第11回「マリ語③ヴォルガとウラルの民」田中孝史
皆さんはディアスポラ(英:diaspora)という言葉を知っていますか? 本来は「ユダヤ人の離散」を意味する言葉ですが、今ではその他の民族の離散や、本来の居住地以外の土地で暮らす民族集団の意味で使われています。
ロシア国内のマリ人のディアスポラを考えると、民族名を冠したマリ・エル共和国の他に、ウラル山脈に近いバシコルトスタン共和国と、マリ・エル共和国の北部にあるキーロフ州、ニージニー・ノヴゴロド州に住むマリ人がそれに相当します。ロシア連邦全土に55万人ほどいるマリ人が一番多く住んでいるのはもちろんマリ・エル共和国で、約29万人が住んでいます。次に大きなマリ人の居住地は、ウラル山脈に近いバシコルトスタン共和国で、約10万人のマリ人が住んでいます。このようにマリ人たちは、ヴォルガ川中流域からウラル山脈にかけて分布する民族なのです。
このバシコルトスタン共和国には、共和国名の由来となったバシキール人(共和国人口の約30%)の他、ロシア人(36%)、タタール人(25%)なども住んでいます。どの民族も大多数でない状況を反映してか、これら3つの民族語の教育も行われているほか、なんとマリ語(共和国人口の2.6%)の教育も行われています。住民の大多数をマリ人が占めているような地域に限ってのことですが、それぞれの民族語で教育を受ける権利が守られていることは、多民族国家ロシアの良い面であると言えるでしょう。
さて、日本語にも方言があるように、マリ語にも方言があり、大きく分けて次の4つの方言があるとされています。( )内にはそれぞれの方言が主に話されている地域を記しました。
牧地方言(主にマリ・エル共和国)
東方言(主にバシコルトスタン共和国)
山地方言(マリ・エル共和国西部のコズモデミヤンスクを中心とした地域)
北西方言(マリ・エル共和国北部、キーロフ州、ニージニ・ノヴゴロド州)
これらの方言は、境界が明確になっているわけではありませんが、おおよそそれぞれの地域で、それぞれの「お国言葉」が用いられているという風に理解して、問題ないと思います。ヨシカルオラで話されているマリ語は、バシコルトスタンに住むマリ人たちのマリ語と単語や発音の面で少し違いがありますが、文法を見ると大きく異なるところはありません。一方、山地方言と牧地方言、東方言の間には、相互の理解が困難になる程度の違いがあるのです。
そんなわけで、実はマリ語には「標準語」に相当するものが2つあるのです。文法的に近い牧地方言と東方言を基にして整備された牧地・東マリ語と、山地方言を基にして作られた山地マリ語です。マリ・エル共和国の「国家語」とされているのは、この2つの標準語であり、そのため、もともと山地方言が話されていた地域では、街路名を記した銘板や、学校で教育されるのも山地マリ語です。一方、広く「マリ語」として認知されているのは、牧地・東マリ語の方で、こちらの方が広く、より多くの人に話されています。
さて、そうすると上にあげた4つの方言のなかでも、北西方言だけは、どちらの標準語にも反映されていないことになります。その影響もあってか、現在では、行政の言語として用いられることもなければ、教育も行われず、出版物なども刊行されていないのです。北西方言の話者が多く住むキーロフ州やニージニー・ノヴゴロド州では、ロシア語の教育しか行われていないためです。そのため、4つの方言のなかでも、北西方言については、今後、話者数の大幅な減少が見込まれています。
しかし、潜在的には北西方言を話す人たちはまだまだいますし、自分の母語(ネイティブの言語)として愛着を持つ人もいます。なかには、自分たちの母語であるマリ語北西方言が使われるようになってほしいという希望をもって活動している人もいます。
私が出会ったユーラもそんなひとりです。マリ人の母親をもつ彼は、自分ではマリ語を話せませんが、マリ人として強いアイデンティティをもっています。一度は、別の町で新聞記者として働いていましたが、2007年ごろ生まれた村に戻り、マリ語が置かれた状況に、大変ショックを受けました。北西方言の存在感を高めるために、マリ語やマリの文化を紹介する新聞を創刊したり、ブログ記事を執筆したりする活動を始め、ついにはマリ語北西方言の話者が多く住む村に、私財を投じて、第二次世界大戦で命を落としたマリ人を追悼する記念碑を建てました。ここには北西方言で追悼の言葉が書かれています。これは、この方言で書かれ屋外に設置された唯一の例ではないかと思われます。
2007年にニージニー・ノヴゴロド州オシャル村(Ошары)に建てられた記念碑
「祖国のために命を捧げた、オシャル村のマリ人たちへ」とマリ語北西方言で書かれている。
ユーラの究極の願いは、マリ語北西方言の教科書が出版され、北西方言話者の家庭に生まれた子どもたちが、学校で北西方言を勉強できるようになることです。ヨシカルオラの国立マリ大学の研究者に依頼して、その作業に着手していますが、なかなか簡単にはいかないようです。その他にも、地元の行政に働きかけるだけでなく、マリの民族音楽(民謡)のバンドの一員として演奏するなど、地道な活動を続けています。また、マリの民族宗教の指導者になろうと宗教指導者の下で研修も受けています。私とのメールのやりとりは基本的にロシア語ですが、マリ語もできるようになってきたようです。
このままでは失われてしまいそうな言語や方言を守る取り組みは、ロシアだけでなく、世界のあらゆる場所で、もちろん日本でも行われています。私は、学会の発表だけでなく、大学の授業や高校生を対象にした模擬授業などで、マリ語のこと、とりわけ北西方言の現状とユーラの活動について話すようにしています。ユーラの村に調査に行った時に「いろんな場所で、自分たち北西方言話者のことを話してほしい。そして世界に、自分たちのことを知らせてほしい」と頼まれたことがきっかけです。
【執筆者略歴】
田中孝史(たなか・たかし)
東京外国語大学 高大連携支援室所属。専門はマリ語(テンス・アスペクト、社会言語学)。