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リレーエッセイ「世界のことばスケッチ」

第6回「中国語②」山崎直樹

「根無しリンガリズム」

 前回「各地の華語は…地域差がある」と書いたら、編集者氏から具体例を要求され困っている。もういろんな人が書いているから。ただ、それらの多くは語彙の違いについてで、音声、文法、慣習などを含む包括的かつ簡潔でわかりやすい解説は意外と見かけない(お薦めは『中国語ジャーナル』2010年3月号に遠藤雅裕氏が書いていた記事)。
 てっとり早く地域差を見るには、娯楽施設やテーマパークのウェブサイトを訪れ、多言語対応の選択肢に複数の「中国語」があれば、それらを見比べるのがよい。「タクシー」に“計程車”と“出租车”があり、「ジェットコースター」に“雲霄飛車”と“过山车”があり…。
 なお、「××のサイトでは、○○中国語と●●中国語では、字形が違うだけで、一字一句同じ表現だった」というばあいもあるが、それは地域差を考慮せず、どちらかの中国語を漢字だけ機械的に変換したものだと思う。
 インターネット上のコミュニケーションでは、身元不明の華語が入り混じって(わたしは「根無しリンガリズム」と呼んでいる)、他人の使う華語の特徴が地域差なのか、年代差なのか、個人的傾向なのかわかりにくい。また、ICTの発達により言語接触が容易に起こる今日では、「地域差」だけでは片づけられない現象もある。
 1例を挙げよう。「自転車」は、台湾では“腳踏車”で、中国では“自行车”だと説明されてきた。それは正しい。しかし、ある台北の若者は「“腳踏車”は日常の足、“自行车”は高級なスポーツ用というイメージ」と語ってくれた。接触の結果、両方が個人の語彙体系に共存しているわけだ。
 地域差の例をもう1つ。「わたし(我)にメニュー(菜單)を持ってくる」を表すとき、“拿菜單 給我”という形を使うことがある。これは、“拿菜單”(メニューを持つ)+“給我”(わたしに与える)という多重動詞句構造で、A地域でもB地域でも通じる。A地域ではさらに「電話をかける」にもこの構造をよく使う(打電話 給我)。ところがB地域の規範は“給我 打電話”という語順を良しとする。ただし、どちらの形もどちらの地域でも通じる。
 AとかBとかまわりくどい書きかたをしているのは、地域的な境界がどこかよく知らないからである。“給我”があとにくる形は一般に「南方的」といわれているが。
 ちなみに、“給我”は「わたしのため」という受益者を示すのにも使い、“給我收拾”(片づけてくれ)のような形を作る。しかし、ここで“給我”を使うと命令のように聞こえるから、“幫~”(~を手伝って)という動詞句を使った形(幫我收拾)がよいという人もいる。この感じかたには地域差と年代差との両方があるようだ。また、店員に対しては“給我~”でよいと思っている人も、“幫我”のほうが上品だとは思うらしい(わたし自身は「どの地域でも人に何か頼むときは“幫我”のほうが安全だ」という方針)。
 ……とまあ、こんな差異を、特定地域に結びつけて規定するのは難しい。ならば、特定の規範に拘らない「ゆる華語」でいいかな、結果として「根無しリンガリズム」になってもいいでしょ、と思っている。

【執筆者略歴】
山崎直樹(やまざき・なおき)
関西大学外国語学部教授
専門分野: 言語教育学、中国語学
現在の研究テーマ: 言語教育のユニバーサルデザイン化、言語教育におけるインクルージョン

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