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北山亨「鬱な画、アートが僕の処方箋:躁鬱25年の記録」

成瀬政博「北山亨の絵と文『鬱な画、アートが僕の処方箋:躁鬱25年の記録』の連載に寄せて」

北山亨の絵と文
「鬱な画、アートが僕の処方箋———躁鬱25年の記録」の連載に寄せて

成瀬政博

 長野県・安曇野にぼくが主宰する画廊BANANA MOONがあります。このBANANA MOON、以前はぼくの「週刊新潮」の表紙絵原画を展示する私設美術館だったのですが、連載20年が過ぎたのを機に、画廊として再出発したのです。そのこけら落としが、北山亨「鬱な画」です。今年の4月から展示しています。なにしろ北山さんは膨大な量の絵を描いている人なので、また表現様式もさまざまなので、限られた小さな空間でそれをどう見せるのか、悩んだことでした。で、この1年(といっても冬場はクローズなので、8ヶ月間なのですが)、ロングランで展示することにしました。
 北山亨さんは、松本の高校を卒業した後、映画作りの夢を抱いてアメリカの映画学校で学びました。そして現地の映像制作会社で働いていたとき、躁鬱病を発症。以来、彼は25年間、日記を書くように、絵を描き続けます。あるとき、ぼくはそれら絵を見てびっくりしました。躁鬱病というものが絵を描かせたのか、それともこの人はもともと天才だったのか。こんな絵を見せられると、それを見た者はそれを見なかったことにしてすますことはできなくなるものです。そして、BANANA MOONが画廊としてリニューアルしたのを期に、北山さんが病気の中で描き続けた絵を、躁鬱の状態と対応させ、ロングランで展示してみたらどうだろうか、というのがぼくの考えの到達であり、ぼくのできることでした。
 ぼくのこの提案に、北山さんは自ら、
 第1期・吐出
 第2期・混濁
 第3期・沈黙
 第4期・寛解
 と絵と躁鬱を対応させました。
 で、それぞれの1期を2ヶ月間展示することにし、8ヶ月間のロングラン展示となったのでした。
 現在はすでに1期、2期、3期も終わって、いま展示しているのは、第4期の寛解です。(12月15日まで)
 書き遅れましたが、3年ほど前に彼は躁鬱から寛解したみたいで、(その経緯はとても興味深いもので、いずれこの連載で書かれることでしょう)この個展をしたことで、さらに状態が安定したようです。
 このたび白水社のホームページでこの展覧会のことを紹介させていただけることになって、ぼくも北山さんも、とてもうれしく、ありがたく思っています。この連載がディスカヴァー・キタヤマになることを願いつつ、ぼくもまた、まだ知らない北山亨の世界をこの連載読者といっしょに愉しみたいと思っています。

成瀬政博(なるせ・まさひろ)
1947年大阪生まれ。大阪外国語大学卒業。美術評論活動を経て、30代半ばから画家として活動。各地で個展をしながら、画集の他に絵本、詩集、エッセイ集、写真集などを出版。1989年、大阪から長野・安曇野に移住。1997年から週刊新潮の表紙絵を連載。安曇野にある画廊BANANA MOONを主宰している。近著に『表紙絵を描きながら、とりあえず。』(白水社)
公式サイト https://masahironaruse.com/

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著者略歴

  1. 北山亨(きたやま・とおる)

    1971年、長野県松本市生まれ。1990年渡米。UCLAで映画制作を学び、ロサンゼルスの映像プロダクションに勤務。英国画家フランシス・ベーコンに影響を受け96年頃から独学で絵を描き始める。1997年ニューヨークに移り住み、本格的に創作活動を開始。1998年帰国。

    2000年 個展(松本市)
      グループ展(六本木)
    2001年 個展(大町市/京橋)
      グループ展(京橋)
    2002年 個展(京橋)
      グループ展(松本市/渋谷/船橋市/京都市/京橋)
    2003年 個展(ひたちなか市/銀座/松本市)
      グループ展(京橋)
    2019年 個展(安曇野市/松本市)

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