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小沼純一「詩(うた)と歌(うた)のあわいで」

第2回 《枯葉》から

 6月に2人のシャンソン歌手が最後の公演としてやってくる。コンサート時には92歳となるシャルル・アズナブール、それから2月に89歳を迎えたジュリエット・グレコ。この連載としてスポットをあてるべきなのは、後者、グレコだろう。最近リリースされたばかりの2枚組アルバム『メルシー』(RES-274 ~ 275)は、プレヴェール、ヴィアン、ゲンスブール、3人の曲が収められているのだから。

 プレヴェールのシャンソンは《私は私》と《枯葉》。アルバムの最初を飾るのが《私は私》だ。1981年からグレコの公演をおこなっている中村敬子は解説に書く。もとは「私のヒールは高すぎて/胴は反りかえりすぎている/乳房は硬すぎるし/アイラインは濃すぎる」だった詞を、これでは納得できないとグレコは詩人に言い、自らの書いたストローフを提示する─「私のくちびるは赤すぎて/歯並びは揃いすぎている/肌は白すぎて/髪の毛の色は黒すぎる」。

 詩作品なら、どうだろう。編集者がアドヴァイスすることはあるかもしれない。でも、4行をそっくり変えるなんてことはありそうにない。なんだよ、とおもったかもしれないが、歌い手その人と一体化するうた、他者と一緒につくりあげるうたである。自己主張ではなく、一歩退き、むしろ誰がつくったのか忘れられ、人びとの口の端にふと浮かぶようなうた。プレヴェールはそんなことをおもってグレコの言い分を聞いていた。そんなふうに想像してみる。

 あまりに有名な《枯葉》。イヴ・モンタンの持ち歌として知られるが、世界に広めたのはモンタンとグレコ双方の名を挙げるべき。英語圏ではクプレ(英語のヴァース)なしでリフの部分のみに詞がつけられ広まることになった。原詞とのつながりは稀薄なままに。

 《枯葉》、遡れば、モンタンが出演していた映画『夜の門』に、さらにはローラン・プティ振付によるバレエ『ル・ランデヴー』へと行き着く。

 プティの父親はパリ、レ・アールの近くでカフェを開いていた。厨房の裏、三人の男が話をしている。21歳の若者は、そうだ!とインスピレーションを得る。こうして生まれた『ル・ランデヴー』、先の三人が巻きこまれている。プレヴェール、ブラッサイ、コスマ。さらにピカソも。ここで生まれたジョゼフ・コスマのメロディ、パ・ドゥ・ドゥのメロディが『夜の門』へ転用される。1945年、第二次大戦が終結し、ハンガリーからドイツを経由してやってきたコスマもやっと落ち着いていたのではなかったか。

 『夜の門』は、マルセル・カルネとプレヴェールのコンビ、戦後の復活ではあったのだけれども、残念ながら興行的に失敗。コンビも解消。モンタンが口ずさむうたも鳴かず飛ばずとなった。そんな映画だから、極東の列島まで届くことはなく、銀幕で接する機会もないまま、ずっと経ってヴィデオになるまで名ばかりが交わされる作品だった。

 一方で、プレヴェールの名は戦後の空気のなかで少しずつ知られるようになってきていた。いや、名というよりも作品ばかりが独立して、だ。戦前や戦中の映画が公開され始めるようになって『悪魔が夜来る』(1942)が1948年、『霧の波止場』(1938)が1949年、そして極めつき『天井桟敷の人々』(1945)。この公開が1952年。プレヴェールだからではなく、長らく輸入されていなかったフランス映画が、時差を伴っていっせいにはいってきた。これは大きかった。ヨーロッパの、フランスの空気が映画をとおして届けられる。空気のなかにうたもあり、カルネの音符があり、プレヴェールのことばも、だ。

 イヴ・モンタンがスタジオで《枯葉》を録音するのは1949年、ジュリエット・グレコは1951年。この年、仏伊制作の映画『パリはいつもパリ』Paris esttoujours Paris で、このうたを歌うモンタンの姿がある。そしてゲンスブールが3枚目のアルバム『驚嘆のセルジュ・ゲンスブール』をリリースするのは10年後の1961年。そのはじめにあるのが《枯葉》へのオマージュ《プレヴェールのシャンソン》だった。

 比較的長い、語りのような3連符のクプレ、Les feuillesmortes se ramassent à la pelle(木から落ちた葉が掻き集められてゆく シャベルにはたっぷりと)とでてくると、枯葉が「à lapelle」、シャベルにたっぷりと、との量というイメージがつよくはたらき、それはDes jours heureux où nous étions amis(しあわせだった日々 ぼくたちが恋人だった日々)の時の重なりのイメージもあって、冒頭のOh je voudrais tant que tu tesouviennes(どんなに想いだしてほしいか)のtant のニュアンスをふりかえるかのよう。

 子どものときから意味もわからず、その音のうごきが、ミ#ファソド~、レミ#ファシ~、ドレミラ~、シ#ド#レソ~と、ミ- レ- ド- シと下降してきて、しかもそれぞれのフレーズの最後がドでつぎの始まりがレ、シからド、ラからシ、とつながってゆくさまがまさに枯葉がゆっくりと舞いながら落ちてくるのを連想していたものだったが、ここにはむしろフレーズから枯葉のさまを連想したかもしれないプレヴェールのイマジネーションこそに感嘆すべきだったのかもしれない。

 

◇初出=『ふらんす』2016年5月号

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著者略歴

  1. 小沼純一(こぬま・じゅんいち)

    音楽・文芸評論家。早稲田大学教授。著書『ミニマル・ミュージック』『音楽に自然を聴く』

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