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ダニ・ロドリック著『貿易戦争の政治経済学』特集

『貿易戦争の政治経済学』ダニ・ロドリック著/岩本正明訳 第一章(1)

『貿易戦争の政治経済学 ——資本主義を再構築する』ダニ・ロドリック著/岩本正明訳

第一章 より良いバランスを取り戻す
 米国において、グローバルな貿易体制に対する評判はこれまで決して芳しいものではなかった。世界貿易機関(WTO)も北米自由貿易協定(NAFTA)や環太平洋パートナーシップ協定(TPP)などの地域経済協定も、一般国民の間で強い支持を得られることはなかった。ところが様々なグループが反対していたものの、彼らは一致団結して行動を起こさない傾向にあった。
 そうした背景を利用し、第二次世界大戦の終結以降、政策立案者は次々と貿易協定を締結することができた。世界の経済大国は常に貿易交渉を行っている状態で、二つの大きな世界規模の多国間貿易協定、つまり関税及び貿易に関する一般協定(GATT)とWTOを設立した条約を締結した。さらに二国間で、もしくは各地域の国々の間で五百以上の貿易協定が締結された。その大多数は一九九五年にWTOがGATTに置き換わってからのものだ。
 今日では、国際貿易は政治の議論の場において中心議題の地位にまで昇格しており、これは一つの変化と言える。直近の米国大統領選では、立候補者のバーニー・サンダースとドナルド・トランプがいずれも貿易協定への反対を選挙綱領の柱とした。さらにほかの候補者の論調からも判断すると、グローバリゼーションを擁護することは、今の政治情勢においては選挙での敗北を引き寄せる自殺行為と言えるほどにまでなっている。今回の大統領選挙ではトランプが勝利を収めたが、自由貿易に強硬に反対し、貿易協定は米国が損をして他国を利するものだと主張して再交渉を約束したことが、その勝利の少なくとも一翼を担ったのかもしれない。
 トランプなどのポピュリストが貿易を論じる際に使うレトリックは極端かもしれないが、国民が自由貿易に対して潜在的に抱えている不満が本物であることを否定する者はほとんどいない。グローバリゼーションの恩恵は、国民全員には行きわたっていない。製造コストの低い中国やメキシコから輸入品が流入したことで、多くの労働者とその家族の生活は破壊された。一方で、グローバリゼーションによって大きな恩恵を受けたのは、市場の拡大をうまく利用した資本家とスキルの高い専門家だった。グローバリゼーションは先進国において格差が拡大した唯一の要因ではなく、最大の要因でもないが、大きな要因の一つではあった。一方、経済学者は近年の貿易協定が経済全体にもたらした大きな利益を見つけ出そうと努めてきた。
 貿易が特に政治の場で槍玉に挙げられやすい理由は、公平性を歪める懸念が生じやすいからだ。その点で、格差の拡大をもたらすもう一つの大きな要因——テクノロジー——とは異なっている。例えば、競合相手がより良い製品を開発して市場に投入した結果、私が仕事を失っても、不平不満の原因とはなりにくい。ところが競合相手が国内であれば違法であること——例えば、労働者が集団で組織を作ったり、交渉することを禁ずる——を行っているある外国の企業にアウトソーシングした結果、私を競争で打ち負かした場合、不平不満を主張することは正当化されるかもしれない。人々が気にする傾向にあるのは格差の拡大そのものではない。問題とされるのは、異なる基本ルールの下で競争を強いられることによって生じる、不公平な・・・・格差の拡大である。
