白水社のwebマガジン

MENU

小沼純一「詩(うた)と歌(うた)のあわいで」

第8回 変容の表現者、ヴィアン

 近現代どこでもそうかもしれないが、文系理系と安易に分ける無頓着な風潮はあとをたたない。ヴィアンは出自としては理系エリートだったし、就職先もその方面でないとはいえなかった。だが、それ以外の活動は文系理系あるいは芸術系とおよそ旧弊な枠とは無縁だった。小説、詩、作詞、劇作、翻訳、さらに歌手、俳優……。そんなことを考えることさえなくもっとノンシャランに自らのやりたいようになる。自由さを堪能していたのではなかったか。

 ハードボイルドではレイモンド・チャンドラー『大いなる眠り』や『湖中の女』、SF ではヴァン・ヴォークト『非 A の世界』といったアメリカ合衆国の小説を訳す。通俗的な小説を探して翻訳するよう依頼されると、自分で書いた方がはやいと、ヴァーノン・サリヴァンなるアメリカ人が書きものを翻訳したとのふれこみで偽ハードボイルド小説『墓に唾をかけろ』を書く。他方、奇天烈でありつつ美しい恋愛小説『うたかたの日々』を書く。

 『うたかたの日々』は 1968 年、2013年にそれぞれ映画化されていることはよく知られていよう。原題の L’Écume desjours は『日々の泡/うたかたの日々』と極東の列島では異なったタイトルで複数の翻訳がでる。独自に翻案・映画化がなされ、マンガ化されていることも忘れるべきではない。これを読んで仏文科に来たという学生が(少し前は)いたものだった。早川書房からは 1970 年代後半より『ボリス・ヴィアン全集』が出版されたのも先見の明があったというべきか、あるいは、ちょっとへそまがりだったというべきか。

 ヴィアンがうたの世界に足を踏みだしたのは、音楽好きであるだけでなく、小説への悪評価から、狭い文学の世界にうんざりしたからだともいう。

 もともと音楽が好きだった。兄弟や友だちとアマチュア・ジャズ・バンドを率い、クラブ「ル・タブー」でトロンピネットを吹いた。心臓に疾患があったからこの楽器はかなり負担だ。やめることになるのは当然だったにしても、不満は大きかっただろう。かわりにレコード制作に携わる。これは前回もふれたとおり。また雑誌「ジャズ・オット Jazz Hot」(1935 年創刊)などの雑誌にジャズの紹介、批評を、レコードのライナーノートを書く。ジャズ評は辛辣だが、アメリカの雑誌記事をまぜたりしたうえで自らの言い分を加えるところなど、どこか植草甚一を想起させられたりも。そう、『ジャズ・カントリー』や『ジャズ・イズ』を書いたナット・ヘントフ(1925 年生)とヴィアン(1920 年生)はほぼ同世代。ヴィアンを、フランスだけではなく、もうちょっと広いところでみてみるなら、けっこう合衆国のコラムニストとつながるものも浮かびあがってくるような。

 音楽とかかわった詞についてだけでもそのスタイルは多様だ。シャンソンと一括りにするのは容易だが、この列島で「歌謡曲」とか「ポップス」と言っても時代によって変わっていったように、シャンソンだって変わっていった。ことばをのせる音楽が、ブルース、ジャヴァ、カリプソ、ロックンロールと。

 たとえばミシェル・ルグランがアメリカ旅行をして帰国する。カバンのなかにはロックンロールのレコードが何枚かはいっていた。そこからヴィアンとルグランによるフランス初のロックンロールが生まれる。歌うはアンリ・サルヴァドール。

 サルヴァドールは重要なパートナーだが、歌い手はほかにもたくさん。ジュリエット・グレコ、マガリ・ノエル、ムルージ、フレール・ジャック。

 いわゆる「シャンソン=うた」のしごとだけではない。もともと熱心だったジャズとのかかわりは変わらない。デューク・エリントンやマイルス・デイヴィスといったアメリカのジャズ・ミュージシャンがパリを訪れたとき、ヴィアンは欠かせぬ存在だった。

 1958年、モダン・ジャズが銀幕にひびくことになった『死刑台のエレべーターAscenseur pour l'échafaud』。ジャンヌ・モローがけだるく夜の街を歩く姿に重なるマイルス・デイヴィスのミュート・トランペット。ヌーヴェルヴァーグとジャズとを結びつけたルイ・マルの記念碑的な作品にマイルスを提案したのはほかならぬヴィアンだ。そしてもちろん、サウンドトラック盤のライナーノートも。

 意外といえば意外、いや、どんなことでもやってしまうというところでは特に意外でもないのに、オペラのリヴレットがある。

 中世の円卓の騎士伝説にもとづく《雪の騎士》は、音楽劇(1953)からオペラ(1957)へと発展を遂げる。これは、のちにトリュフォーをはじめ多くの映画の音楽を手掛けるジョルジュ・ドルリューとのしごと。またダリウス・ミヨーのオペラ《フィエスタ》(1958)というのもあった。

 もしヴィアンがずっと生きつづけていたらどうだったろう。今年でもまだ100にはならないから、ありえないではない(ちょっと誇張か)。ロックンロールからロックへ、そしてレゲエへ、ヒップホップへ。そんなヴィアンを想像するのは可能か不可能か。

 

◇初出=『ふらんす』2016年11月号

タグ

バックナンバー

著者略歴

  1. 小沼純一(こぬま・じゅんいち)

    音楽・文芸評論家。早稲田大学教授。著書『ミニマル・ミュージック』『音楽に自然を聴く』

フランス関連情報

雑誌「ふらんす」最新号

ふらんす 2024年12月号

ふらんす 2024年12月号

詳しくはこちら 定期購読のご案内

ランキング

閉じる