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「昭和の鉄道少年ものがたり」栗原景

第8回 ボードゲーム「いい旅チャレンジ20,000km」とめぐりあう

名作ホビーが次々登場した昭和55年

 1980(昭和55)年春、僕は小学3年生になった。お小遣いは2年生時の週70円から月400円に「昇給」。「ブルートレイン貯金」はお年玉を中心に順調に貯まり、7000〜8000円くらいになっていた。7000円あれば、子供料金なら特急〔ひばり〕で上野から仙台まで往復できる。「ブルートレインに乗る」という夢は着実に近づいていた。
 

 僕の昭和55年は、「ドラえもん」に始まった。3月15日、ドラえもん初の劇場版「ドラえもん のび太の恐竜」が封切りとなり、僕も自宅が営む喫茶店の常連さんに連れられて、新宿駅東口の新宿武蔵野館へ見に行ったのだ。コロコロコミックで連載された原作もしっかり読み込んでいたが、映画館のスクリーンで大活躍するドラえもんやのび太、ジャイアンたちに大興奮。同時上映の「モスラ対ゴジラ」も、映画館で初めて見るゴジラ映画で、「ドラえもんを映画館で見たい」「ゴジラを映画館で見たい」という二つの夢が同時にかなった気がした。
 

 一方この年は、今の時代に続くさまざまなホビー商品が登場した年だ。4月28日、任天堂が初の携帯型ゲーム機「ゲーム&ウオッチ」の第一弾「ボール」を発売。7月31日発売の「ファイア」で人気に火が付き、後のファミコン・ゲームボーイブームにつながる任天堂の快進撃が始まった。
 

 7月25日には、ルービックキューブが日本で発売。同じ月にはバンダイ模型から「機動戦士ガンダム」シリーズのプラモデル、通称「ガンプラ」の第一段が発売された。いずれも、やがて日本中に大きなブームを巻き起こすことになる。
 

ボードゲームが全盛期
 

 もっとも、これらのブームが僕の周囲にまで降りてくるのは、もう少し後のこと。この頃、僕たちにとってゲームといえばボードゲームだった。外では手打ち野球やケイドロ、家の中ではボードゲームというのが定番だ。
 

 僕はほとんどボードゲームを持っていなかったから、いつも同級生の家に通って遊んだ。特に流行ったのが、エポック社の「野球盤」シリーズとバンダイの「おばけ屋敷ゲーム」だ。後者はおばけ屋敷を探検し、「力」「知恵」「勇気」という3つの「まよけカード」を使って古今東西のおばけと対決するゲーム。「知恵と勇気で勝負だ!」がクラス(のごく一部)の流行語だった。定番の「人生ゲーム」や「ダイヤモンドゲーム」は、親戚が集まった時に遊ぶちょっと高級なゲームだった。
 

 ボードゲームにも、鉄道を題材にした商品があった。最も人気があったのが、タカラの「日本特急旅行ゲーム」だ。〔ひかり〕〔はやぶさ〕〔白山〕といった実在の国鉄特急列車を利用して全国を旅するゲームで、駅弁や沿線観光地の情報もあり、今で言う「知育」を兼ねたゲームだった。
 

 「日本特急旅行ゲーム」は同級生の前田くんの家で遊んだが、僕も自分用の鉄道ゲームがほしかった。
 

珍しく買ってもらえたボードゲームの外箱が人生を変える
 

 中野ブロードウェイのおもちゃ屋で、エポック社の「日本旅行ゲーム いい旅チャレンジ20,000km」に出会ったのは、ちょうどその頃。昭和55年6月頃のことだった。
 

 「日本特急旅行ゲーム」が、485系エル特急〔ひばり〕の写真を大きく載せていたのに対し、こちらはEF65形1000番代が牽引するブルートレイン〔はやぶさ〕がメイン。「特急を利用しながら目的地を往復し、より多くの線区を踏破した人が勝つゲームだ」と書かれており、「日本特急〜」よりもストイックな鉄道ゲームのようだ。なんとしてもほしい、と思った。
 

