第5回 孤独と自由としての「店の奥の部屋」
さて、前回の最後で述べた、自由と孤独のための「店の奥の部屋」について考えてみよう。家督を相続したモンテーニュは、37歳で「早期退職」したことについてこう述べる。「わたしは最近になって、残されたわずかな余生を、世間から離れてのんびりすごそう、それ以外のことには関わるものかと心に誓って、わが屋敷に引っこんだ。というのも、そのとき、わたしが精神にしてやれる恩恵といったら、それを十分に暇なままに放っておいてやって、みずからのことに心をくだき、みずからのうちに立ち止まって、腰をすえさせてやること以上のものはないように思われたのである」 (1・8「暇であることについて」)。ところが精神が暇にあかせて自由奔放にふるまい、夢想の数々を生み出すものだから、その目録作りを始める。これが『エセー』の出発点だ。いずれにせよ、「心を自分のなかに立ちもどらせ、引きこもらせないといけない。これが真の孤独だ」(1・38「孤独について」)として、彼は早くから閑居願望をいだいていた。
ところが、われわれ人間は、とかく引け際がいさぎよくない。「早期退職」という引退の美学を実践したモンテーニュは、こう述べる。「神聖ローマ皇帝カール五世〔=スペイン王カルロス一世〕のもっともあっぱれなふるまいは[…]、〈衣服が重荷で、むしろじゃまになったときには、理性がそれを脱ぐように命じているのだし、脚が思うようにならなくなったときには、横になるように命じているのだ〉ということを、しっかりと悟ったことです〔1556年、息子フェリペ2世に王位を譲り、隠遁〕。[…]《分別を見せて、頃合いのいいときに、老いた馬を放してやれ。ゴール近くなって、つまずいたり、息が上がったりして、物笑いにならないためにも》(ホラティウス『風刺詩集』)。
自分ことを早めに自覚できず、年齢がおのずと心身にもたらす、衰弱や極度の変調を感じとれないという欠点のせいで、この世の偉大な人々のほとんどが評判を落としているのです。[…]みずから進んで屋敷に隠居して、気楽な身分となって、もはやその肩には重荷でしかないところの、公職や軍職などは、願い下げにすればよかったのに」(2・8「父親が子供に寄せる愛情について」)。たたき上げのワンマン経営者が、いつまでも権力の座に居座り、老害を及ぼしている光景などが浮かんでくるけれど、「自由」と「孤独」を求めるモンテーニュが標的とするのは、「野心」という、ある意味でもっとも人間的な欲望だ。「野心家の連中は、まるで市場の広場に立つ彫像さながら、いつでも衆人の目にさらされているが、これは野心に仕返しされているのだ。《偉大な運命とは、偉大な隷属なのである》(セネカ)。連中ときたら、便所のなかでさえ、プライバシーがない」(3・3「三つの交際について」)という痛快な一節がある。今日もまた、ある政治家が「野心」に仕返しされて、辞職を余儀なくされた。
さて、「孤独」を求めるといっても、彼は断じて引きこもりではない。「わたしは本質的に、自分を表に現して、人々を交わるのに向いた性格をしている。すべてを外にはっきり出すから、人付き合いや友情に向いている」(3・3)というのだから。むしろ、それゆえに「孤独」にこだわるのだ。「わたしが孤独を愛し、このことを説くのは、もっぱら、自分の心の動きや思考を自分自身に集中させるためである。[…]外部からの不安を遠ざけ、隷属や義務を、徹底的に逃れたいのだ。たくさんの人間から逃れたいというよりは、たくさんの用事から逃れたいのである」(3・3)。ところが、人間という社会的動物は、忙しくしていないと生きた気がしないのだろうか? なにしろ、「ある種の人間たちにとっては、仕事で忙しいのが、能力と偉さのしるし」(3・10「自分の意志を節約することについて」)になっているではないか。人間は、「仕事から離れたぞと思っていても、それを取り替えただけのことが多い」(1・38)のだし、「野心、強欲、優柔不断、恐怖、色欲といったものは、場所を変えたからといって、われわれから離れていってはくれない」、「われわれは自分の鎖を、いっしょに引きずっている。つまり、完全な自由ではないのだ。自分が残してきたもののほうに、いまだに視線を向けている」(1・38)のだという。こうした個所を読んでいると、「自分の暇を忙しくしている人々もいる。別荘にいても、ベッドのなかでも[…]、自分で自分を煩わしくしている連中だ。彼らの生き方は閑暇などではなく、無為な忙しさと呼ぶべきだ」(セネカ『人生の短さについて』12、拙訳)といった一節が思い浮かぶ。