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宮下志朗「モンテーニュ『エセー』を読む」

第11回 「確かな線は引かない」描き方(1)

 『エセー』について書いていると、ついつい断章や短文をピックアップして話をつなげることで、なんとか整合性を保とうとする。でも、本当は、もっと作者の筆法に寄り添わないといけない。そこで今回は、モンテーニュの思考の軌跡を辿ることにしたい。彼は、「直線であれ、曲線であれ、確かな線はいっさい引かないのが、わたしの流儀」(3・9「空しさについて」)と明言していて、これは旅についての議論で飛び出した発言なのだけれど、『エセー』全体についてもいえそうだ。では、いかなる描線となっているのか、「人食い人種について」(1・30)を例に見ていきたい。時として「善き野蛮人の神話」のひとことで整理されてしまうこの章を再読する。

 冒頭、異国の民を「蛮族」と呼んでいたギリシア人が、ローマの軍隊の配置を見て、「蛮族」らしからぬことに驚いた挿話などが紹介される。「野蛮」という、本章のキーワードの提示だ。そして、「世間一般の考え方」ではなく「理性の道」に従って判断すべきことが述べられる。

 次いでモンテーニュは、わが家では、フランスが植民した「南極フランス」──ここではブラジルのこと──に十年以上滞在していた男を雇っていたと、驚くようなことをいう(わたしは昔、この個所を初めて読んだとき、こんなことがあるのだろうかと半信半疑であった)。で、すぐにこの男の話になると思いきや、その期待は裏切られ、新大陸のことになる。「この広大無辺な土地の発見は、とても重要なこと」だとして、プラトンはアトランティス島のことを紹介していたけれど(『ティマイオス』)、「われわれが最近発見した新世界」は「大陸」であるからして、「アトランティスの島」ではないとされる。そして、アトランティス島が水没したように、「巨大な身体」も変化を免れないと述べて、モンテーニュは、実際、弟の土地も砂で埋まってしまい、「いくつかの建物の屋根のあたりが、まだ顔をのぞかせている」状態だと、身近な実例を挙げる。ここでは「自然」の圧倒的な力という主題が「顔をのぞかせている」。

 プラトンが出れば、アリストテレスも「顔をのぞかせる」。『前代未聞の数々の不思議』なるテクストがアリストテレス作だとすればと留保を付けてから(実際は偽書)、カルタゴ人による巨大島発見というエピソードが語られて、「アリストテレスのこの話も、われわれが問題にしている新大陸とは一致しない」とされる。かくして古典古代の二大哲学者の証言は、新大陸の議論に関しては無効であることが宣言される。

 ここで話は、新大陸経験の長い使用人のことに戻る。「さて、わたしが使っていた男だけれども、単純で、無骨(ぶこつ)な人間であったが、これは本当の証言をもたらすのには、ぴったりの条件といえる。というのも、利口な人間(フィーヌ・ジャン)は、もっと注意深く、もっとたくさんのものごとに気づくものの、それに注釈をつけてしまうのだ。それに、自分の解釈を引き立たせ、それを納得してもらおうとするものだから、どうしても話をいくぶんか変えてしまうのである。純粋なものごとを示すことは絶対になくて、それをひん曲げて、自分が見たような顔つきの仮面をつけるのだ。そして、自分の判断の信憑性(しんぴょうせい)を高め、相手の気持ちをそこに引きつけようとして、とかく、素材のわきになにか付け加えたり、それをぐっと引き延ばしたり、拡大したりしがちなのである。そんなわけだから、必要なのは、とても忠実な人間か、さもなければ、すごく単純であって、なにかをでっちあげて、それをまことしやかに見せるだけのものを持ちあわせず、なににも与(くみ)しないような人間である。わが家にいた男は、そうした人間であった」。話しの流れからすると、プラトンやアリストテレスへの当てこすりかと思うものの、そうではない。この使用人と同じ頃にブラジルに渡り、帰国後、『南極フランス語異聞』や『世界地誌』を著して「世界地誌学者(コスモグラフ)」を自称したアンドレ・テヴェの潤色・脚色が暗に批判されている。人間は、「自分の知っていることを、知っているかぎりにおいて」述べるべきなのに、「ややもすると、この小さな断片をぐっと引き延ばして、自然学全般について書く」という悪い癖があるのだ。こうしてモンテーニュは、「わたしは、世界地誌学者(コスモグラフ)たちのいうことなどには耳をかさず、この男の情報だけで十分なのである」と、素直に事実だけを語ってくれる人間に信頼を寄せる。

