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清岡智比古「映画の向こうにパリが見える」

第7回 駆け落ちはおまえと:『セリ・ノワール』

『セリ・ノワール』(1979) Série noire
監督:アラン・コルノー
脚本:アラン・コルノー、ジョルジュ・ペレック
出演:パトリック・ドヴェール、マリー・トランティニャン

 

ふらんす2016年10月号 表紙絵:星野ちいこ  表紙写真: 神戸シュン  ブックデザイン: Gaspard Lenski et 仁木順平 

ふらんす2016年10月号
表紙絵:星野ちいこ  表紙写真: 神戸シュン  ブックデザイン: Gaspard Lenski et 仁木順平 

 

駆け落ちはおまえと

 『女と男のいる舗道』(1962)の中で、ヒロインであるナナが未来の情夫と出会ったのは、とあるビストロでのことでした。その時、店の片隅のジュークボックスから流れていたのは、ジャン・フェラの歌うMa môme。♪おれの女は若手女優ってわけじゃない。工場で働いてるのさ、クレテイユの。おれたちが暮らす家具付きの部屋、窓にガラスは1 枚だけで、そこから見えるのは倉庫と屋根だけ……。

 今回取り上げるのは、このクレテイユを舞台にした映画『セリ・ノワール』(1979)です。「セリ・ノワール」(暗黒叢書)とは、戦後すぐガリマール社から刊行が開始された、英米のミステリーの翻訳を中心とする叢書の名前です。(後にはフランス語の作品も多様に展開。)

 このフィルムの原作となった『死ぬほどいい女』(1954 年刊行。仏訳は「暗黒叢書」から1967 年に。日本では2003年に翻訳され、「このミス(テリーがすごい!)」の海外部門5位に)は、1950年代のアメリカ郊外を舞台とする傑作小説ですが、それを映画化するにあたり、監督のアラン・コルノーは大胆にも、舞台を1978年のクレテイユに移し替えました。彼は、両者の荒み方に同じ匂いを嗅ぎとっていたのでしょう。

 クレテイユは、メトロ8号線の東の終点。パリに行ったことのあるあなたなら、Créteil という綴り、メトロの行き先表示板で目にした記憶があるかもしれません。クレテイユ= プレフェクチュール駅は、クレテイユ・ソレイユ(←韻を踏んでます)という、フランス有数のショッピング・モールと繫がっています。ここはほんとに、平日でさえ多民族でごった返す空間なんですが、特にユダヤ人の姿は多く見かけます。(「クレテイユのユダヤ人のように幸福」という言い回しさえあるようです。)マルシェも魅力的ですが、モールというのは、今や単なるグローバリズムの手先という存在を越え、ナニカアルゼと感じられる空間ですね。

 それにしてもなぜ、この映画の時間的舞台が「1978年」だと言い切れるのかといえば、それは、「バビロンの河」(ボニー・M)や「マニョリア・フォーエヴァー」(クロード・フランソワ)を始め、劇中で流れるすべての曲が、1978年のヒット曲だからなんです。当時の観客は、ああ「今」なのね、と思ったことでしょう。そしてその頃クレテイユは、「ヌーヴォー・クレテイユ」と呼ばれる都市計画の遂行途上にあり、「工場」と「倉庫と屋根」の時代は、まだ終わっていませんでした。

 冒頭に映し出されるのは、茫漠たる荒れ地です。そこここの水溜り、打ち捨てられた岩、剝きだしの土と背の高い雑草。その背景には、クレテイユ市庁舎が無愛想に立ち、建設中の高層ビル、大型スーパー、プランタン(→現在はクレテイユ・ソレイユに)も見えます。そして、小雨が降り雷が轟く荒れ地のただ中、古ぼけて汚れた車から、主人公フランクが降り立ちます。この荒れ地こそ、フランクの精神そのものであり、だからこそ彼は、何度もここに戻って来ることになります。駆け落ちすることにした美しい娘と。あるいは、殺人の罪をなすりつけるつもりの飲んだくれ男と。

 訪問セールスマンとして働くフランクは、小さな家(パヴィヨン)に妻と暮らしています。とはいえ彼は、このちっぽけな仕事を続ける気はさらさらなく、妻はといえばほとんどアル中です。彼はある日訪ねた家で、老女が若い娘に売春させていることを知ります。娘はフランクに好意以上のものを抱き、そして二人は、老女を殺して金を奪い、さらに、その罪をギリシア系移民ティキデスになすりつけることにします。やがて、計画は実行されます。老女も、ティキデスも殺してしまいます。さらにフランクは、犯罪に気づいた妻までも手にかけてしまうのです。あとは、娘と逃げるだけ……。

 主演したパトリック・ドヴェールの鬼気迫る演技は、原作の持つきわめてすさんだ精神性を見事に視覚化し、この役はもう彼しかできないと思わせます。残念なことに、彼はこの映画の公開から3年後に自殺してしまったのですが、だからこそ、この『セリ・ノワール』は見ていただきたいフィルムです。

 映画の舞台となった荒れ地は、今では完全に整備され、クレテイユ芸術センターが建っています。けれども1978年のクレテイユは、この『セリ・ノワール』に描かれることで、開発が急速に進行しながらも、その中心に荒涼たる風景を抱く郊外の街として、わたしたちの記憶にとどまることになったのです。

◇初出=『ふらんす』2016年10月号

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著者略歴

  1. 清岡智比古(きよおか・ともひこ)

    明治大学教授。仏語・仏語圏の文化・都市映像論。著書『エキゾチック・パリ案内』『パリ移民映画』。ブログ「La Clairière」 http://tomo-524.blogspot.jp/

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