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ダニ・ロドリック著『貿易戦争の政治経済学』特集

「米中貿易戦争のゆくえ」岩本正明

 世界の二大経済大国である米国と中国の間の貿易戦争は、予断の許さない状況が続いており、まだ収束の兆しは見えていない。実体経済にも影響は広がっており、特に外需への依存度が大きい中国経済の成長鈍化は鮮明になっている。両国は日本にとっても最大の貿易相手国であり、対岸の火事とは言えない。対立が深まる背景には、両国の国家としてのあり方の違いがある。現状は米国が中国に自分たちのスタンダードを強硬に押し付けているように見えるが、本書を読み解く限り、米国が現在のスタンスを継続すれば、争いはますます泥沼化する可能性が高い。
 今月13日、両国政府は貿易協議が第1段階の合意に達したと発表した。2018年に始まった両国間の関税引き上げ合戦がいったん休止する形となり、マーケットは素直に好感している。合意内容には両国の貿易不均衡是正に向けて、中国が米国からの輸入を2年間で2000億ドル増やすという具体的な数字も盛り込まれており、全体的には米国が中国側から大幅な譲歩を引き出したように見える。中国経済の窮状を如実に映し出した格好だ。
 中国の輸出総額のおよそ2割を占める対米輸出は、2019年1~9月の間に対前年同期比で1割以上減少している。同国の国内総生産(GDP)成長率も貿易戦争が始まった2018年以降、右肩下がりが続いており、直近の2019年7~9月期には前年同期比6パーセントと、四半期ベースでは統計でさかのぼれる1992年以降、最も低い水準まで落ち込んでいる。
 合意内容に盛り込まれた米国からの輸入増加分のうち、農産物が400~500億ドルを占めるという。来年の大統領選での再選に向けて、トランプ大統領の支持基盤である中西部の農家からの票固めを意識した、政治色の強い合意内容となっている。そのほかにも、中国側は外国企業からの技術移転の強要の禁止、人民元安誘導の抑制などを受け入れた一方、米国側は予定していた新たな関税の発動を見送り、これまでに引き上げた関税の一部も緩和する見込みだ。
 国際通貨基金(IMF)は米中貿易戦争の影響で2019年の世界経済の成長率が2008年の世界金融危機以降で最低まで落ち込むと予想しており、両国が今回の合意に達したことは世界経済にとって、短期的には朗報と言える。ただ、米国側が強く求めている中国政府の産業政策の見直しなど構造的な問題は手付かずのまま先送りにされており、今回の合意内容は弥縫策的な色彩が強い。
 中国政府は自国の産業育成に向けて、自動車や通信などの重点分野の企業に補助金を投入しており、日経新聞の報道によると、中国政府が上場企業に給付した補助金は2018年におよそ2兆4000億円に達し、この5年でほぼ倍増しているという。政府から補助金を受け取っている中国企業が輸出を増やしている場合、グローバル市場で競合相手となるほかの国の企業から見ると不公平な競争を強いられる形となる。トランプ政権は米国の対中貿易赤字が大きいのは、中国政府がこうした不公平な政策を行なっているためだと批判している。
 つまり今回の米中貿易戦争の根っこには、政府主導で経済発展に邁進しようとする中国と、あくまで民間企業の自由な活動を重視すべきとする米国との間の価値観の相違がある。一部で国家資本主義対欧米型資本主義の対立と形容される問題だ。両国の間の協議では、デカップリング(中国を自国の経済活動からあらゆる面で切り離すこと)を脅しに使いながら、自国のやり方に力で従わせようとする米国の姿が垣間見えるが、著者のダニ・ロドリック教授は『貿易戦争の政治経済学』(岩本正明訳)において、ニーズや選好が異なる世界をひとつのルールの中に無理やり押し込めようとすることは、国家の間の様々な緊張につながり、最終的には過剰な反発を引き起こすだけだと警告している。
 『貿易戦争の政治経済学』における著者の見方を要約すると、制度のあり方に関しては各国でニーズや選好が異なり、歴史的、地理的な要因から、国同士で制度をすり合わせるには限度がある。あくまで制度の多様性や国民国家の枠組みを重視すべきだというのが著者の一貫した立場だ。今回の問題に関しては米国側のロジックにも一定の理はあるものの、他国の内政に干渉するような要求は相手国の反発を生むだけで、根本的な問題の解決にはならない。著者は米中貿易戦争の現状に危機感を覚えているようで、10月には両国の経済学者や法律専門家と連名で、争いの解決に向けた提言を発表した。以下がその要点だ。

・各国は国内においては独自の産業政策を行う自由が認められるべきである。
・各国は国内において、自国が選んだ産業政策や社会政策を保護するために、関税や非関税障壁を含んだ調整の取れた政策を推進する自由が認められるべきである。
・いずれの国も他国に対して不要で非対称的な負担を押し付けるべきではない。
・他国に経済的な損害を与えることによって自国に利益をもたらすような近隣窮乏化政策は禁止する貿易ルールを整備すべきである。

 ここで言う近隣窮乏化政策とは、ある財を独占している国がその財の独占価格を引き上げるために輸出規制を行なったり、貿易黒字を目的とした一貫した通貨安政策など非常に限られたもので、米国側の批判の対象となっている中国政府による産業補助金などは含まれない。
 著者は今回の問題に関しては、米国政府は今のように圧力を使って中国に対して産業政策を変更するよう求めるのではなく、あくまで中国の産業政策によって悪影響を受ける国内企業や業界を保護することで、影響を中和させるにとどめるべきだと提言している。さもなければ、両国間の貿易協議は解決の糸口が見つからないまま、最終的な和解に至ることはないというのが著者の見方だ。
 本書の言葉を借りれば、繁栄に通ずる「唯一の道」はなく、いずれの資本主義モデルも絶対的勝者と見なすことはできない。それぞれの国にあった制度を発展させるべきであり、グローバルに押し付けたりすり合わせる必要はないのだ。来年の大統領選の結果次第となるが、この問題に対して強硬な姿勢を貫くトランプ大統領が再任されれば、両国間の貿易協議は袋小路に陥る可能性が高いことを本書は示唆している。米中貿易戦争の先行きに興味のある方は、ぜひ本書を一読してもらいたい。

2019年12月

岩本正明

[執筆者略歴]
岩本正明(いわもと・まさあき)
1979年生まれ。大阪大学経済学部卒業後、時事通信社に入社。経済部を経て、ニューヨーク州立大院で経済学修士号を取得。通信社ブルームバーグに転じて独立。訳書にロドリック『貿易戦争の政治経済学』、プレンダー『金融危機はまた起こる』、ボージャス『移民の政治経済学』(以上、白水社)、アーノルド『ウォーレン・バフェットはこうして最初の1億ドルを稼いだ』(ダイヤモンド社)。

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