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宮下志朗「モンテーニュ『エセー』を読む」

第9回 裁くこと

 死刑制度の存続を望む人々が多数派となり、厳罰化も進み、なにやら時代が逆行している感もある。そこで今回は、モンテーニュの時代に遡り、彼が「裁き」についてどのように考えていたのかを紹介する。ボルドー高等法院評定官を勤め、民事のみならず刑事も担当していた彼は、父が死んで家督を相続すると、さっさとその地位を友人に譲って、田舎に引っこんでしまう。「久しい以前より法廷での隷従と公務という重責に倦み疲れたがため、[…]博学な女神たちの胸元に引きこもる」という、塔の壁の引退宣言は有名だ(現在も、残っている)。伯父から譲られた評定官のポストを、友人に譲渡したのである。つまり彼自身が「売官」という当時のシステムに乗っかっているのだけれど(この点ではラ・ボエシーも事情は同じ)、このことの矛盾は痛感している。「そこでは、人を裁く職務を売買することが、法にのっとった慣習となっており、裁判費用は現金払いであって、支払うべき金がない者には、当然のこととして裁判が拒まれる。そして裁判という商品が高い信用を得ていて、訴訟を手がける人々が、いわば第四身分を構成するまでになって、聖職者・貴族・人民という従来の三つの身分に、付け加わっているのだ(1・22/23「習慣について。容認されている法律を安易に変えないことについて」)。モンテーニュは、この「第四身分」から降りた形になる。

 彼は、法律なるものの相対性について、「法律が信用を維持しているのは、それが正しいからではなく、ひたすら法律であることによる。これこそ法律という権威の不思議な根拠なのであって、ほかにはなんの根拠もない」(3・13「経験について」)と言い切り、法律への不信の念も隠そうとはしない。その前提には、「ものごとの姿として、あまねくいえるのは、それらが変化と多様性に富んでいる」(3・13)という認識がある。したがって、「水銀のかたまり」と同じ、「たくさん法律を考え出しても、多種多様な事例に追いつくはずがない」(3・13)という理屈になる。おまけに、「法律というものは、愚者の手で作られることが多い。ほとんどの場合、平等を憎むがゆえに、公正を欠き、そのくせ優柔不断であって、無能な人間によって作られる」(3・13)と、元裁判官とは思えないほど、法律に点が辛い。

 そして、「各人の内心の義務にかかわる倫理の法則でさえ、これを確立するのはむずかしいのであるから、これほど多くの個人を支配する法則を確立するのがもっと困難であることは、いささかも驚くにはあたらない」(3・13)と述べてから、矛先を裁判に向ける。「われわれを支配している裁判という形式のことを考えてみればいい。それこそまさに、人間の無力さの証明であって、そこには矛盾やあやまりがたくさんある。裁判においては、手ごころや厳しさが、そこかしこに見受けられるため、その中間が、はたして同じだけ見いだされるのかも不明である。これは、司法に内在し、本質をなしているところの、不正にして病める部位といえよう」(3・13)と手厳しい。おまけに裁判官だって人の子、私情に流されやすいのですと、こうも書く。「たとえば裁判官だけれど、どれほどりっぱな心づもりを抱いていても、自分の内心にしっかり耳を傾けていないと[…]友情、血縁関係、美貌、復讐などに対する心の傾きが生まれて、あるいは、これほど重みのあることにかぎらず、ふとした直感のようなものが芽生えて、あるものをえこひいきさせたり、理性の許しもなく、同様のふたつのものからひとつを選択させたり、さらには、これまた漠然とした想像のようなものが浮かんできて、判決において、一方の側への好意や悪意が知らぬまに忍びこんでしまい、天秤(てんびん)を傾かせかねないのである」(2・12「レーモン・スボンの弁護」)。もちろん、自戒の念もこめての発言。「天秤」といえば、モンテーニュが天秤の図柄とギリシア語の「エペコー」(「われは判断を留保する」「われは動かず」)という銘のメダルを作っているけれど、これは裁くことの経験とも深くつながる。そして、こんな皮肉まで飛び出す。「裁判官ときたら、たったいま、姦通罪を犯したある男の判決を書いたばかりなのに、その紙切れをひとつくすねて、同僚の細君に恋文を書く始末だ。[…]また、自分では罪とは考えてもいない罪状で、幾度となく死刑を宣告する裁判官だっている」(3・9「空しさについて」)。

