【特別寄稿】ロドリック『貿易戦争の政治経済学』解説 大川良文
京都産業大学経済学部教授 大川良文
2018年はグローバリゼーションにとって強い逆風が吹いた年だった。米国は3月に一部の適用除外国を除くすべての国からの鉄鋼・アルミニウムに対する輸入関税を引き上げ、それに対し中国、EU、カナダ、メキシコなどの国が報復関税によって対応した。さらに、中国からの輸入品に対しては3度にわたって輸入関税を引き上げ、米国と中国は本格的な貿易戦争へと突入した。一方EUでは、ブレグジットの行方が混とんとする中、イタリアで反EU政党による連立政権ができるなど、各国で反EU政党が勢力を伸ばしており、欧州統合へのプロセスは完全に行き詰まりつつある状況である。
本書の著者であるダニ・ロドリックは、米国におけるトランプ政権の成立や欧州におけるブレグジットや反EU政党躍進の原因は、これまで欧米先進国のエリートたちが主導して行ってきたグローバリゼーションの進め方が誤っていたからだと強烈に批判する。徹底したグローバリゼーション(ハイパー・グローバリゼーション)の追求が各国政府の統治能力を弱め、そのことが既存政治やグローバリゼーションに対する民衆の反発につながったというのだ。
ハイパー・グローバリゼーションとは、自由貿易や国際資本移動のもたらす経済的利益を最大化するために、各国の市場を一つの市場へと統合することである。そのためには、各国市場を分断する貿易障壁や国際資本規制をなくすだけでなく、労働基準や金融規制のような各国の国内制度についても、貿易や国際資本移動の妨げとならないようにグローバル・ルールに基づく統治が必要であると考えられている。貿易の面でそれを実現しようとしているのはWTOであり、欧州市場においてはブリュッセルにあるEU本部である。
これに対して、民主主義に基づいた国民国家が国民の選好に応じて多様な経済制度を構築する方が人々にとって望ましく、そのためにはグローバリゼーションを抑制することも必要だと、筆者は主張する。
筆者の主張は次のようなものだ。市場が機能するためには、中央銀行のような公的機関や、安全基準や労働基準のような社会的規制、社会を安定化させるための社会保障の提供、国内景気を調整するための財政・金融政策など、政府による経済政策の実施と制度の構築が必要である。そのような市場を統治する政府の単位として、筆者は「国民国家」の枠組みを重視している。それは、本書内でデータによって示されているように、人々が最も強くアイデンティティを感じる地理的範囲としていまだに国家の存在が重要視されており、国家を超えたグローバル市民としてのアイデンティティを持つ人がまだまだ少ないからである。
そして、国家にとって望ましい制度は一つではなく、国民の選好によって異なるものだと筆者は主張する。例えば、金融制度を考える場合、金融イノベーションの促進と金融システムの安定性のどちらを重視するのかについて、各国の国民が持つ選好が異なるのであれば、国民にとって望ましい金融制度は当然異なるはずだと考えられる。食品の安全基準についても、安全に対する意識の程度が国によって違うのであれば、その規制の在り方も当然異なってくるはずである。実際、日本や欧米先進国は、それぞれ異なる制度的枠組みの下で経済を発展させてきたし、中国のような経済発展を実現してきた途上国は、WTOやIMFのような国際機関が求める市場原理主義的な制度ではなく、自国の社会状況に応じた制度を自ら構築してきたからこそ成功したのだと、著者は指摘する。
そして、国民の選好に応じた制度の構築プロセスとして、著者は民主主義を重視する。その理由として、著者は過去の実証研究より、独裁体制などの権威主義国家と民主主義国家の経済成長を比較した場合、権威主義国家には中国やシンガポールのように急速な経済成長を実現した国があるが、成長に失敗した国も多く、長期的な経済成長や景気の安定など多くの点において、民主主義国家の方が平均的に高いパフォーマンスが実現していることを明らかにしている。