 二〇一六年の大統領選の選挙活動中、バーニー・サンダースは労働者の利益がより反映されるよう貿易協定を再交渉すると訴えた。ところがそうした主張はすぐに反論に遭った。貿易協定を停滞、もしくは後退させれば、貧困国が輸出主導の成長によって貧困から脱する可能性がますます低くなり、世界で最も貧しい人々が被害を被るというのだ。通常は穏健な人気ニュースサイトVox.com では、「ほかの国に住んでいる貧しい人にとっては、バーニー・サンダースが発した言葉の中で最も身の毛がよだつ言葉だ」という見出しが躍った。
 ところが、先進国における社会や公平性の問題により配慮した貿易ルールを構築することが、必ずしも貧困国における経済成長と両立しないというわけではない。グローバリゼーションを声高に主張する人々は、この問題を既存の貿易体制を進めるのか、それとも世界の貧困をそのまま放置するのかといった極端な二者択一に落とし込むことで、自分たちの大義にも大きなマイナスの影響を与えている。革新主義者は望ましくないトレードオフを自分たちに強いているが、それも不必要なことだ。
 貿易がいかに発展途上国に利益をもたらしてきたのかに関する標準的なナラティブは、彼らがこれまで経験したことの中で最も大きな特徴を無視している。中国やベトナムなどグローバリゼーションをてこに経済成長を成し遂げた国々は、輸出を促進するだけではなく、既存の貿易ルールに違反するような政策も断行しており、臨機応変に多様な戦略を採ってきたのだ。企業に対する補助金や国内部品調達要件、投資規制、さらに輸入障壁すらも、高付加価値産業を新たに育成する上では極めて重要だった。一方で、自由貿易のみに依拠した国々(メキシコが真っ先に思い浮かぶ)では経済の不振が続いた。
 つまり、TPPのように既存の貿易ルールをさらに強化するような貿易協定が、発展途上国に与える恩恵は一様ではないのだ。もし中国が一九八〇年代から九〇年代にかけてWTOが求めるような貿易ルールに縛られていれば、目を見張るほどうまくいった産業化戦略を遂行することはできなかっただろう。TPPによって、ベトナムは今後も米国市場へのアクセスをある程度保証されるものの(米国側の既存の貿易障壁はすでにかなり低い)、その見返りに国内企業への補助金や特許ルール、投資規制に関しては制約を甘んじなければならなくなるだろう。
 過去の歴史を振り返っても、貧困国がグローバリゼーションから大きな恩恵を受けるには、先進国がそれらの国に対する貿易障壁を大きく引き下げる、もしくは障壁を撤廃しなければならないと示唆する証拠はない。実際、これまで輸出主導の成長に最も成功した国々——日本、韓国、台湾、中国——が成長した期間に米国と欧州諸国が課していた輸入関税は今よりも高く、それなりの水準だった。
 つまり、豊かな国における格差の拡大とそのほかの国における貧困の両方を懸念している革新主義者にとっては朗報だが、それら二つの問題を同時に改善することは可能だということだ。ただそのためには、我々は貿易協定に取り組むアプローチを抜本的に変えなければならない。
 賭けの代償は極めて大きい。グローバリゼーションを誤ったやり方で進めれば、米国だけではなくほかの先進国——特に欧州——と大多数の世界の労働者が住む中低所得国にも甚大な被害をもたらす。経済の開放と政策の自由度の間で、うまくバランスを取ることが極めて重要なのだ。

