに入った蒸気機関車の金属製模型が授与された。30線区賞からは最寄り駅の駅長から直接賞状と記念品を授与され、キャンペーンの期間は1990年3月14日までの10年間。今でいう「乗り鉄」向けの企画で、国鉄が自分の趣味を公式に認めてくれる、実に壮大な企画だった。


小学生のうちは日帰り限定で許可


 全国の国鉄線に乗るチャレンジで、しかも国鉄が正式に記録を認めてくれる。10年後の1990年春、僕は18歳だ。それまでに全国の国鉄線に乗ればいい。これだ。これしかない。

 躍り上がらんばかりに盛り上がった僕は、早速親に相談した。


「交通費は全部お小遣いでまかなうのはもちろん、少なくとも中学生になるまでは日帰りだけと約束できるならいいでしょう」


 親からすれば、難しい判断だっただろう。息子は「自分のお小遣いでブルートレインに乗る」という目標に向かって着々と貯金をしている。九州まで行くブルートレイン乗車を認めて、自宅周辺の日帰り旅を認めないのはおかしい。だが、九州とはいえ単純に往復するだけのブルートレイン旅に対し、国鉄路線を「踏破」するチャレンジは乗り換えが多く難易度は高い。しかも息子はすでに相当な金額を貯金しており、関東甲信くらいならすぐにでも行けてしまう。


 そこで親が出した条件は、次のようなものだった。


 ・予定表を事前に提出し、親の承認を得た旅行のみ可。絶対に勝手に出かけない。

 ・予定表に沿って、乗り換え駅では必ず公衆電話から家に電話する

 ・一人旅許可証を持参し、大人に何か言われたら見せる

 ・子どもを食べさせるのは親のつとめだから、弁当(または食費)と水筒をもたせる


 こうして、僕の「一人旅」は突然、一気に実現に近づいた。


赤字に苦しむ国鉄の増収施策だった「チャレンジ」


 国鉄が、「いい旅チャレンジ20,000km」という大規模なキャンペーンを開始した背景には、年々厳しさを増す国鉄の財務状況があった。東海道新幹線が開業した1964(昭和39)年に初めて単年度赤字に転落した国鉄は、その後坂道を転がり落ちるように赤字額を増やし、1979(昭和54)年度には1年間の損失額が8,218億円、累積赤字は6兆円に達していた。そこで国鉄はさまざまな増収施策に取り組んだ。


 1978(昭和53)年7月、河出書房新社から宮脇俊三『時刻表2万キロ』が刊行され、ベストセラーとなった。当時中央公論社常務取締役(刊行直前に退社)だった宮脇氏が、趣味で国鉄全線を「完乗」するまでの紀行エッセイで、ユーモアを交えた静かな筆致と、出版社の重役が「趣味で国鉄全線に乗る」という意外性が受け入れられたのだ。これをきっかけに「国鉄全線完乗」あるいは「乗りつぶし」という遊びがレールファン以外にも注目されることとなり、赤字に苦しむ国鉄の増収策として企画されたのが「チャレンジ」だった。


 国鉄は、目先の増収策ではなくかなり本気で「チャレンジ」に取り組んだ。まず、雑誌「旅の手帖」や「大時刻表」(現・JR時刻表)を刊行する弘済出版社(現・交通新聞社)と提携し、同社内に「いい旅チャレンジ20,000km推進協議会事務局」なる国鉄らしい名称の部署を設置。チャレンジャーから送られてくる膨大な「証明写真」とデータを処理するため、専従の職員を置いた。さらに写真メーカーの富士フイルムとタイアップし、エポック社とバンダイからボードゲームを発売。フジテレビ系列でドラマとドキュメンタリーを融合させた番組「いい旅チャレンジ20,000km」を放送するなど、大々的なキャンペーンが行われた。レイルウェイ・ライター種村直樹氏の「レールウェイ・レビュー」(中央書院)によれば、国鉄は10年間で約40万人の会員を集め、75億円の増収を見込んでいたらしい。実際の会員数は約5万人に留まり、増収効果も限定的だったが、国鉄は約束通り「いい旅チャレンジ20,000km」を10年にわたって継続。JR化後の1990(平成2)年3月まで続くことになる。


