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宮下志朗「モンテーニュ『エセー』を読む」

第4回 「わたし」を貸し出す

 今回からは、『エセー』のエッセンスの紹介である。毎回、特定のテーマに添って、『エセー』から引用してみたい。あくまでも、主役はモンテーニュの文章である。

 『エセー』が、「自己を描こうとした愚かな企て」(『パンセ』62、中公文庫)だとパスカルに批判されたことは、すでに紹介したところだけれど、このことと関連して、モンテーニュにも、もう少し言明させてやりたい。モンテーニュの「自己」に対する極度のこだわりは、時代を突き抜けている感がする。彼にとって、「わたし」とは聖域である。この意味において、エゴイストだともいえそうだ。『エセー』全体に、そうした感覚が浸透しているから、最初にどこを引用するべきか迷う。とりあえず、こんなのはどうだろうか。

「人間はだれもが、自分を貸し出している。本人の能力が本人のためではなく、服従している人のためになっている。つまり、本人ではなくて、借家人がわが家同然にくつろいでいるのだ。こうした一般的な風潮が、わたしには気に入らない」(3・10「自分の意志を節約することについて」)。毎日、仕事に追われている人間ならば、その通りなんだよな、悲しいことに、別に働くために生きてるわけじゃないんだけど、現実は厳しいから、自分の時間なんてほとんどありやしないもんなと、人生の悲哀を感じながら、500年以上前のモンテーニュのことばに相づちを打つのではないだろうか。それにしても、自分を貸し出すとか、借家人といった比喩が印象的だ。

 で、モンテーニュはこういう。「わたしはときとして、他人の仕事の処理を手がける羽目になったこともあったが、そのような際にも[…]背負いましょうとはいっても、身体のなかに入れましょうと約束したわけではない[…]ただでさえ、わが内臓や血管のなかに、たくさん心配ごとを抱えていて、これをきちんと処理するのに苦労しているのだから、他人の心配ごとまで抱えこんで、骨身をけずるいわれはない」(3・10)。「『他人に自分を貸す必要はあっても、自分以外に自分を与えてはならない』というのが、彼の持論なのだ」(3・10)。つまり、職務上の責任は持つけれども、それに自分の実存をかけるなどとんでもないというわけだ。こういうところが、いい意味での彼のエゴイズムだと思う。いわゆる猛烈社員にはとてもなれないタイプの人間だし、出世も興味がない。そこで、「なかには、さまざまな職務につくごとに、変身し、[…]その職務を便所のなかまで引きずっていく人だっている」(3・10)といって、上昇志向の強い人間を痛烈に皮肉ったりする。要するに、彼によれば「人間は自分の精神の自由を節約して使って、正当な場合でなければ、これを抵当に入れてはならない」(3・10)のである。まったく、ごもっともな考え方であって、このわたしも、おのれを抵当に入れるようなことはできるだけ避けるようにしてきた。モンテーニュの場合、二期4年にわたりボルドー市長という「公務」を引き受けざるを得なかったという経験を念頭においての主義主張である。もちろん、市長に選ばれてしまったのだから(イタリア旅行中に、本人不在のまま、選出されてしまった)、その義務を果たすのは当然ながら、モンテーニュにとっては、それはあくまでも「そのとき限りの貸し付け」(3・10)にすぎない。したがって、彼は、「爪の幅ほども自分から離れることなく、公務に従事することができたし、自分から自分を奪うことなく、自分を他人に与えることができた」(3・10)と揚言してはばかるところがない。大したものだと思う。でも、こういうもの言いをすると、ひょっとして、嫌みに感じる向きもあるかもしれない。そのあたりは、好き好きというしかない。ところで、自分を貸すという比喩だけれど、ちゃんと元ネタがある。セネカ『書簡集』の62番である。セネカはそこで、仕事が忙しくて、なかなか勉強する暇がないんですよなどと言い訳する輩は信じるな、彼らは自分で勝手に忙しくしているだけなんだからと述べる。そして、「わたしはまったく自由だ。どこにいても、わたしはわたしのものだ。わたしは仕事に自分を譲り渡すのではなく、自分を貸すだけなのだ」と明言している。モンテーニュは、この個所にヒントを得て、貸し出すとか抵当といったことばを使って、自分中心主義を宣言している。