 このお膳立てを経て、「野蛮」という中心テーマに立ちもどると、次の有名な一節が置かれる。「さて、わが主題に話を戻すとして、自分の習慣にはないものを、野蛮(バルバリー)と呼ぶならば別だけれど、わたしが聞いたところでは、新大陸の住民たちには、野蛮(バルバール)で、未開(ソヴァージュ)なところはなにもないように思う。どうも本当のところ、われわれは、自分たちが住んでいる国での、考え方や習慣をめぐる実例とか観念以外には、真理や理念の基準を持ちあわせていないらしい。あちらの土地にも、完全な宗教があり、完全な政治があり、あらゆることがらについての、完璧で申し分のない習慣が存在するのだ。彼らは野生(ソヴァージュ)であるが、それは、自然がおのずと、その通常の進み具合によって生み出した果実を、われわれが野生(ソヴァージュ)と呼ぶのと同じ意味合いで、野生(ソヴァージュ)なのである。本当のことをいえば、われわれが人為によって変質させ、ごくあたりまえの秩序から逸脱させてしまったものこそ、むしろ、野蛮(ソヴァージュ)と呼んでしかるべきではないか」。「野蛮な barbare」の類義語としてsauvageという単語が提示され、今度は、この単語を「未開の、野蛮な」と「野生の」という意味で使い分けて、新大陸の人々を「野生の」人々と定義し、「自然」が生んだ果実に喩える。その論旨の展開はすばらしい。

 次には、新大陸の「栽培なしの」(「文化なき」の含み)果実は、さぞかし「美味で、味わい深い」であろうといって、「人為 art」と「自然」との比較に移行する。「人為なるものが、偉大で、力強い、母なる自然よりも、名誉を勝ちえるというのは、理屈に合わない」として、「技術」「人為」は、「自然」からすると二次的な産物だというプラトン『法律』への目くばせがなされ、モンテーニュは「プラトンが新世界を知らなかったのが、残念だ」とまでいう。偉大な哲学者も、「人為や連帯が、これほどに少なくても、人間の社会は維持できる」ことを信じられなかったようだと、プラトンの『国家』における哲学までも射程に収めていく。「われわれが実地に、これらの人々のうちに見たものは、[…]哲学なるものの観念や願望をもしのいでいる」というのだ。「実地に」「見た」との関連で言い添えておくと、章末で語られるように、モンテーニュは1562年、ルーアンで新大陸の人々と実際に会見している。こうした実体験が論述を支えているのみならず、新大陸関連の書物を渉猟していることはむろんだ。とりわけ、レヴィ=ストロースが「民族学にとってのバイブル」(『悲しき熱帯』)としてトゥピナンバ族の村落に携えていくことになる、ジャン・ド・レリー『ブラジル旅行記』(1578年。二宮敬訳、岩波書店)の直接の影響が指摘されていることを特記しておきたい。

 さて、「快適で、穏和な土地」では、病人も少ないし、肉や魚を焼くだけ、そしてハンモックに寝るというシンプル・ライフが描かれる。彼らの主食の「なにやら白いもの」(マニオクのことだろうか?)を、モンテーニュも「試食」したところ、「なんだか甘くて、どうも風味に欠ける」のだとのこと。モンテーニュ殿の屋敷には、ハンモックや、戦のときに付ける腕輪など、新大陸渡来の品々がずいぶんあるらしいのだ。どうやら屋敷には、そうした珍奇な品々を集めた「珍品陳列室」まであったようだが、コレクションは散逸してしまったにちがいない。こうして話題は、彼ら部族の祭司へと移る。この「予言者」は、「戦争の際の決然たる態度と妻への情愛という」二箇条の心得を男たちに説くのだという。そして、「戦争を後押ししたり、あるいは回避させたり」もする。こうして読者は、ようやく「戦争」というトピックまでたどり着く。そして問題のカニバリズムが語られる。「彼らは、山の反対側の、陸地のずっと奥にいる部族と戦争をする。[…]戦闘における強靱さといったら驚くべきものであって、殺戮や流血なしには決して終わりはしない。[…]各人は、勝利のしるしに殺した敵の首を持ち帰って、建物の入口にかけておく。いくさの捕虜は、長いあいだ手厚くもてなして、思いつくかぎりの便宜を与えたのち、捕虜とした主人は、知り合いをたくさん呼び集める。[…]もっとも親しい友と[…]ふたりして剣で捕虜を叩き殺す。その後、その肉を焼いて、みんなで食べると、来なかった連中にも切れ端を届けてやる」。文明人からすると、なんと野蛮な行為だと思うかもしれない。だがモンテーニュはちがう。「その昔スキタイ人がしていたように、栄養をとるためだろうと考えがちだけれど、そうではなくて、最高度の復讐の心情を表すためにほかならない」と述べてから、自分の考えを表明していくのである。(以下、次号につづく)

 

◇初出=『ふらんす』2017年2月号

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著者略歴

  1. 宮下志朗(みやした・しろう)

    放送大学特任教授・東京大学名誉教授。主な著書『本の都市リヨン』『神をも騙す』、主な訳書ラブレー『ガルガンチュアとパンタグリュエル』(全5巻)、モンテーニュ『エセー』(全7冊)

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