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ダニ・ロドリック著『貿易戦争の政治経済学』特集

【特別寄稿】柴山桂太「政治的想像力を広げるために――『貿易戦争の政治経済学』解説に代えて」

政治的想像力を広げるために――『貿易戦争の政治経済学』解説に代えて

京都大学大学院人間・環境学研究科准教授 柴山桂太

 グローバリズム全盛の時代に、国民国家の意義を再評価するなどと言えば、いかにも反時代的な物言いと受け取られることだろう。しかし本書の著者ダニ・ロドリックの手に掛かると、そんな後ろ向きに聞こえる主張も、世界経済の難題を解決する魅力的な提案へと生まれ変わる。
 といって、グローバリズムを否定し、ナショナリズムを擁護するトランプ流の経済政策を推奨する本ではない。グローバリズムの理想は退けられているが、トランプの場当たり的な経済政策に対しても、容赦ない批判が加えられている。著者が求めているのは、国際貿易のもたらす利益を最大限に享受しつつ、政府が自国の経済を管理する余地を広げる道だ。グローバルなガバナンス(WTOやEUなど超国家機関の統治機能)を少し弱め、ナショナルなガバナンス(各国政府の政策的自由度)を少し強めることで、グローバリゼーションと国内政策の両立を取り戻そうとするのである。
 著者の基本的な考え方は、世界的に評判となった『グローバリゼーション・パラドクス』や、経済診断学の必要性を説いた『エコノミクス・ルール』に詳しい。本書は、その続編とでもいうべきものであるが、最近の国際社会の動向を踏まえて、内容はさらに充実したものになっている。トランプ現象をどのように考えるべきか。経済発展が続く新興国で、なぜ政治体制が民主化に向かわないのか。行きすぎたグローバリゼーションを軌道修正するために経済学者は何をするべきなのか、などの問題に対する著者一流の答えが記されている。
 グローバリゼーションを極端に推し進めて国家主権や民主主義を犠牲にするのではなく、国家主権を回復し民主主義を強化して行きすぎたグローバリゼーションを抑制する方向に、世界経済の未来を見るというロドリックの基本的な方向性は、本書でも継承されている。ただ現在は、保護貿易や反移民を主張するトランプが、アメリカの大統領になる時代である。2016年のトランプ・ショック以後、多くの識者がグローバリゼーションのもたらした社会の分断を指摘している。この問題に、『グローバリゼーション・パラドクス』の著者は、どのように応答するのであろうか。
 ロドリックは、既存の統治エリートに対する人々の怒りには、それなりの正当性があると考えている。グローバリゼーションが国内の格差を助長し、国内に大量の「見捨てられた人々」を生み出してきたにもかかわらず、統治エリートは有効な対策を取ってこなかった。拡大する市場の力によって権利を脅かされていると感じている人々に、既成政治は有効な保障も与えてこなかった。その不安につけこんだのがトランプに代表されるポピュリスト政治家だった。
 大多数の知識人と同様、ロドリックもトランプの経済施策を支持していない。ポピュリストはエリートと人民の対立を煽り、自分たちこそが人民の真の利益を体現しうるとして、既存のエリートを政治経済の中枢から排除しようとする。だが、いま必要なのは国民の分断を助長することではなく、国民の結束を取り戻すことだ。そのためにはエリートを「人民の敵」として追い出すのではなく、彼(女)らの意識を変えなければならない。政策の優先順位を、貿易協定の締結や経済統合の深化にではなく、社会的公正や経済的安定の実現へと置きかえる必要があるのだ。
 このように考える時、大きな障害になるのが国民国家(nation state)を時代遅れのものと見なす知的慣行である。国民国家は21世紀の新たな現実にはそぐわない、古くさい政治制度だという考え方は、リベラル派を中心に知識人の共通了解になっている。経済学者も同様である。貿易障壁がなくなれば世界経済はもっと大きな利益を獲得できるのに、各国のナショナリズムがその邪魔をしていると考える傾向にある。
 本書の第二章は、国民国家は時代遅れだとする風潮に対する多角的な反論となっている。まず、事実問題として国民国家が消滅に向かう傾向は観察されていない。世界価値観調査(米ミシガン大学が定期的に行っている各国の意識調査)の結果を見ても、国籍に囚われないとする世界市民の意識を持っているのは、高学歴で専門職についている一握りの上位階層だけだ。大多数の庶民にとって、アイデンティティの中核はいまも国民国家にある。早くから経済統合に着手し、超国家機関への権限移譲が進んでいる欧州でも、EU市民としての強い自覚を持っていると答える割合は驚くほど少ない。だから人々は、経済危機でも移民・難民危機でも、その解決を自国の政府に期待する。目の前の切実な問題に答えてくれるのは「民主主義の赤字」を抱えたEUではなく、民主的な代表者を送ることのできる自国政府なのだ。
