白水社のwebマガジン

MENU

「昭和の鉄道少年ものがたり」栗原景

第5回 ブルートレイン貯金を始める

「自分のお金で乗るなら、ブルートレインに乗ってもよい」

「ブルートレインに乗りたい」

 ピンクレディーの「透明人間」が大ヒットし、土曜夜には「8時だヨ!全員集合」で志村けんが大活躍していた1978(昭和53)年秋。小学1年生で、時刻表の愛読者となっていた僕は、「ブルートレイン乗車」の夢を親に訴えた。

 当時、我が家は東京都中野区で喫茶店を営んでいた。家族旅行は夏休みの長野県野尻湖滞在だけ。縁もゆかりもない九州への寝台列車旅行など夢のまた夢だったが、親からの返事は意外なものだった。

「自分のお金できっぷを買うのなら、乗ってもいいよ」

 親としては、自分でお金を稼げるようになるまで我慢しろ、というニュアンスだったのかもしれない。だが、僕は前向きに受けとった。「お小遣いさえ貯めれば、ブルートレインに乗れるんだ」

 当時の僕の小遣いは週50円。3歳年上の姉と同じなら2年生には週70円、3年生になると月額制になるはずだ。お年玉も全部貯めれば、何年かで乗れるのではないか。

 よし、お小遣いを全部貯める。ぜったいに、ブルートレインに乗るんだ。

 列車は、長崎行き寝台特急「さくら」がいい。東京駅の発車時刻が16時30分といちばん早く、明るい時間からたっぷり楽しめる。それに「さくら」は三段寝台だ。「あさかぜ」「はやぶさ」といった列車はこの年から二段寝台の24系25形が投入されていたが、頭がつかえず居住性が高いぶん、寝台料金は三段寝台よりも1000円高かった。小学生の僕は三段寝台でも頭はつかえないだろうし、「さくら」なら寝台を長時間、安く楽しめるだろう。乗車中に、中段寝台を上げ下げして座席モードと寝台モードを切り替える「寝台のセット・解体作業」も見られるはずだ。朝の寝台解体作業は7時頃に行われるそうで、早起きしなくちゃいけないのは残念だけど、三段寝台こそが「本当のブルートレイン」だ。

広島駅に停車中の寝台特急「さくら」CC-BY-SA Spaceaero2 1984

昭和53年、小学生がブルートレインに乗るにはいくら必要か

 では、実際のところいくら貯金すれば、ブルートレイン「さくら」で長崎駅まで往復できるのか。当時の時刻表を見てみよう。

 1978(昭和53)年当時、国鉄の初乗り運賃は80円だった。東京都区内から長崎までの片道運賃は9000円。子供は半額だから4500円だ。片道601km以上を往復乗車券として購入すると、往復割引が適用されて帰りの運賃が2割引(当時)。帰りは3600円となり、東京都区内〜長崎間の子供往復運賃は8100円である。

 次に特急料金だ。東京〜長崎間の特急料金は、801km以上の最も高い指定席料金が適用されて3100円、子供半額で1550円。現在は、座席指定料金は寝台料金に含まれるという考え方から、特急料金は自由席と同額が適用されるが、当時は指定席特急料金が適用された。往復とも「さくら」に乗るなら3100円だ。

 最後に、寝台料金だ。客車三段式の寝台料金は上中下段いずれも3500円で、大人子供同額。往復で7000円となり、予算全体に占める割合がとても大きい。寝台車は、鉄道少年にとって非常にハードルの高い、高価な設備だった。

 往復乗車券8100円、特急料金3100円、寝台料金7000円で、合計1万8200円。これだけ貯金すれば、憧れのブルートレインに乗って、長崎駅まで往復できる。週50円の小遣いでは、1万8200円を貯めるには7年かかる計算だが、お小遣いは毎年上がるしお年玉だってある。「お小遣いさえ貯めればブルートレインに乗れる」のは実に魅力的だった。

 お小遣いを貯めるなら、貯金箱が必要だ。当時は100円ショップなんて存在しない時代。貯金箱を購入すれば、それだけで数カ月分の小遣いが吹き飛んでしまう。貯金箱がほしいと言うと、ミントキャンディーの空き瓶をもらえた。早速手持ちの50円を入れようとふたを開けると、ミントのにおいがした。ブルートレインへの道はここからだ。だから、僕は今でも「ブルートレイン」と聞くとミントのにおいを思い出す。

 こうして、ブルートレインに乗るための貯金が始まった。

昭和の鉄道メモ
国鉄運賃値上げと寝台料金

 1970年代、「寝台」は国鉄列車の中でも究極にぜいたくな設備だった。座席車のない寝台特急に乗車するには、特急券とは別に必ず寝台券が必要で、しかもグリーン券と同様子供でも半額にならなかった。東京〜博多間で二段式B寝台を利用すれば、特急料金(3100円)と寝台料金(4500円)の合計は7600円。新幹線の特急料金(7000円)よりも高価だった。

 寝台料金は、国鉄運賃値上げの影響をまともに受けた。1両あたりの定員が少なく、物価上昇の影響を吸収しようとすると、1人当たりの料金を大幅に上げるしかなかった。

 1972(昭和47)年3月の客車三段寝台の料金は上・中段が1100円、下段が1200円だった。山陽新幹線が博多まで開業した1975(昭和50)年3月は上・中段が1300円、下段が1400円。当時は第一次オイルショックによるインフレが進んでいたが、それほど上がっていない。当時国鉄運賃の改定には国会での法改正が必要で、「インフレ抑止」の名の下に値上げが押さえ込まれていたからだ。

 1976(昭和51)年11月6日、物価からかけ離れてしまった国鉄運賃を適正水準に引き上げるため、実に平均50.4%という大幅な運賃値上げが実施された。この時、最も大きな影響を受けたのが寝台料金だ。客車三段寝台の料金は、1975(昭和50)年11月に上中下段一律2000円に値上げされた後、1976(昭和51)年11月の「5割値上げ」では一律3000円に再度値上げ。わずか2年で2倍以上の金額になってしまった。1978(昭和53)年以降は法律が改正されて国会の議決を経なくても運賃を改定できるようになり、以降JR発足まで国鉄は毎年のように値上げを繰り返すことになる。1978(昭和53)年2月に3500円となった三段寝台の料金は、1981(昭和56)年に4000円、1982(昭和57)年に4500円と引き上げられ、1984(昭和59)年には5000円に達した。12年間で4倍以上に値上がりしたのである。

タグ

バックナンバー

著者略歴

  1. 栗原 景(くりはら・かげり)

    1971年、東京都生まれ。旅と鉄道、韓国を主なテーマとするフォトライター、ジャーナリスト。著書『東海道新幹線の車窓は、こんなに面白い!』(東洋経済新報社)、『テツ語辞典』(絵:池田邦彦、誠文堂新光社)、『アニメと鉄道ビジネス』(交通新聞社)、『鉄道へぇ~事典』(絵:井上広大・米村知倫、交通新聞社)、『国鉄時代の貨物列車を知ろう――昭和40年代の貨物輸送』(実業之日本社)など多数。

フランス関連情報

雑誌「ふらんす」最新号

ふらんす 2025年6月号

ふらんす 2025年6月号

詳しくはこちら 定期購読のご案内

白水社の新刊

フラ語フレーズ集、こんなの言ってみたかった!

フラ語フレーズ集、こんなの言ってみたかった!

詳しくはこちら

白水社の新刊

声に出すフランス語 即答練習ドリル中級編[音声DL版]

声に出すフランス語 即答練習ドリル中級編[音声DL版]

詳しくはこちら

ランキング

閉じる