ハイパー・グローバリゼーションの進展は、国民国家と民主主義に対して二つの点で弊害をもたらすと、筆者は指摘する。一つは、発展段階や国内制度が異なる国との間の貿易や国際資本移動が拡大することによって、各国の国内制度の機能が弱められることである。例えば、賃金水準や労働条件が低い途上国との貿易の拡大によって、先進国の政府が国内の労働条件を維持することは難しくなっている。同様に、金融市場のグローバル化によって他国の金融制度の不備がもたらした金融危機が国際的に伝播するようになったため、政府が国内の金融システムを安定化することは難しくなっている。
二つ目は、各国政府の政策手段がグローバル・ルールによって制約を受けることである。例えば、WTOは、貿易政策のみならず、食の安全基準や知的財産権など各国の国内制度にまで影響力を及ぼすようになり、途上国の産業政策についても制限を課すようになった。共通通貨ユーロを導入した国は、金融政策の権限をECBに委譲することになったため、国内の景気に応じた金融政策を独自に行うことができなくなってしまった。このような、政策手段に対する制約は、時に国民の望む政策の実行を困難なものとし、国民からの反発をもたらす原因となっている。
その一例が、EUで起こったギリシャ危機である。EUは加盟国間で単一市場が構成されており、貿易や国際資本移動が(そして国際労働移動も)完全に自由化されている。さらに、ユーロ圏諸国では通貨までも統一されており、世界の中で最もハイパー・グローバリゼーションが進んでいる地域である。しかし、資本市場が統合された一方で、財政政策の権限は国民国家にあったことが、ギリシャの債務危機へとつながった。
資本市場の統合とユーロの導入は、ギリシャ政府が他の欧州諸国の金融機関から資金を調達することを容易にし、対外債務増加の原因となった。このため、ギリシャ政府が債務危機に陥ったとき、ドイツをはじめとするEU諸国は債権国の立場からギリシャに対して金融支援を行う条件として緊縮財政と構造改革を強要した。しかし、ユーロ導入によって、経済危機に陥った国が景気対策として通常行っている為替切り下げ政策を行えなくなったギリシャにとって、緊縮財政と構造改革がもたらす景気の悪化は深刻なものとなった。
同じ国内であれば、経済的に豊かな地域から貧しい地域への財政資金の分配(財政移転)は政府によって当たり前のように行われる。しかし、ユーロ圏ではこのような財政移転を実現するための財政統合(ユーロ圏予算の制定やユーロ債の発行など)は実現していない。このため、ドイツなど他のEU諸国は財政再建の痛みをギリシャに押し付け、その負担を分け合おうとはしなかった。緊縮財政と構造改革の痛みに耐えきれなくなったギリシャ国民が、15年に実施された国民投票でEUが要求した財政再建案に対してNoの意思表示を行ったときも、EUはギリシャ国民の意思に耳を傾けることなく、ギリシャ政府に財政再建策を受け入れさせた。つまり、ギリシャの民主主義よりも、ユーロに対する信頼を重視したのだ。EUは他のEU諸国にも緊縮財政や構造改革の要求しており、そのことが反EU政党の勢力拡大の原因の一つとなっている。
このような状況を改善するためには、二つの道しかないと著者は考えている。一つは、ユーロ圏諸国の財政政策を統合し、加盟国間の財政移転を容易なものとすることである。もう一つは、各国が財政・金融政策を国内景気の状況に応じて対処できるようにするために、共通通貨ユーロと資本移動の自由化をあきらめることである。筆者の薦める選択肢は、当然後者である。優先すべきは市場の統合ではなく、各国による政策の選択余地を広げるべきというのだ。
一方、米国で反自由貿易政策を掲げるトランプ大統領が誕生した原因として、著者は、貿易の増加によって生じた国内の所得格差の拡大や製造業の雇用喪失に対して、それまでの政権が有効な対策を取ってこなかったからだと主張する。この責任は、自由貿易が経済全体にもたらす利益をひたすら喧伝し、国内の所得分配に及ぼす影響について十分な説明を行わなかった主流派経済学者にもあると、筆者は考えている。市場の力を過度に信用する新自由主義的なイデオロギーを支持し、欧州のような格差縮小のための社会保障制度を充実させなかったことが、国民の自由貿易に対する信頼を失わせたというのだ。
このようなグローバリゼーションがもたらした様々な問題に対して、どのように対処すればいいのだろうか? 筆者の答えは、各国が国内制度や社会的規範を守るために貿易や国際資本移動を抑制する権利を認めるべきだというものだ。グローバリゼーションは各国が国内の統治能力を損なわない範囲内で行うべきであり、そのことこそが民主主義とグローバリゼーションを両立させる道だと筆者は主張する。