 知識人の多くは、国民国家を歴史上の遺物と見なしている。しかし、ロドリックはそうではない。反対に、国民国家は今後もその重要性を増すことになると考えている。背景にあるのは、市場と制度・政府をめぐる現代経済学の標準となりつつある考え方だ。市場が円滑に機能するには、市場の外側にある制度や、制度を調整する政府の役割が不可欠である。国民国家の土台なしには、自由主義・民主主義の諸制度は開花しない。国民国家の形成に失敗すると何が起こるかは、今日の「破綻国家」を見れば明らかだ。民族や宗派に分かれた内戦がおさまらず、政府は国内政策の適切な実施に必要な国民の信頼や忠誠を獲得できていない。
 ロドリックは、最近の欧米諸国に見られるポピュリズム台頭の原因を、統治エリートによる国民国家の軽視に見ている。国民国家は、社会の幅広い層の利害や意見を取り込むための統治制度であったはずだ(その意味で国民国家は民主主義の母胎である)。だが一九八〇年代以後のエリート層は、グローバル化の実現を歴史の避けがたい潮流と見なして、そこからこぼれ落ちる層を不当に無視しつづけてきた。自由貿易に反対するのは、既得権益にしがみつく無知で不道徳な人々だと決めつけて、その声を政治に取り込む努力を怠ってきたのである。
 いま生じているのは、その政治的な反動だ。エリート層の視界に入っていなかった人々が、投票の機会を捉えて、既成政治に「否」の意思表示を始めたのである。これは民主主義の正当な発動とも言えるが、極端な政治的意見によって中道政治の価値が損なわれているという意味では、民主主義の健全性が脅かされているとも言える。この現状を打開するには、政治的エリートや知識人が、政治の原点に立ち戻る必要がある。グローバル・ガバナンスの見果てぬ理想を追い求めるのを止めて、足元のナショナル・ガバナンスを強化しなければならない。「我々はすでにあるこの世界、政治的に国家が分割されたこの世界に住む以外の選択肢はない。我々が住む場所は、頭の中に思い描いている理想の世界ではないのだ。世界の利益に資する最善のやり方は、すでに存在し、国境の内側にある政治制度において自分たちに課せられた大切な責務をしっかり果たすことだ。」(本書62頁)
 グローバル・ガバナンスの充実を性急に求めるより、ナショナル・ガバナンスを再強化して社会の結束や政治の安定を取り戻すべきだというロドリックの主張には、過去三〇年で国民国家の価値を軽視し続けてきた先進諸国にとって傾聴すべき点が数多く含まれている。だが、世界を見渡せば、国民国家は決して普遍的な政治体制ではない。中国やロシア、インドなどの旧帝国は、領土内に複数の民族・宗教集団を含んでいる。非西欧地域には、旧宗主国の強引な国境分割によって国民としてのまとまりを形成するのが難しい国々が多数見受けられる。それらの国々にとっても国民国家や、国民国家を前提とした民主政治は理想的な統治体制であろうか。
 本書の第四章では、発展途上国がなぜ民主化に向かわず、権威主義体制のままでとどまっているのかが分析されている。西欧諸国(や日本)は、経済の発展が進むに従って民主化への要求が高まっていった。この歴史的事実をもとに、これまで多くの政治学者が、発展途上国もいずれは民主化に向かうと予測してきた。ところが中国を見れば明らかなように、現実はそうなっていない。中南米では、いったん民主化した国でも独裁体制に逆戻りするケースが相次いでいる。
 なぜ現在の新興国では、急速な経済発展にもかかわらず、民主化の要求が力強いものにならないのか。一つの可能性は、かつての西欧の発展パターンと、現在の中国に代表される新興国の発展パターンの間には、無視できない相違があるというものだ。西欧諸国は工業化の進展が分厚い中間層を作り出した。しかし現在の新興国は違う。工業化が十分に進まないうちにサービス経済に移行しているからだ。民主化の受け皿となる中間層が十分な厚さを持って形成される前に脱工業化が進んでしまうため、民主化運動が十分な推進力を持てない。この「早すぎる脱工業化」によって、新興国の自由民主主義体制への移行が阻害されているというのが本書の仮説である。
 そのため発展途上国では、社会の一部の利害しか代表していない政権が長期支配を持続させるか、民衆の反乱が起きて軍隊(軍隊は特定の民族や宗教ではなく国全体の利益を優先する統率のとれた唯一の近代的組織である)がその鎮圧に当たり、軍事政権に移行するという事態になる。だがそれでも、市場を支える制度が国によって多様な形態を取るように、自由民主主義を支える政治制度も多様な形態を取りながら発展していくことになるだろうと著者は予測している。各国が独自の政治制度を発展させていく中で、民主主義的な要素を取り込んでいく可能性は高いというのだ。