もちろん、セネカの愛読者モンテーニュも、「無為な忙しさ」という撞着語法(オクシモロン)は強く印象に残っていたにちがいない。このわたしも、いまだに忙しい暇人の状況から抜け出せずにいる。人間とは、いつまでも鎖を引きずり続ける悲しい存在なのかもしれない。モンテーニュは、ソクラテスのことばを引き合いに出す。「だれかがソクラテスに、〈あの人は旅をしてきたくせに、全然よくなっていないのです〉というと、〈それはそうですよ。だって、自分をいっしょに運んでいったのですからね〉と返事が返ってきたという」(1・38)。まったく、あたまの痛い指摘ではないか。ちなみに、この挿話も、セネカ『書簡集』からの借用だという。
閑居したモンテーニュが「店の奥の部屋」としたのが、あの有名な城館の塔の書斎にほかならない。具体的かつ詳細な記述を残しているけれど、ごく一部だけ紹介する。拙稿「モンテーニュの塔をたずねて」(『エセー2』所収)や、www.chateau-montaigne.com などを参考にされたい。
「平時であれ、戦時であれ、わたしは書物なしに旅をすることはない。[…]これこそは、人生という旅路で見出した、最高の備えにほかならない。[…]家でのわたしは、かなり頻繁に、わが図書室(リブレリ)に足を向ける。そして、ついでに、そこから家事(メナージュ)の指図もする。屋敷の入口の真上にいることになるから、菜園、家畜小屋、中庭など、わが家のたいていの部分を見下ろせるのだ。そして、ここで、ある時はこの本、またある時は別の本と、秩序も、目的も、とりとめもなくページをめくる。時には夢想をし、時には、歩きまわったりして、ここにあるような〔『エセー』のこと〕、とりとめもない思いを書きとめたり、綴ったりする。
図書室は、塔の三階にある。一階はわたしの礼拝堂〔壁には、守護聖人ミカエルが描かれている〕であり、二階が寝室と続きの間になっていて、わたしはよく、ひとりになるために、ここで横になる。その上の階には、大きな個室(ガルド・ローブ)があるが、ここは昔、屋敷でもいちばん役に立たない部屋であった。わたしはここで、人生のほとんどの日を、昼間の大部分を過ごすのだ。ただし、夜はけっしてここにはいない。この部屋の続きに、とてもしゃれた小部屋があって、冬などは火を焚くにもちょうどいいし、快適な窓もついている。
[…]同じ階の両側に、長さ100ピエ〔1ピエ=約32cm〕、幅12ピエの回廊を付けさせるのも造作なくできそうだ。[…]引きこもる場所には、どこにも、散歩する空間が求められる。わたしの思索などは、それを座らせておくと、眠ってしまうのである。わが精神は、わが脚が動かしてやらないとだめで、ひとりぼっちでは進んでくれないのだ。
図書室は円形で、わたしの机と椅子を置く場所だけ、壁面が直線になっている。ぐるっと円をなしているから、五段の書架にずらっと並んだ書物の数々が、一目で見渡せるという仕掛けだ。この部屋からは、三方の豊かな景色を見渡すことができて〔実際、窓が三つある〕、直径にして一六歩分〔約8m〕の広さがある。冬には、ここに長時間続けていることはあまりない。というのも、わたしの屋敷は、ぽつんとした丘の上にあって──名前もそこから来ているわけだが──、わが書斎ほど、吹きさらしになる部屋はないのだ。でも、この部屋までたどり着くのに、少々骨が折れることと、離れた場所にあることが気に入っている。ちょっとした運動にもなるし、自分を世間の人々から遠ざけることができるからだ〔遠ざかる感覚を重視していることに注目〕。ここが、わたしの座席(シエージュ)なのだ。わたしはこの座席に対する支配を、絶対的に純粋なものにするよう、また、この一角だけは、夫婦や、親子や、世間(シヴィル)といった共同体(コミュノテ)からは引き離すように努力している。[…]自分の家に、自分に立ち帰れる場所を、もっぱら自分におもねる場所を、身を隠す場所を持てない人間は、憐れというしかない」(3・3「三つの交際について」)。
塔の書斎という「店の奥の部屋」は、精神の自由のための空間であって、モンテーニュは、そこに閉じこもるわけではない。静かに、落ち着いて古典を読んだり、歩きながら思索することで、むしろ世界とつながることができるという感覚なのだ。「他人がいない場所にひとりでいることが、むしろわたしを外に向かって大きく拡げてくれる」(3・3)ということばが、このことを裏付けている。
◇初出=『ふらんす』2016年8月号