第2回 きみがパリにいるのは:『パリ、ジュテーム』
『パリ、ジュテーム』(2006) Paris, je t’aime
監督・脚本: コーエン兄弟、
オリヴィエ・アサイヤス、グリンダ・チャーダほか
主演: ジュリエット・ビノシュ、
ジェラール・ドパルデュー、レイラ・ベクティほか
ふらんす2016年5月号
表紙絵: ヒラノトシユキ 表紙写真: 神戸シュン ブックデザイン: Gaspard Lenski et 仁木順平
きみがパリにいるのは
前回は『最強のふたり』を取り上げ、パリの「内」と「外」という、2つの世界について触れました。そしてこの内側の世界について言えば、これはラテン語由来の形容詞を使って、intra-muros(「城壁内の」)と表現されることがあります。しかもこれ、単なる比喩ではないんです。というのもパリは、ローマ時代からず~っと、その時々の城壁に守られてきた都市だからです。今パリの境界を形作っている環状高速道路もまた、その最後の城壁を撤去したあとに建設されたものです。
で、今回取り上げるのは、これも人気作である『パリ、ジュテーム』Paris, je t’aime(2006)です。このフィルムは、18人の監督によるオムニバス映画で、各作品はそれぞれ、パリのどこかを舞台とし、5分ほどの短編に仕上げられています。(『パリ、ジュテーム プレミアム・エディション』は、ボーナスDVD&地図&冊子付き。ちょっとお高いですが、購入してもいいかも。見るときは、必ず地図で確認しながら、そして1本1本を区切るように見るのがグッド。印象がずっと鮮明になります。)18本の中には、ナタリー・ポートマンやイライジャ・ウッドの出演作、あるいはコーエン兄弟の監督作などもあり、それぞれとってもソソラレルのですが、ここでは、ウォルター・サレスとダニエラ・トマスという、みずから「移民」を名乗る男女が共同監督した、「16区から遠く離れて」に注目してみましょう。
高層階の部屋の窓から、夜明け前の団地群が見えています。突然目覚まし時計が鳴りだし、一人の若い女性が身を起こします。彼女の一日の始まりです。
彼女は赤ちゃんを抱っこし、団地群をつなぐ歩行者デッキを歩いています。周囲の通勤客には、移民系の人が多いようです。やがて保育所に到着。ここに赤ちゃんを預けて仕事に向かうようなんですが、ああ、赤ちゃんが泣き始めてしまいました。彼女はやさしく、スペイン語で子守歌を歌い始めます。♪わたしのおてては可愛いの、わたしのお口も可愛いの、神様がくれたんだ……。
その後彼女は、まずバスに揺られ、それから「パリ」へと通じる混みあったRER(首都圏高速鉄道網)に乗り換え、降りてからは長い地下通路を延々と歩き、今度はメトロでやっと座ることができたのもつかの間、さらに別のメトロに乗り継ぎ、やっとの思いで到着したのは、お金持ちの街16区にある、瀟洒(しょうしゃ)な邸宅でした。もちろん、と言うべきでしょうか、彼女が入ってゆくのは勝手口からです。そうです、彼女はこの家で、メイド兼ベビーシッターとして働いているのです。マダムは今日、予定外の残業を求めてくるでしょう。
この、ほとんどセリフのないフィルムの主題は、「移動」ということに尽きます。それは「距離」といっても、「パリの構造」といっても同じことです。たとえば東京でも、中心部には地下鉄網があり、新宿や渋谷からは私鉄が郊外に延び、さらにその郊外の駅からバスに乗って帰るというのは、決して珍しいことではありません。パリでもまたそのように、空間は構造化されているわけです。このフィルムは、さまざまな音やカメラの揺れを通して、この旅のありようを教えてくれます。
主人公アナを演じているのは、コロンビア人女優カタリーナ・サンディーノ・モレーノ。(『そして、ひと粒のひかり』(2004)では、貧しさから麻薬の運び屋になる女性を、『ファーストフード・ネイション』(2006)では、食肉工場で働くメキシコ人不法移民を演じています。)そして彼女はスタッフとともに、ヒロインのアナがここパリにいる理由について、とことん話し合ったといいます。アナはどこで、どんな両親のもとに生まれたのか、いつ誰とパリに来たのか、この赤ちゃんの父親と、彼女はどんな関係を結んだのか。彼女は、そしてこの小さな赤ちゃんは、これからどんなパリを生きていくのか……。
ただしこのフィルム自体は、これらの具体的事情について、何も語ってはくれません。だからこそ、この愛すべき掌編の観客たちもまた、アナの物語を想像してみなければならないのでしょう。アナはなぜ、ここパリにいるのか……。今度は、あなたが想像する番です。(拙著『エキゾチック・パリ案内』(平凡社新書)では、『パリ、ジュテーム』の「セーヌ河岸」と「ショワジー門」の2編をみっちり読み解いています。よろしければ!)
◇初出=『ふらんす』2016年5月号