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小沼純一「詩(うた)と歌(うた)のあわいで」

第6回 ひとつの間奏曲として、クルト・ヴァイル

 ジョゼフ・コスマがパリにやってきた時期、ベルリンからパリへやってきたユダヤ系の作曲家がいた。クルト・ヴァイルである。こちらはコスマより 5 つ年長、1900 年生まれ。

 フンパーディング、ブゾーニに師事したヴァイルだが、詩人・劇作家ベルトルト・ブレヒトと出会ったことで方向が大きく変わる。声を、ことばをつかった、舞台の作品が創作の中心となる。《三文オペラ》(1928)が、《ハッピー・エンド》(1929)が、《マハゴニー市の興亡》(1930)が生まれた。

 すでに雲行きが怪しかった状況が、1933 年、大きく変わる。1 月 30 日、ナチス政権掌握。2 月 27 日、国会議事堂放火事件。ブレヒトはこの翌日に病院を抜けだし家族と国外に脱出。ヴァイルもドイツを飛びだした。

 ヴァイルのパリ滞在は 33 年から 35年と長くなかった。その間、内外に出掛けることもしばしばだったのだが、それでいてしごとが停滞していない。そしてヴァイルの生涯をみるうえで、ひとつの屈折点となるのがパリとみえる。つまりブレヒトとの最後の作業《七つの大罪》が、劇場作品ではない最後のオーケストラ作品《交響曲第 2 番》が書かれているのがこの土地であり、ドイツ語のテクストにもとづいた曲からフランス語でのけっして多くはない作品へと移行しているのだ。

 一応年代を追いながら記せば、こんなふうになる─ 1933 年 6 月《七つの大罪》(シャンゼリゼ劇場)初演。同年 11月、ラジオ・ドラマ『ファントマ』。1934 年 12 月『マリー・ギャラント』(テアトル・ドゥ・パリ)。そして《第 2交響曲》(アムステルダム・コンセルトへボウ)。

 《七つの大罪》のテクストはドイツ語。ballet chanté 、すなわち、通常のバレエでもオペラでもない、歌って踊られる独自のスタイルをとる。

 初演は 1933 年 6 月 7 日、シャンゼリゼ劇場。依頼は前年の 12 月、ヴァイルがパリで会った富豪にしてシュルレアリスム詩人、エドワード・ジェイムズから受けた。ヴァイルはすぐブレヒトに連絡をとる。ブレヒトは北イタリアのカローナにいて、短期間パリに出てヴァイルと打ちあわせ、テクストを書く。

 舞台ではジョージ・バランシン、パスカー・ネーアーの演出・振付、ロッテ・レーニャ、ティリー・ロッシュが「アンナ」のⅠとⅡを演じた。レーニャもロッシュも歌手であると同時に女優、前者はヴァイルのつれあい、後者はジェイムズの当時のつれあいにして映画女優として知られる人物。ジェイムズはもともとヴァイルと自分のパートナーをクローズアップする舞台として作品を構想していた。タイトルは当然聖書に由来するが、ルイジアナからでてきた娘が各地を移動しつつ、しかし「七つの罪」の誘惑を回避しながら稼いでゆくというテクストにはブレヒトとヴァイルがドイツを離れて幾つもの街をめぐって、との状況を反映してもいる。

 ドイツもしくはドイツ語とのつながりを持っていた《七つの大罪》に対し、ラジオ・ドラマ『ファントマ』は、もっと複雑なつながりのなかでつくられた。ヴァイルについて語られることは少ないけれども、ここでアントナン・アルトー、ロベール・デスノス、アレッホ・カルペンティエールらとヴァイルが一堂に会し、複合的なメディア作品をつくりあげられたのだった(千葉文夫『ファントマ幻想』青土社を参照)。

 『マリー・ギャラント』は1931年に出版されたジャック・ドゥヴァルの小説をもとにした一種のフランス語ミュージカル。原作は同年、スペンサー・トレイシー主演、ヘンリー・キング監督で映画化もされている。舞台そのものは4週間しか続かなかったものの、ドゥヴァルとロジェ・フェルネイがテクストを書き、ヴァイルが曲をつけたシャンソンは、その後も単独で演奏されつづけることになる。〈ボルドーの娘たちLes Filles de Bordeaux〉など、ブレヒト・ソングのメロディーを部分的に転用している曲もあるが、〈私は船を待ってるのJ’attends un navire〉など、しっかりフランス風シャンソンになっていながら、ヴァイルの手になることを意識して聴くと、なるほど、どこかべつの香りも漂ってくるようにも感じられる。

 シャンソン歌手、リス・ゴーティのためにモーリス・マーグルの詞に作曲した〈セーヌ哀歌Complainte de Seine〉〈愛してないのJe ne t’aime pas〉、そして、『マリー・ギャラント』とのつながりからロジェ・フェルネイの詞で書かれた〈ユーカリ~タンゴ・ハバネラYoukali, Tango Habanera〉は、「ヴァイルのシャンソン」としてヴァイル・シンガーのレパートリーにしっかり収まっている作品だ。オーストラリア原産のユーカリが、ひとつの憧れの地として描かれ、たとえば田辺秀樹は「どんなに熱望してもどこにも見つからないユートピアに寄せる思いは、亡命者ヴァイル自身のものだったのかもしれない」と、奈良ゆみのCDアルバム『クルト・ヴァイル Berlin-Paris-New York』(ALCD-7189, 7190)のライナーノートで記している。

 ヴァイルはイギリスを経由して1935年秋にはアメリカ合衆国に渡り、かの地でアメリカのオペラを、ミュージカルを、50歳の突然の死まで書きつづける。合衆国へむかう船のなかでドイツ語は忘れたと言ったヴァイルにとって、フランス語はどんなことばだったのか……。

 結婚し離婚しまた結婚し、というロッテ・レーニャはヴァイルのソングを広め、いまでも独仏英、3つのことばのうたは独自のレパートリーをかたちづくっている。

 

◇初出=『ふらんす』2016年9月号

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著者略歴

  1. 小沼純一(こぬま・じゅんいち)

    音楽・文芸評論家。早稲田大学教授。著書『ミニマル・ミュージック』『音楽に自然を聴く』

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