 そして、僕はこのゲームを買ってもらうことに成功する。誰に、どうやって買ってもらったのかは覚えていない。パッケージに「楽しく遊びながら路線・都市・特急を覚えよう」とあったのが良かったのかもしれない。
 

 

 「いい旅チャレンジ20,000km」は、春・夏・冬休みを利用して、全国の国鉄路線を「踏破」するゲームだ。当時の国鉄は全国に242線区があったが、ゲームでは幹線を中心に45線区が再現され、各線区を起点から終点まで乗車すると「踏破」となる。プレイヤーは目的地カードを引き、手持ちの特急カードを活用して東京駅から目的地までを往復、さらに休み期間終了までに1線区でも多くの踏破を目指す。目的地まで往復したり、各線区を踏破したりするたびにポイントを獲得し、冬休み終了時点で最もポイントが多いプレイヤーの勝利だ。「忘れ物をしたので5駅戻る」といったアクシデントカードはあったが、本当に全線踏破を目指す、なかなかストイックなゲームだった。
 

 このゲームが、僕のその後の人生を変えた。パッケージに、国鉄がその年の3月15日からスタートさせた、実際の「いい旅チャレンジ20,000km」キャンペーンの紹介コラムが掲載されていたのだ。

 
 「現在、国鉄で進行中の『いい旅チャレンジ20,000km』キャンペーンとは、1980年3月15日より1990年3月14日までの間に、国鉄全線242線区を踏破しようという雄大な『新しい旅』の仕方だ」

「どこでもよいから一線区を踏破し『いい旅チャレンジ20,000km推進協議会事務局』へ申請すれば、あなたもチャレンジ会員に登録され、チャレンジカードが発行されます」(エポック社「いい旅チャレンジ20.000km」外箱より)
 

 
 コラムには、僕とあまり年齢の変わらない少年が、東京駅と鹿児島駅の駅名標をバックに写っている写真も掲載されていた。

 
 国鉄全線を「踏破」だって?
 

 ブルートレインの旅は、九州まで寝台特急で往復したら終わる。でも、「いい旅チャレンジ20,000km」キャンペーンに参加すれば、ブルトレの旅が終わった後も、ずっと鉄道の旅をできるじゃないか。こんな少年がやっているのなら、僕にだってできるはずだ。
 

 僕は、とんでもないものを見つけてしまったと興奮していた。
 

 

【昭和の鉄道メモ】
 

日本特急旅行ゲーム
 

 1979(昭和54)年に玩具メーカーのタカラ(現・タカラトミー)が発売したボードゲーム。プレイヤーは旅人となり、「味の旅」「祭りの旅」「自然の旅」といった「ガイドブック」を1冊選び、掲載された全国の駅を特急列車を利用してめぐる双六タイプのゲームだった。時刻の概念があって、ヘッドマーク付きの特急券を持っていても、「時刻表」に記載された時間帯にしか乗れないというのがリアル。その後「新日本特急旅行ゲーム」「JR特急旅行ゲーム」と進化し、平成期にはセガサターンとプレイステーション版「DX日本特急旅行ゲーム」も発売された。現在もNintendo Switchなどで販売されている「桃太郎電鉄」シリーズは、本作と「モノポリー」の要素を活かして発展させたような印象だ。

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著者略歴

  1. 栗原 景(くりはら・かげり)

    1971年、東京都生まれ。旅と鉄道、韓国を主なテーマとするフォトライター、ジャーナリスト。著書『東海道新幹線の車窓は、こんなに面白い!』(東洋経済新報社)、『テツ語辞典』(絵:池田邦彦、誠文堂新光社)、『アニメと鉄道ビジネス』(交通新聞社)、『鉄道へぇ~事典』(絵:井上広大・米村知倫、交通新聞社)、『国鉄時代の貨物列車を知ろう――昭和40年代の貨物輸送』(実業之日本社)など多数。

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