 自白の誘導にも、もちろん否定的だ。「裁判官たちが策を弄して、好意や恩赦が得られるかもしれないという期待を抱かせて、罪人の心を引きつけ、自白させるという、欺瞞に満ちた破廉恥なやり口を用いる姿を目撃して、わたしはしばしば憤りを感じたものだ」(3・1「役立つことと正しいことについて」)。拷問については、「危険な発明であって、真実を試すというより、むしろ、忍耐を試すものであるかに思われる。これに耐えられる者は、真実を隠すわけだし、耐えられない者だって、同じことだ。なぜならば、苦痛は、本当のことをいわせるよりも、ありもしないことを無理やりいわせてしまうではないか」(2・5「良心について」)と、その本質を鋭く突く。「苦痛は、無実の者にさえ嘘をつかせる」という古代ローマの格言を引いてから、「裁判官は、白(しら)を切りとおしたままでは死なせまいとして拷問にかけた相手を、無実のままに、拷問で苦しめて殺してしまうことになる」(2・5)と、アウグスティヌス『神の国』を借用に及び、裁判官に向かってこう言い放つ。「理由もなしに、その人を殺すまいとして、殺すことよりもひどいことをする、そうした、あなたたちこそ不正ではないか。その証拠に、このようにして尋問されるぐらいならば、理不尽であっても死んだほうがましだと、被告は幾度思ったことか──なにしろ、拷問による尋問というのは、死刑の刑罰よりもむごいものであって、その苛酷さゆえに、刑罰に先立って、それ〔=死刑〕が執行されてしまうこともよくあるのだから」(2・5)。まさに正面切っての批判で、かつての同僚はどのような気持ちで、この文章を読んだのだろうか? 拷問については、「死んだ人間を焼いて食べる未開人(ソヴァージユ)は、生きた人間を拷問して、責めたてる連中ほどは、わが心を傷つけはしない」(2・11「残酷さについて」)と、未開と文明の対比でもふれられていることを忘れまい。

 もちろん、冤罪にもきわめて敏感であった。「それにしても、無実の人間が有罪となってしまった事例を、どれほどたくさん見てきたことか。別に裁判官に落ち度がなくてもということである。そして、無実がわからずじまいの例だって、いくらでもあったに決まっている。[…]わたしが先ほどお話しした連中は絞首刑となってしまったわけで、あやまちの正しようがないではないか。それにしても、このわたしは、犯罪よりもはるかに罪深い刑罰をどれほどたくさん見てきたことか」(3・13「経験について」)。例の「マルタン・ゲール事件」*に興味を持って、その記録を読んでいることも知っておきたい。「わたしは若い頃に、トゥールーズ高等法院の判事コラスが、不思議な事件の裁判について活字にしたものを読んだことがある。それは二人の男が、おたがいに自分こそは本物で、相手は偽者だと主張した事件であった。ほかのことはもう忘れかけているのだが、判事のコラスは、有罪とした男のペテン師ぶりを、われわれのみならず、判事たる彼の知識・経験をもはるかに超えた、きわめて不可思議なものと見なしているように思われたために、わたしとしては、コラスがこの男を絞首刑とした判決を、これはずいぶん思い切った判決だなと思ったことは覚えている」(3・11「足の悪い人について」)。「思い切った判決」とは、絞首刑が厳しすぎるという含みなのだろうか?

 いずれにせよ、モンテーニュは、人を裁く仕事は性に合わないと感じている。次のように告白するのだから。「わたしはだれも憎んだりしない。というか、人を傷つけることに対して、まるで度胸がなくて、道理を守るためであっても、そうすることができないのだ。したがって、罪人に有罪判決〔「死刑判決」のニュアンスか?〕を言い渡さなくてはいけない場合に、わたしはむしろ裁きを守らなかった。[…]通常の裁判では、その犯行に対する恐れから、報復の感情がつのるけれど、このことが逆に、わたしの判断を冷静なものとする。第一の殺人が恐ろしいから、わたしは第二の殺人〔「死刑判決」のことであろう〕がこわくなる。第一の残酷さをおぞましく思えば、それを模倣した残酷な行為は、わたしにはどれもおぞましさでしかない」(3・12「容貌について」)。「目には目を」という報復刑は、『エセー』の作者には残酷さと映る。「ひょっとして、自然状態そのものが、人間に対して、非人間的な残忍さへの本能を付与しているのではないのかと、恐ろしくなる」(2・11「残酷さについて」)という言葉を噛みしめる必要がありそうだ。

(みやした・しろう)

 

* cf. ナタリー・デーヴィス『帰ってきたマルタン・ゲール』成瀬駒男訳、平凡社、1993年。ギヨーム・ル・シュール『にせ亭主についての驚くべき物語』は『フランス・ルネサンス文学集3』に収録予定。 

 

◇初出=『ふらんす』2016年12月号

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著者略歴

  1. 宮下志朗(みやした・しろう)

    放送大学特任教授・東京大学名誉教授。主な著書『本の都市リヨン』『神をも騙す』、主な訳書ラブレー『ガルガンチュアとパンタグリュエル』(全5巻)、モンテーニュ『エセー』(全7冊)

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