山手線を最初のターゲットに定める


 さて、ボードゲームのパッケージには、「まずどこでも良いから1線区踏破をして、証明写真を事務局に送る」と書いてあったが、始めるからには詳しいルールを確認する必要がある。そこで、中野ブロードウェイの明屋書店で、ルールブックである『いい旅チャレンジ20,000km ときめきの踏破パスポート』(弘済出版社/400円)を購入した。入会申請には、1線区の起点と終点で撮影した証明写真のほか、「踏破パスポート」に添付された会員申込書に必要事項を記入して、顔写真2枚と切手を貼った返信用封筒とともに送る必要があった。


購入した『いい旅チャレンジ20.000kmときめきの踏破パスポート』。

 最初の1線区目は、自宅からも近い山手線に決定。証明写真を撮るためのカメラは、父親が持っていたミノルタの一眼レフを借りた。小学3年生には重く巨大で、ピント合わせも難しい代物だったが、自宅の並びにあったカメラ店、日東カメラで基本的な扱い方やフィルムの出し入れ方法を教えてもらった。フィルムは、チャレンジの協賛メーカーである富士フイルム…といいたいところだが、一番安かったサクラカラーの24枚撮りフィルムを購入した。


 山手線は環状運転をしているが、正式には品川駅が起点で田端駅が終点。田端〜東京間は東北本線、東京〜品川間は東海道本線に乗り入れる形になっている。だから、山手線を「踏破」するには品川駅から外回り電車に乗って、新宿駅を経由して田端駅まで行けばよい。そこで、中野駅から中央線快速電車で東京駅へ行き、品川駅に移動して田端駅まで山手線を踏破。神田駅からまた中央線快速に乗って中野駅に戻る。


 当時は、スマホどころかパソコンもほぼない時代。首都圏の国電区間の詳しい時刻を知る術はなく、プランはだいたいの所要時間と乗り換え駅を記すしかなかった。東京駅と神田駅で家に電話をする約束をして、準備は整った。山手線踏破の決行日は、1980(昭和55)年11月30日、日曜日と決めた。


【昭和の鉄道メモ】


『時刻表2万キロ』(宮脇俊三/河出書房新社)


 中央公論社の常務取締役でレールファンでもあった宮脇俊三が、週末しか休みの取れない会社員生活のなか、時刻表を駆使して国鉄全線完全乗車(完乗)を達成した過程をつづった紀行エッセイ。1975(昭和50)年の正月に残存区間が2,700kmになったところから始まり、1977(昭和52)年5月に足尾線(現・わたらせ渓谷鉄道)で全線完乗を果たすまでの2年間の旅が語られる。有名出版社の役員でありながらそれを感じさせない素朴な筆致、タクシーで乗り遅れを取り返そうと必死になるも運転手に対しては冷静を装うといったユーモアが絶妙なバランスでまとまった作品で、今、鉄道にあまり興味がない人が読んでも楽しめる。宮脇俊三は、本書の刊行を機に中央公論社を退社、昭和と平成を代表する紀行作家として活躍した。

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著者略歴

  1. 栗原 景(くりはら・かげり)

    1971年、東京都生まれ。旅と鉄道、韓国を主なテーマとするフォトライター、ジャーナリスト。著書『東海道新幹線の車窓は、こんなに面白い!』(東洋経済新報社)、『テツ語辞典』(絵:池田邦彦、誠文堂新光社)、『アニメと鉄道ビジネス』(交通新聞社)、『鉄道へぇ~事典』(絵:井上広大・米村知倫、交通新聞社)、『国鉄時代の貨物列車を知ろう――昭和40年代の貨物輸送』(実業之日本社)など多数。

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