第5回 ミッシング・ピース
1998年5月1日、僕は帰郷しました。故郷の山々の堂々とした姿は、昔と何も変わっていません。ここ松本で、8年振りに実家暮らしをするのですが、27歳になっていた僕にとって、両親と祖父母との共同生活は、毎日が発見の連続で、自分自身を見つめ直す特別な日々になっているのでした。外見はもちろん、彼らの内面にも僕自身の姿が見てとれます。それこそ客観的な観察なので、あっ、僕の骨格はお爺ちゃんから受け継いだものだったのか! あっ、僕のせっかちはお袋からだったのか! などと、僕が僕であることの裏付けがとれる。しかも対象が4人もいますから、次から次へと、まあ、それが突飛というか滑稽というか、無論、血が繋がっているので当たり前なのですが、「やっぱり僕は、彼らのコラージュなんだな」と、つくづく思うのでした。
無題(1998)
無題(1998)
無題(1998)
無題(1998)
日々の発見は収集され、整理されて、新たにコラージュへと継ぎ足されていきます。たまにバラバラにして、組み直してもみる。そんなセルフ・コラージュを繰り返しながら、理想の形を探っていく……。これは自己展開図の再検証であり、再生のための自己分析の手段なのだろう……。
私の中の私(1998)
分裂(1999)
「あなた、本当の自分を知ってる? 本当のあなたはあなたのずっと奥にいるのよ」
僕が22歳、渡米して3年目のある日、下宿先オーナーの知人女性がそう言いながら、フロイトの精神分析学をベースとした自己分析のハウツー本を僕に譲ってくれました。彼女は僕よりずっと年上で、エネルギッシュでスタイリッシュな、皆の憧れの存在でした。当時、アメリカでは自己分析が流行っていました。現在ではアドラーなどのように、精神的問題に対して過去からの原因追求をせず、「今」に意識を集中するという心理学が注目されていますが、当時はフロイトが主流でした。フロイト式自己分析とは、精神的問題の多くが幼少期の出来事や親との関係にあり、その原因を究明することで自己の核心に迫るというものでした。彼女がなぜ僕にその本をくれたのかわかりません。彼女はカウンセリングに通うほど自己分析に傾倒していたので、もしかしたら僕の中にその必要性を感じとっていたのかもしれません。実際、その後の僕の人生にフロイトは欠かせない存在となり、また、彼女の生き方も僕に大きなインパクトをもたらすのでした。
ダイアン・アーバス(1998)
グスタフ・クリムト(1998)
エゴン・シーレ(1998)
フランシス・ベーコン(1999)
T・S・エリオット(1999)
「わかったわ! わかったの! 父親との関係だとわかったの!」
ある日、彼女が下宿のオーナーに話しているのが聞こえました。何か大きな発見をしたのだとすぐにわかりました。ついに何かを突破した、ついに核心を掴んだ……。しかしその後、彼女が来ることはありませんでした。彼女は死んでしまいました。拳銃自殺でした。一報を聞き、下宿のオーナーと教会へ行きました。棺の中の彼女は泣いているようでした。こめかみに直径8ミリほどの黒ずんだ痕がありました。死の入り口だ、そう思いました。
無題(1998)
無題(1999)
無題(1999)
実家暮らしでの僕の発見。僕はひとつの疑問を投げかけました。それは、僕が幼い頃から見てきた「悪夢」についての疑問でした。その悪夢とは「恐怖」の夢でした。といっても、恐ろしい怪物に襲われたりするのではありません。ただ、闇の中で「恐怖の感覚」に襲われる夢でした。それは僕がものごころついた頃から定期的にやってきました。突然の恐怖に跳び起きては、大声で泣きわめいていましたので、家族は皆、このことを知っていました。最後にこの夢を見たのは、24歳の時だったと記憶しています。さすがにこの時は泣いたりしませんでしたが、あの恐怖に再び襲われ、それは本当の「恐怖」なのでした。この悪夢は僕の鬱に直結している、そんな気がしていました。この原因さえ解明できれば、もっと楽に生きられるのではないか……。
「僕が小さい頃、何か事件や事故がなかった?」
僕は母に聞いてみました。
「そんなこと何もなかったわよ」
「3歳くらいまでに何かなかったかな? あの悪夢の原因を知りたいんだ……」
「何もなかったわ」
「……」
何もなかった。躁鬱のキーは失われたまま、原因究明への意欲は次第に薄れていきました。記憶にないものは、なかったんじゃないか……。ないものは、ない……。しかし、それから時が流れ、母に変化が起き始めます。母の中で、記憶がじりじりと巻き戻されていくのでした。
詩集「蝶と九つの詩」より