 このように本書で示された将来予想は、おおむね楽観的である。トランプが出現しても、世界経済はそれほど大きく毀損されることはないだろう。むしろ、行きすぎたグローバリゼーションを是正する良い機会である。「多少のリバランスをしたとしても、開かれたグローバル経済の余地は大きく残されている。実際は、開かれたグローバル経済を可能にし、維持する方向に作用するだろう」(25頁)と言うのだ。
 そのためには、先進国の統治エリートの目を、もっと国内政策へと向けさせなければならない。だが、グローバルな市場拡大に利益機会を見いだしているエリートの意識を、どうすれば変えることができるのだろうか。この点、本書の第七章で「アイデア」の役割が強調されているのは興味深い。
 経済学者は、各経済主体が自分の利益を最大化するよう行動していると想定する。だが、「利益」とは何であろうか。例えば、市場競争に直面している経営者にとって、製造部門を人件費の安い海外に移転するのは、利益を高める一つの戦略である。もう一つ、国内の従業員の技能訓練に投資することで生産性を高めるという戦略もある。どちらの戦略を採るかは、状況の評価によって変わってくるだろう。それによって得られる利益は、あらかじめ決まっているものではない。何を利益と見なすのかについての、われわれの「アイデア」に依存する。
 ロドリックのこうした考え方は、経済学の「利益」概念に、社会構築主義の手法を持ち込んだものとして注目に値する。利益が不変のものでも変更不可能なものでもなく、社会の全体状況によって構築されていくものと捉えるなら、状況が変わる(変える)ことで人々の行動を変えることができるかもしれない。かつて財界の権力者は、国内の労働組合と協力し、市場の安定化に政府が大きな役割を果たすことが自らの「利益」になると考えていた。しかしグローバル化が進んだ現在では、国内の消費者や労働者に依存する必要はないと考えるようになっている。何によって利益が生み出されるのかをめぐるアイデアの軸が、大きく転回したのだ。
 統治エリートは、グローバル化の推進や、それを前提とした国内改革を国家が進むべき唯一の道と考えている。「他の選択肢は存在しない」(サッチャー)というわけだ。しかし、それはグローバリゼーションについてのおきまりの物語――冷戦終結で国境なき時代がやってきた、というような――を前提とした政策群でしかない。政策担当者の認知地図が変わり、国内の労働者や消費者を優先することが国家の利益になるという別のアイデアが受け入れられるようになれば、政策をめぐる論議は大きく変わってくることになるだろう。民主主義の「熟議」とは、お互いの利益をただ調整することではなく、お互いの利益が何であるのか、その前提となる「アイデア」を擦り合わせていくプロセスである。
 主要国の政治混乱は、統治エリートはグローバリズムを唱え、ポピュリスト勢力が反グローバリズムを唱えている。自由貿易の国民的利益を信じる人々にとって保護貿易は論外であり、貿易制限を唱える人々にとって自由貿易は一部の勝ち組が自分の私的利益をさらに増やすための方便に過ぎない。両者の間に対話が成り立たないのは、利益についての認知のあり方がまったく食い違っているからである。「アイデア」に注目することで、そのような対立を調停する新たな道筋が見えてくるかもしれない。「グローバリゼーションや経済成長、社会的包摂などの問題は想像力を駆使したアイデアや解決策を必要としている」のである(229頁)。
 国民の大多数が利益を感じることのできる政策のアイデアが見つかれば、国内の分断は調停され、社会の結束は再び取り戻されるだろう。欧米諸国を中心に政治が混乱の度合いを深める中で、求められているのは新たなアイデアであり、それに基づいた新たな政策の体系である。その具体的な指針については、本書の後半で詳しく論じられている。重要なのは、グローバリゼーションをめぐる手垢の付いた物語を捨て、国民国家の発展と諸国家の共存をめぐる新たな物語を紡ぎ出すことだ。経済学の知見は、われわれの政治的想像力を狭めるためにではなく、広げるためにこそ用いられなければならない。本書にはそのための重要なヒントが詰まっている。

>『貿易戦争の政治経済学 —―資本主義を再構築する』ダニ・ロドリック著/岩本正明訳

[執筆者略歴]
柴山桂太(しばやま・けいた)
1974年生まれ。京都大学経済学部卒業。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程退学。滋賀大学経済学部准教授を経て、現在、京都大学大学院人間・環境学研究科准教授。専門は政治経済思想。著書に『静かなる大恐慌』(集英社新書)、『グローバル恐慌の真相』(集英社新書、中野剛志と共著)ほか。訳書にシェーン『〈起業〉という幻想』(白水社、谷口功一・中野剛志と共訳)、ロドリック『グローバリゼーション・パラドクス』『エコノミクス・ルール』(白水社、大川良文との共訳)がある。

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