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小沼純一「詩(うた)と歌(うた)のあわいで」

第5回 天井桟敷の人々

 マルセル・カルネ×ジャック・プレヴェールの映画『天井桟敷の人々』は2つの部分に分かれる。どちらもはじめに、トロンプ・ルイユというのだろうか、絵に描いた緞帳が映しだされる。芝居が始まると舞台を叩いて告げる合図があって、音楽が始まる。クレジットが映しだされる─。

 音楽、のクレジットに注目する。と、モーリス・ティリエ、つづいてコンセルヴァトワール管弦楽団と指揮のシャルル・ミュンシュの名がでてくる。だが、しばらくするともう一度でてくるのだ。「占領下での非合法協力 partitipationclandestine」として、美術のアレクサンドル・トローネルとならんで「音楽 ジョゼフ・コスマ」の名が。そうだ、想いおこさなくてはならない。この映画はヴィシー政権下で 3 年以上かけてつくられたのだ。そして、この二人、ともにハンガリー出身のユダヤ系。山田宏一のインタヴューにトローネルはこう応えていたものだった─「わたしたちは名前をださずにこっそりと働くしかなかった」(p.44)と。

 『天井桟敷の人々』がこの列島で公開されたのは 1952 年 2 月。フランスではまだ第二次世界大戦が終わっていない1945 年 3 月だったから、ほぼ 7 年が過ぎていたことになる。

 戦争が終わって、対戦国の映画が公開されるようになり、戦前戦中戦後を問わず、50 年代にはフランス映画を発見する人たちが少なからずいた。その時期から 60-70 年代くらいまでは、アメリカ合衆国以外の文化がごくふつうに紹介されたし受け入れられた。いまとは大きく違う。そのときだってもちろんすべておなじなどでは全然なかったのだけれど。こうしたフランス映画やフランスの絵画や音楽、ファッションが、仏文科・フランス文学科への進学を推進したことは言うまでもないし、そうしたところに行かなかったとしても、フランス文化からの影響は巷にそこはかとなく漂っていた。ビューティ・サロンや洋菓子店の名にそれらしき名がつけられているのも偶然ではなかった。この映画も多くの人たちに影響を与えた。劇団の名に「天井桟敷」とつけた寺山修司をはじめとして、だ。

 プレヴェール/カルネによる大作映画の舞台は 19 世紀のパリ。あらすじをたどるつもりはないが、役者フレデリック・ルメートルや犯罪者にして詩人ピエール・ラスネールとか実在した人物をもとにしているところもひとつの奥行きになっている。

 さまざまな音が、音楽がひびいている。「犯罪大通り」は賑やかだ。そして、劇場のなかも喧しい。舞台でも、舞台裏でも、役者は声をはりあげる。観客が騒ぐ。ヴァイオリンを持った指揮者はオーケストラをそのなかで何とかまとめてゆく。バティスト(ジャン=ルイ・バロー)が掏摸の現場を再現するパントマイムに重なる音楽と笑い声、そして喧噪。

 うたがあらわれるシーンが、映画のなかに、ある。

 バティストに案内された宿で、フレデリック(ピエール・ブラッスール)はベッドの上、シェークスピアを読んでいる。だが本を投げだし、休もうとしたところ─歌声を耳にする。隣の部屋からだ。窓をあけ、フレデリックは声をかける、「ガランス!」

 一回会って話をした、それだけの女性が歌声だけで同定できるのかどうか、は問わない。いやいや、役者だから耳がいいのかもしれないし、そうした勘が特にはたらくのかもしれない。それはともかく、そこにガランス(アルレッティ)が姿をあらわす。歌っていたのは「わたしはわたしよJe suis comme je suis」。伴奏も何もついていない、鼻歌のようなうた。

 このうたは、ふたたび、第2部のなかにあらわれる。モントレー伯爵(ルイ・サルー演じる)の屋敷、これまたガランスはひとりで歌っていて、伯爵は部屋の外で耳にする。そして問うのだ。「変だね。私が留守だと唄を歌って、帰ると、たちまち歌いやめる」と。 

 《わたしはわたしよ》は、シャンソンとして馴染んでいる人も多かろう。ジュリエット・グレコの、か。ガランスの内的な自由さ、ある意味での頑さとでもいうべきものが、この詩/詞ではさりげなく示されている。うたには、伴奏もなく、最後まで歌われることもなく(現場ではのちに『パロール』に収められるようなかたちでは完成されなかったらしい)、途中で切れてしまう。ほんとうにさりげない、さりげないがゆえに、真実であるようなうた。もし、先にシャンソン《わたしはわたしよ》に親しんでいたとして、これが『天井桟敷の人々』のなかにあることにはなかなか気づけないかもしれない。それは《枯葉》が『夜の門』にあったのに気づかなかったのに似ていないでもない。そしてそのとき、非合法の、密かな、といった意味の語、clandestinがふたたび浮かびあがってきたりもする(この語は『春の大舞踏会』の、薩めぐみの歌った曲のなかにもあった)。

 コスマはパントマイムの大御所、そして『天井桟敷の人々』にでてくるガスパール・ドビュローにつらなるマルセル・マルソーのために、舞台のための音楽《バティスト》を書いている。その音楽は『天井桟敷の人々』の音楽が転用されているが、残念ながら、《わたしはわたしよ》は一節たりともあらわれることがない。そういえば、フレデリックや伯爵はその歌声を耳にしたというのに、バティストは、愛しあってはいても、この声を聴く機会を持たなかった。

 

参考:『天井桟敷の人々』、解説・シナリオ採録 山田宏一、ワイズ出版、2000

 

 

◇初出=『ふらんす』2016年8月号

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著者略歴

  1. 小沼純一(こぬま・じゅんいち)

    音楽・文芸評論家。早稲田大学教授。著書『ミニマル・ミュージック』『音楽に自然を聴く』

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