瀬戸際の欧州
 経済統合を大きく進めることが、統治と民主主義にどういった課題をもたらすのか? その答えは、欧州を見れば一目瞭然だ。欧州の単一市場と単一通貨の試みは、私が自著の中で「ハイパーグローバリゼーション」と名付けた現象におけるユニークな実験を代表するものだ。経済統合に関しては広範囲に進める一方、政治統合は限定的で、実験の結果広がった両者の間の隔たりは、民主国家においては過去に経験したことのない水準まで拡大した。
 金融危機が世界を襲い、欧州の実験がいかに不安定な足場の上でなされていたのかが露見すると、巨額の対外債務を抱えていた経済弱国はすぐに救済が必要となった。欧州の各機関と国際通貨基金(IMF)はすでに解決策を用意していた。それは構造改革だ。確かに緊縮財政は痛みを伴うが、労働市場や商品市場、サービス市場における自由化などの構造改革を積極的に断行することで、その痛みは耐えうるものとなり、患者は自分の両足で再び立てるようになるというのが彼らの言い分だ。本書でこれから説明するが、こうした希望的観測ははなから間違っていた。
 ユーロ危機が欧州の政治的民主国家に大きな被害を与えたことは認めざるをえない。欧州のプロジェクトに対する自信は損なわれ、中道派の政党は弱体化し、過激主義の政党、特に極右が大きく支持を広げる結果となった。また、それほど正しく認識されてはいないものの、少なくとも同じくらい重大だったのが、ユーロ圏には属していない国における民主主義の発展の可能性に与えたダメージだ。悲しいことだが、その他の国にとって欧州はもはや民主主義の輝ける指針ではなくなったのだ。欧州連合(EU)は、加盟国の一つであるハンガリーが権威主義体制に転落することを阻止できなかった。そのような国家共同体が、共同体外部の国の民主主義の発展を助長し、強化することが果たして可能だろうか? 例えばトルコを見れば、何が起こるのかが容易に見て取れる。トルコでは「欧州のくびき」から解放されたことで、エルドアン大統領が強硬な手段を繰り返すことが可能になった。また、それほど直接的ではないものの、アラブの春が頓挫したのもその影響と言える。
 誤った経済政策によって、最も深刻な被害を受けたのはギリシャだった。統合の深化に伴うトリレンマに苦しめられた国で顕在化するあらゆる兆候が、ギリシャの政治に垣間見られた。ハイパーグローバリゼーションと民主主義、国家主権のすべてを同時に手に入れることはできない。せいぜい得られるのはそのうちの二つだけだ。ユーロ圏のほかの国もそうだが、ギリシャもそれら三つをすべて諦めようとしなかった。だがその結果、そのいずれの利益も享受できなくなった。次々と新たな政策を打ち出して時間稼ぎをしてきたものの、いまだに泥沼から抜け出せていない。緊縮財政と構造改革によってギリシャが自国の経済を健全な状態まで回復できるのか、まだ答えは出ていないのだ。
 歴史を振り返れば、ギリシャ経済の健全化については懐疑的にならざるを得ない根拠がある。一方で金融市場と海外の債権者、もう一方で国内の労働者、年金受給者、そして中間層。この両者の求める利害が衝突する際、民主主義の国では通常、ローカルである国民が最終的な決定権を握っている。
 本格的なギリシャによる債務不履行が引き起こすことになる経済面での影響がそれほどひどくはないと思えるくらい、政治的な結末はさらに悲惨なものとなるかもしれない。ユーロ圏が崩壊すれば、第二次世界大戦後の欧州の政治的安定の要であった欧州統合のプロジェクトは、回復不能な傷を負うことになる。重債務国である周辺国だけではなく、統合のプロジェクトを主導してきたフランスとドイツのような中核国すら不安定になるだろう。
 悪夢のようなシナリオは、一九三〇年代に起きたように政治的な過激思想が勝利することだ。ファシズム、ナチズム、そして共産主義の誕生は、十九世紀末以降に進行したグローバリゼーションに対する大衆の反発が原因だった。拡大するマーケットの力と国際派のエリートによって権利を剝奪され、脅かされていると感じたグループの不安に彼らはつけ込んだのだ。
