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小沼純一「詩(うた)と歌(うた)のあわいで」

第4回 薩めぐみ/春の大舞踏会

 プレヴェールが 1977 年 4 月に亡くなってから何年か。池袋の西武美術館のあるフロアの一角で、その詩が歌われていた。よく知られたスタンダードなシャンソンではない。フランス語を理解できたとしてもどれだけの人がこの詩人のテクストだとわかったかどうか、わからない。21 世紀になってもかわらず「プレヴェールのうた」として本や CD としてリリースされるもの、スタンダードなシャンソンとして親しまれているプレヴェールとはあきらかに異なったものだった。

 女性の声は低い。歌いあげるというよりは、朗読がそのままメロディに変容したかのよう。ときにはささやきやため息さえもまじっているかのようで。かといって、朗誦 récitation ではけっしてない。うた、である。そして楽器は、いや、エレクトリック・ピアノやシンセサイザーのサウンドは、声に寄り添っているのではなく、声とともにこそあった。

 Et ce qu’il voit est si beau / et ce qu’ilsait est si vrai / que bien peu peuvent le voir / que bien peu peuvent le savoir / etque beaucoup l’ont oublié(そしてかれがみるものはあまりに美しく/かれが知るものはあまりにほんとうだったから/ごくごくわずかの人だけがみることができ/ごくごくわずかの人だけがしることができ/多くの人は忘れてしまっていた)

 Jacoues Prévert chanté par MegumiSatsu は 1979 年にリリースされた LP で、いまは渋谷文化村や初台オペラシティにある Nadiff の前身、ART VIVANT が輸入・販売をしていた。お店の人はこっそりと、でも、うれしそうに話してくれたものだ。このアルバムはここ─このART VIVANT という店に揃えてある音楽─からできているんだよ。ブライアン・イーノやジャーマン・ロック、ミニマル・ミュージックというようなね。

 ヌーヴェル・ヴァーグの映画作家たちがプレヴェール/カルネの古き良きフランス映画にうんざりしていたのと近いのかもしれないが、ところどころで耳にはいってくるシャンソンはいいとして、いわゆる「シャンソン」にじっくりとつきあってこなかったわたしは、このアルバムだけはくりかえしくりかえし聴いた。そして、ここで用いられているプレヴェールの詩がはいっている『春の大舞踏会/ロンドンの魅惑』を、『パロール』よりもずっと愛読した。

 『春の大舞踏会/ロンドンの魅惑』は、イジスの写真とともに 1951 年につくられた、もとはべつべつの詩/写真集。詩のみは 2 冊まとめて Folio 版で読めるのだが、長らく、写真集をみることは叶わなかったし、それほど写真に執着してもいなかった。何よりも薩めぐみのアルバムがパリとロンドンの街を、第二次世界大戦が終わってそれほど経っていない時期の街をそのままとらえていたから。それに「現代詩手帖」では詩人が亡くなったとき、特集を組み、そこには窪田般彌訳でいくつか読むことが、またイジスの写真を見ることができた。いまのように、ほしいとおもってもすぐに手にとれる時代でもなかった。

 先に引いた詩は、アルバムの冒頭に収められた楽曲の最初のストローフだが、つづくストローフも引いてみよう。こんなふうだ─Et la vitre n’est même pas fêlée / elle est simplement brisée(窓ガラスはひび割れてなんかいなかった/ただ割れていた)

 これはどういうことなのか、ずっとわからなかった。わからないままだった。ことばとしてはわかっても、だ。それが、イジスとの詩と写真のコラボレーションを2008年にあらたなかたちで出版されたものをみて、そうなのか!と何十年来の疑問が解けたのである。いやそれこそ、ただ(simplement)、窓ガラスのところにいる子どもが写真に映っているのだ。

 いや、詩は写真を解説したり、逆に写真が詩を解説したりするわけではない。文字は文字で、詩として独立して読むことはいくらでもできるし、そこで想像がはたらくのが詩だ。それでいて、こうしてならべられていることで、腑に落ちることもある。ましてやプレヴェール、映画とつながりがつよかった人物ではなかったか。あらためて、テクストとヴィジュアルが結びついた作品においては、もともとのかたちを尊重すべきと納得したのであった。

 もうひとつある。建物のはしに鳥かごを窓の外に引っ掛けている写真があって、この詩はうたにはなっていない。だが、鳥かごのさまは、ほかでもない、前回とりあげたアニメーション『王と鳥』のいくつかのシーンを想いおこさずにはいないのだ。時期的にも重なっているので、実証はできないけれど、きっとプレヴェールもそのことをおもっていただろうなどと想像するのは楽しい。この写真とならんでいる詩にはMon petit charbonnier(愛すべき炭焼き屋さん)と、ta femme(あなたのつれあい)と呼びかけさえあるのだから、アニメーションの煙突掃除夫とつながってもおかしくはない。

 イジス、本名イジス・ビデルマナス(1911-1980)はユダヤ系リトアニア人。1930年にパリにやってきたが、この地でもナチスの拷問を受け、レジスタンスに助けだされて、戦後、人びとの姿を写真に撮るようになった。

 薩めぐみは札幌に生まれ東京での学生生活を経て、1970年に渡仏、以来、亡くなるまで2010年までパリに暮した。その最初のアルバムがこのプレヴェール。いまはもう知る人はすくないのかもしれないが、プレヴェールとうたといったら、わたしにはこの声が、このサウンドが欠かせない。

 

◇初出=『ふらんす』2016年7月号

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著者略歴

  1. 小沼純一(こぬま・じゅんいち)

    音楽・文芸評論家。早稲田大学教授。著書『ミニマル・ミュージック』『音楽に自然を聴く』

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