例えば、貿易協定については、他国に経済的損失をもたらすことによって自国が経済的利益を得ようとする「近隣窮乏化政策」は、従来通りに制限を課すべきだが、自国の経済的利益を犠牲にしてでも、国内の労働環境や所得分配の改善など社会的目的の実現のために行う輸入関税の引き上げを意味する「自国窮乏化政策」については、その政策が民主的手続きを経て国民の選択として成立するのであれば、認めるべきだと筆者は考える。例えば、労働規制が低水準にある途上国との貿易によって、先進国労働者の労働条件が悪化するのであれば、国内の労働条件を改善するためにそのような途上国との貿易を制限することを可能にすべきだというものである。これは、社会的ダンピング(輸出促進のために国内の労働基準や環境基準を引き下げること)を禁じる社会条項のことを意味しており、以前から先進国の労働組合や環境団体などがWTOに対してその導入を求めていたものだ。WTOでは社会条項は認められていないが、TPPなど近年締結されている貿易協定では、徐々に導入されつつある。
興味深いのは、TPPなど近年の貿易協定では、途上国に対して労働基準の引き下げなどを禁ずる条項を入れることによって、途上国の労働基準について直接制限を設けようというのに対し、著者は、このような途上国に先進国の基準を押し付ける形ではなく、先進国が国内の労働者の労働条件の低下を防ぐ目的で、途上国からの輸入を制限する権利を認めるべきと考えているところだ。一方、途上国に対しては、国内産業の育成を目的とした輸入関税の引き上げや補助金の支給、国内に進出する外国企業に対する現地調達要求や出資制限、知的財産権の緩和など、国内の工業化を実現させるための産業政策を自由に行う権利を与えるべきだと、筆者は主張する。これらの政策は、先進国の多国籍企業の利益に反するものであり、WTOやTPPなどの貿易協定では先進国と同様の規制が課されているが、途上国が工業化を実現するための政策を貿易協定によって制限すべきではないと著者は考えている。
このように、著者は、徹底した自由貿易の追求よりも、民主主義に基づく各国の統治能力を強化することを目的としたグローバリゼーションを追求するべきだと考えている。国際資本移動についても同様で、国内のマクロ経済を不安定化するほど大きな国際資本移動を防ぐため、もしくは国内の金融システムに対する規制を強化するために必要であれば、各国が国際資本移動を規制することは認めるべきだと著者は主張する。
このように、著者の考えはグローバリゼーションよりも民主主義を重視したものとなっている。必要であればグローバリゼーションを制限すべきという著者の主張に対して、肯定的な見解を示す経済学者は決して多くはない。しかし、貿易戦争やEU分裂の危機に直面している現状が、これまで行われてきたグローバリゼーションの推進に対する人びとの反発から生まれてきたのも事実だろう。現状の反グローバリゼーションの流れから世界を正常な状態へと戻すために、多くの経済学者は反グローバリゼーションがもたらす経済的損失を主張しているが、経済学者が人々に対して示すべき道は、これまで行ってきたハイパー・グローバリゼーションの追求という道へと再び戻るのではなく、人々に望まれる別の形のグローバリゼーションへの道を示すことなのかもしれない。本書はグローバリゼーションに対する新たな選択肢を提示しているという意味で非常に興味深い本だと思われる。
>『貿易戦争の政治経済学 ——資本主義を再構築する』ダニ・ロドリック著/岩本正明訳
[執筆者略歴]
大川良文(おおかわ・よしふみ)
1971年生まれ。神戸大学経済学部卒業。神戸大学大学院経済学研究科国際経済博士課程修了。滋賀大学経済学部准教授を経て、現在、京都産業大学経済学部教授。専門は国際経済学。論文に“Innovation, Imitation, and Intellectual Property Rights with International Capital Movement” Review of International Economics など。訳書にロドリック『グローバリゼーション・パラドクス』(白水社、柴山桂太と共訳)がある。