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清岡智比古「映画の向こうにパリが見える」

第3回 パリとテロと恋模様:『欲望のあいまいな対象』

『欲望のあいまいな対象』(1977) Cet obscur objet du désir
監督:ルイス・ブニュエル
脚本:ルイス・ブニュエル、ジャン=クロード・カリエール
主演:フェルナンド・レイ、キャロル・ブーケ、アンヘラ・モリーナ

 

表紙絵: 田中麻記子  表紙写真: 神戸シュン  ブックデザイン: Gaspard Lenski et 仁木順平

ふらんす2016年6月号
表紙絵: 田中麻記子  表紙写真: 神戸シュン  ブックデザイン: Gaspard Lenski et 仁木順平

 

パリとテロと恋模様

 『パリ、ジュテーム』にも登場する「モンソー公園」は、エトワール広場からなら北東方向に歩いて15分ほど。夏ともなれば、広い芝生には若者グループがそこここに寝そべり、ショパン像が見守る子供広場も大にぎわいです。ジョガーや、散歩しているご年配も多いし。

 今回取り上げる映画は、この公園のすぐ近くに住む初老のブルジョワ男性が主人公です。その作品とは、『欲望のあいまいな対象』(1977)。監督は、スペインからの亡命者として生きたルイス・ブニュエルです。彼のこの遺作では、早くも、パリを含むヨーロッパ諸都市におけるテロが捉えられています。

 7 年前に妻を亡くしたマチューは、ある夜、新しく入ってきた若く美しいメイド、コンチータに言い寄ります。この時彼女は、不意に姿を消してしまうのですが、その後なぜか、あちらこちらで出会うことになり、マチューはやがて彼女の虜に……というお話。

 物語としては、一見単純にも見えるのですが、これがシュルレアリスト・ブニュエルの手にかかると、眩暈(めまい)なくしては見られない傑作に変身します。中でも驚かされるのが、コンチータが 2人の女優によって演じられたこと。1人2役ならぬ、2人1役です。しかも、シャネルのモデルもつとめたクール・ビューティー、キャロル・ブーケと、スペイン人アンヘラ・モリーナの2人は、単純に2つの性質──冷淡さと情熱──を分かち持つのではなく、それぞれがそれぞれに、魅力的な矛盾となって、マチュー(=観客)の前に現れるのです(時にキャロルは、アンヘラの声を発しさえします)。そうしてコンチータは、きわめて「あいまいな対象」になってゆくのです。

 この「あいまい」さにクラクラすること、それがこの作品を見る醍醐味なのは間違いありません。ただしこのクラクラ感は、マチューとコンチータの間にある「階層」の差を認識することで、より立体的なものになってくるようです。確認しましょうか。

 マチューはいつも仕立てのいい服を着、執事とともに豪邸に暮らす大ブルジョワです。一方18歳のコンチータは、10年前にスペインから母親とパリに移民してきて、今もやっと、メイドの仕事で食いつなぐ状況です。2人の間にある「階層」差は、歴然としていますね。しかも! それは「空間」を通して描かれることで、さらに強調されることになります。

 マチューの豪邸は、あのモンソー公園から伸びるレンブラント通りにあります。当時ここはパリの1等地でした。かたやコンチータ母娘が暮らすのは、「パリ」の北西郊外、クールブヴォワの荒れ果てた界隈です。2つの世界の対比はあからさまで、ほとんど戯画的なほどです。

 さらにもう1つ興味深いのは、2つの空間の現在の姿です。前者は今も変わらず重厚で格調高い住宅街ですが、母娘が住んでいたルイ・ブラン通り rue Louis Blanc, Courbevoie は……、なんたる変わりよう! 再開発の結果、片側2車線の通りは広く明るく、母娘の面影はもう探しようもありません。おそらくブニュエルは、こうして消えてゆく運命にあることを知った上で、あえてこの場所を舞台に選んだのでしょう。母娘の住む黒ずんだ古家が映し出されるとき、その背後には必ずビル群の上半身が現れるのですが、実はこれ、当時開発真っただ中だったラ・デファンスの雄姿です。再開発の足音は、移民母娘のすぐそばまで迫っていたのです。2 人の記憶は、その家とともに、やがてパリから抹消される……。

 この作品には、パレ・ロワイヤルや白鳥の島なども登場しますが、最後に注目したいのはやはり、エンディングの舞台となるパッサージュ・ショワズールです。

 パッサージュ内には、テロリスト同盟が結成されたことを告げるラジオ放送に続き、『ワルキューレ』の「愛の二重唱」が流れてきます。(♪愛の夢が、またわたしのものに帰ってくる。)その歌を聴きながら、レース織物店のショー・ウインドーに見入る、マチューとコンチータ。そして……爆発。この映画では、さまざまなテロが描かれるのですが、ついにこのパリ中心部でも、爆弾テロが起こったのです。その意味合いはもちろん、たとえばシャルリ事件とは違うでしょう。でも、わたしたちが生きる不安の風土は、この時代のそれと地続きです。そこに見出せるのがどんな文脈なのか、それに答えるのは簡単ではないとしても。

 パリとテロと恋模様。観てみます?

◇初出=『ふらんす』2016年6月号

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著者略歴

  1. 清岡智比古(きよおか・ともひこ)

    明治大学教授。仏語・仏語圏の文化・都市映像論。著書『エキゾチック・パリ案内』『パリ移民映画』。ブログ「La Clairière」 http://tomo-524.blogspot.jp/

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