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「昭和の鉄道少年ものがたり」栗原景

第4回 ブルートレインに乗りたい

高嶺の花だった大型時刻表

 昭和53年、時刻表の読み方を覚えた小学1年生の僕は、時間を忘れて時刻表を読みふけった。今この瞬間、日本じゅうを走っている列車が全部わかる。それは、何か特別な能力を得たような気分だった。今風に言えば、思春期の少年が「自分だけ特別な力が備わった」ように空想する「中二病」の状態だったかもしれない。時刻表を開くと自然と笑みがこぼれ、親戚から「かげりは時刻表を読んで笑っている、大丈夫なのか」と冗談半分で心配される有様だった。

 当時、時刻表はいくつかの出版社から販売されていた。最もメジャーだったのが、日本交通公社(現在のJTBパブリッシング)が発行していた『国鉄監修交通公社の時刻表』だ。1925(大正14)年創刊、国鉄の公式時刻表であり、駅や旅行会社などに備えつけられている時刻表はほぼすべてこれだった。そのライバル的存在が、弘済出版社(現在の交通新聞社)の『大時刻表』だ。1963(昭和38)年に『全国観光時刻表』として創刊され、1978年当時はA4判という大きな判型で私鉄やバスなど会社線のページが充実していた。この時刻表は、国鉄分割民営化とともに『JR時刻表』に衣替えし、現在はJRグループ公式時刻表となっている。

 もっとも、当時僕が読みふけっていたのは、そのどちらでもなかった。大型の時刻表は500円と高価だったし、我が家の場合は黒姫駅までの時刻さえ確認できればよかったので、もっと安価な小型時刻表を購入していたからだ。小型時刻表は、交通公社の『全国小型時刻表』や弘済出版社の『全国版のコンパス時刻表』などがあり、価格は300円程度だった。前者は『国鉄監修』とほぼ同じ表記で見やすかったが、私鉄や路線バスが掲載されていなかった。後者はある程度路線バスも載っていたものの、弘済出版社独自の発着時刻の「時」を省略するスタイルがどうも合わなかった。250円とさらに安価な『小型全国版の総合時刻表』(弘済出版社)などもあったが、コンパクトな代わりに一部の駅が省略されていた。

 僕が好んだ時刻表は交通案内社が刊行していた『日本時刻表』だ。300円という手頃な値段とB6判の持ち運びしやすいサイズで、国鉄は全駅掲載。会社線もそこそこ掲載されていた。同社からは、唯一の文庫本サイズである『ポケット時刻表』も出ており、我が家ではこれを一番よく買っていたように思う。



『日本時刻表』1981年2月号

 まだインターネットなどがない時代、時刻表は多くの出版社からさまざまなタイプが販売されていた。『日本時刻表』と『コンパス時刻表』は2004年1月号を最後に刊行を終え、交通案内社も解散し現存しない。

小学1年生ブルートレインに乗りたがる

 1978(昭和53)年10月2日、国鉄は全国ダイヤ改正を行い、特急・急行列車の愛称番号は下りが奇数、上りが偶数に統一された。時刻表はどのページを見ても面白かったが、僕が好んで見たのは、やはりブルートレインだ。現在は電子書籍でも複刻されている『交通公社の時刻表』1978年10月号を開くと、ブルートレイン・ブーム真っ盛りの寝台特急たちがずらりと並ぶ。

 東京発のブルートレインの一番手は、16時30分に発車する長崎・佐世保行き「さくら」だ。続いて16時45分に西鹿児島(現・鹿児島中央)行き「はやぶさ」が、17時に熊本・長崎行き「みずほ」が発車する。その後は夕方の通勤ラッシュ時間帯のため1時間空き、18時に日豊本線経由西鹿児島行き「富士」、18時20分浜田行き「出雲1号」、18時25分博多行き「あさかぜ1号」、19時下関行き「あさかぜ3号」、19時25分宇野行き「瀬戸」、そして20時40分に出雲市行き「出雲3号」と紀伊勝浦行き「紀伊」と、次々にブルートレインが出発していく。いずれも、現在の東北・北陸新幹線の位置にあった12・13番線から発車し、ホームには特別な空気が流れていた。最後に22時45分発大阪行き寝台急行「銀河」が発車して、東京駅の1日は終わる。

 カメラを持った少年ファンが殺到したのもこの時間帯だ。特に16〜17時台に発車する「さくら」「はやぶさ」「みずほ」は、学校帰りに立ち寄って夕食前に帰宅できるとあって、少年ファンの人気が高かった。「あさかぜ1号」が発車すると少年の姿は減り、「瀬戸」「紀伊」あたりまで残る子は、ちょっとやんちゃなイメージがあった。

 東京駅に集まる少年ファンを「不良少年」と見る向きもあり、我が家もどちらかというとそう思っていたようだ。僕自身はまだ小学1年生だから、東京駅にブルートレインを見に行こうとは思わなかった。

 見に行こうとは思わなかったが、乗りたいとは思った。時刻表があれば、ブルートレインに乗るのなんて簡単だ。「さくら」なら、東京駅を16時30分に発車して、終着・長崎駅には翌日の11時40分に着く。折り返し16時14分発上り「さくら」に乗れば、3日目の11時30分に東京駅に到着する。1本の列車で行って帰ってくるだけなのだ。全然難しいことじゃない。

「ブルートレインに乗りたい。乗る」

 もうすぐ冬になる季節、僕は親に向かって言った。

 

昭和の鉄道メモ
交通案内社の時刻表

 交通案内社は戦後まもない時期に設立された出版社で、2004年に廃業するまで『日本時刻表』と『ポケット時刻表』を刊行し続けた。時刻表以外の商品をほとんど扱わない小規模な出版社だったが、手頃なサイズ感から書店のほか全国の駅の売店(キヨスク)で取り扱われた。『日本時刻表』『ポケット時刻表』とも1950(昭和25)年頃に創刊。多くの旅人に愛用されたが現存数は少なく、国会図書館にも1961(昭和36)年以降の号しか収蔵されていない。

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著者略歴

  1. 栗原 景(くりはら・かげり)

    1971年、東京都生まれ。旅と鉄道、韓国を主なテーマとするフォトライター、ジャーナリスト。著書『東海道新幹線の車窓は、こんなに面白い!』(東洋経済新報社)、『テツ語辞典』(絵:池田邦彦、誠文堂新光社)、『アニメと鉄道ビジネス』(交通新聞社)、『鉄道へぇ~事典』(絵:井上広大・米村知倫、交通新聞社)、『国鉄時代の貨物列車を知ろう――昭和40年代の貨物輸送』(実業之日本社)など多数。

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