 自由貿易と金本位制は、社会改革やネーション・ビルディング〔国民を一致団結させることを目指してナショナル・アイデンティティを確立すること〕、文化復興など国内で優先すべき事項の優先度を引き下げることを要求していたが、経済危機と国際協調の失敗によって、グローバリゼーションだけではなく既存の秩序を支えるエリートも弱体化した。私のハーヴァード大学の同僚であるジェフ・フリーデンが書いているように、こうした状況が二種類の異なる過激主義の台頭を許したのだ。公平性と経済統合の選択に迫られ、急進的な社会改革と経済の自給自足を選んだのが共産主義者。そして自国主義とグローバリズムの選択に迫られ、ネーション・ビルディングを選んだのがファシズムやナチズムの信奉者とナショナリストだった。
 幸運にも、ファシズムや共産主義などの独裁体制はいまでは時代遅れになっている。ただ、経済統合と国内政治の間にある変わらない緊張関係は、これまでもずっとくすぶり続けてきた。欧州の単一市場は欧州の政治共同体よりずいぶん前に形成されており、経済統合が政治統合をリードしてきたのだ。
 その結果、経済の安全性や社会の安定性、文化的アイデンティティが脅かされても、国内の一般的な政治的プロセスでは対処できないのではないかという懸念が次第に膨らんだ。国の政治機構ががんじがらめになり、効果的な処方箋を提供できなくなったのだ。一方、欧州の機関にはまだ国民の忠誠心を集めるほどの求心力が備わっていない。
 中道派の失敗によって、最大の恩恵を受けたのは極右だ。フランスではマリーヌ・ルペン率いる国民戦線が再び人気を取り戻し、二〇一七年には大統領選で勝利を狙えるほどの巨大な政治勢力にまで台頭した。また、ドイツ、デンマーク、オーストリア、イタリア、フィンランド、オランダでも右派のポピュリスト政党がユーロ圏に対する国民の怒りにつけ込んで票を伸ばし、国内の政治制度において彼らが裏で権力を握っているようなケースも見られる。
 そうした国民の反発は、ユーロ圏諸国だけに限らない。〔ユーロ圏に加盟していない〕北欧諸国でも、ネオナチにルーツを持つ政党であるスウェーデン民主党が社会民主党以上の支持を集め、二〇一七年初頭の全国規模の世論調査ではトップの支持率を獲得した。そしてもちろん英国では、経済学者が悲惨な結果をもたらすと警告したにもかかわらず、〔EUの本部がある〕ブリュッセルに対する反感と国の自律を求める思いがEUからの脱退につながった。
 極右の政治運動は伝統的に、国民が抱く反移民の感情に訴えかけるものだ。ところがユーロの問題に加えて、ギリシャやアイルランド、ポルトガルなどの国を救済したことが、彼らに新たな攻撃材料を提供した。極右はユーロに対してもともと懐疑的だったが、実際に起こった出来事によってその正しさが証明される形となった。マリーヌ・ルペンはユーロから単独で撤退するかどうか聞かれた際、自信に満ちた態度で次のように答えた。「数カ月後に私が大統領になっているころには、ユーロ圏はおそらく存在していないでしょう」。
 一九三〇年代と同じように、国内の有権者が経済、社会、文化に関して求めている要望に中道派の政治家が適切に応えることができない状況の中で、国際協調における失敗が事態の悪化に拍車をかけた。欧州のプロジェクトとユーロ圏の動向が大きく議論の方向性を左右していたため、ユーロ圏がぼろぼろになると、エリートの正統性はさらに深刻なダメージを受けることとなった。
 欧州の中道派の政治家は「さらなる欧州の統合」を進める戦略に傾倒してきたが、国内の不安を払拭するにはあまりにも駆け足だった一方、欧州全体の政治共同体を創設するにはスピード感が足りなかった。不安定で緊張関係の伴う中間路線を、あまりに長い間続けてしまったのだ。結果的には実行不可能だった欧州の未来図に固執することで、中道派のエリートは欧州統合の理想自体を危険にさらした。
 欧州危機に対する短期的な処方箋と長期的な解決策、この二つを大まかに区別するのは難しくない。この問題に関しては、後の章で議論する。最終的には、欧州はこれまでに何度も直面してきた選択に、再び向き合わなければならなくなるだろう。つまり、政治的統合に乗り出すか、それとも経済的統合を後退させるのか、そのどちらかを選ばなければならないのだ。どうすれば加盟国の経済的・政治的ダメージを最小限に抑える形で、友好的に結論にたどり着けるのか? 今回の危機の対応を誤ったことで、その答えは非常に見えづらくなっている。

>第一章(2)

◇初出=『貿易戦争の政治経済学 ——資本主義を再構築する』ダニ・ロドリック著/岩本正明訳

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