 『エセー』では、こうした元ネタはもちろん、ラテン語原典の引用についても、いっさい典拠は記されていない。モンテーニュに限らず、この時代だと、ごく普通の作法なのだが、いまでは、ほとんどの典拠が明らかになっている。セネカ『書簡集』については、原文の引用は81回だというが、それ以外に、たぶん300個所以上で、元ネタとして使われている。モンテーニュは、そうした古典を消化して、自家薬籠中のものとして、『エセー』のなかに浸透させている。だから、『エセー』を読んだら(なにしろ長大な作品なので、拾い読みでもかまわない)、次のステップとして、キケロ、ルクレティウス、セネカ、プルタルコスといった、モンテーニュがときには原語で、ときには翻訳で熟読した古典の世界を逍遙するという楽しみもある。拙訳でも、元ネタを注に引用したところもあるとはいえ、紙の本では制約もあり、一部にとどまっている。電子本ならば可能であろう。いずれにせよ、ギリシア・ローマの古典への導きの書としての『エセー』の魅力も、とても大きいことは強調しておきたい。実際、同時代の読者には、そうした選文集として受容された側面もかなりあったにちがいない。

 さて、「わたし」を貸し出す話の極めつけは、次の有名な一節。「われわれの職業・仕事のほとんどは、にわか芝居みたいなものだ。《世間全体が芝居をしているのである》(ペトロニウス)。われわれは、自分の配役をしっかり演じなくてはいけないが、その役を、借りものの人物として演じるべきだ。仮面や外見を、実際の本質としてはいけないし、他人のものを、自分のものにすべきではない。われわれは、皮膚と肌着を区別できないでいる。でも、顔におしろいを塗れば十分なのであって、心にまで塗る必要はない。[…]けれどもわたしの場合、市長とモンテーニュはつねに二つであって、はっきりと分けられていた」(3・10)。世間的には偉いとされる「公職」につくと、それが「肌着」にすぎないことを忘れて、「皮膚」だと勘違いする人間がえてしている。こうして、心にまでおしろいを塗り偉ぶる人々こそ、公私の混同の危険なしとしない。「わたし」にこだわるモンテーニュは、それはむしろありえないことであった。

 家政もまた、彼のスタンスからするとむしろ公務に近い。「日々の面倒とは決して軽微なものなどではない。それらはずっと続き、埋め合わせようがない。とりわけ、家政という、途切れなく続いて、切り離しがたい仕事のあちこちから生じる厄介ごとは、なおさらだ」(3・9「空しさについて」)と、モンテーニュ家の当主として采配をふるうことの気苦労を吐露している。そもそも彼は、「残されたわずかな余生を、世間から離れてのんびりすごそう、それ以外のことには関わるものかと心に誓って、わが屋敷に引っこんだ」(1・8「暇であることについて」)のだ。それは、古典との対話を介して、「みずからのことに心をくだき、みずからのうちに立ち止まる」(1・8)ためであった。したがって、「家政」は配役にすぎず、「家政のことから、すぐに離れたくなる」(3・9)のである。彼は、次のようなことまで書いている。「わたしが無知に手を貸してやっているのは、本当だ。つまり、自分の金に対する知識を、わざと少しだけ、漠然とした不確かなものにしているのである。[…]あなたの召使いの不誠実さや厚かましさに対しては、いくばくかの余地を残しておくべきなのだ。まあ大体において、身分相応の暮らしができるだけのものが残っていれば、運命が施してくださった余分なものは、いわば落ち穂拾いする人間の分け前、いくらかは、運命のなり行きにまかせようではないか」(3・9)と。「心配や気苦労ほど高づくものはない」(3・9)のだから、ときには見て見ぬ振りだってしますよというのだから、その自己中心主義はかなりのものだ。

 人間は社会的な存在であるからして、仕事や人間関係で煩わしいことがあるのは致し方がない。でも必要なのは、「本当の自由と、極めつきの隠れ家と孤独とを構築できるような、完全に わがものであって、まったく自由な店の奥の部屋を確保しておくこと」(1・38「孤独について」)なのである。「店の奥の部屋 arrière-boutique」という表現が絶妙だ。世間という「店」に顔を出して働かなくてはいけないけれど、お店の奥には、狭くてもいいから自分だけのスペースを確保しておかないと、自分をまるごと持って行かれてしまいますからねというわけである。こうして彼は、城館の塔を極私的な空間に、「店の奥の部屋」にしていた。

 

◇初出=『ふらんす』2016年7月号

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著者略歴

  1. 宮下志朗(みやした・しろう)

    放送大学特任教授・東京大学名誉教授。主な著書『本の都市リヨン』『神をも騙す』、主な訳書ラブレー『ガルガンチュアとパンタグリュエル』(全5巻)、モンテーニュ『エセー』(全7冊)

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