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インタビュー「「その他の外国文学」の翻訳者」

第17回 マヤ語:吉田栄人さん(1/4)

 2020年、国書刊行会が「新しいマヤの文学」と銘打ち、3冊の翻訳文学をシリーズとして刊行した。シリーズタイトルには驚きしかない。
 まず、マヤ文学という日本ではほとんど親しみのないジャンルだ。しかも、「新しい」マヤだという。かつてメキシコのジャングルのなかにそびえるピラミッドを建設し、独自の暦や文字を発達させながらも、スペイン人の入植によって滅びたマヤ文明というように、古代のイメージが強い。現代のマヤ文化があるのかと思い知らされる。そしてこのジャンルを、シリーズとして3冊も続けて刊行するというのだ。
 このシリーズの作品選び、そして翻訳を担ったのが文化人類学者の吉田栄人さんだ。吉田さんはこのシリーズに先立って『穢れなき太陽』(水声社、2018)の翻訳も手がけている。作者はソル・ケー・モオ、「新しいマヤの文学」にも作品が収められた作家である。つまり、これまでに日本で翻訳出版された現代マヤ文学は、すべて吉田さんの手によるものだ。吉田さんのもともとの専門は文化人類学で、長くメキシコのユカタン・マヤ社会の祭礼や儀式を調査してきた。マヤ語は調査のために身につけたもので、自ら「文学に明るくない」と語る。それが翻訳に手を染めることになったのは、ソル・ケー・モオのことばがきっかけだった。「自分はいつかノーベル文学賞をとる」。大きな目標ではあるが、作家の野望としては特別でもないように思える。しかし長くマヤ社会、そしてマヤ語とマヤ文学を取り巻く状況をずっと見てきた吉田さんには、心が動かされることばだった。

500年前にさかのぼってマヤ語を学ぶ
 マヤ語は、メキシコのユカタン半島の先住民によって話されてきたことばである。言語学では、ほかのマヤ語族のことばと区別して、ユカタン・マヤ語と呼ばれることもある。現在もメキシコの先住民やメスティーソ(白人と先住民の混血)のひとびとによって使われている。メキシコでは公的な使用を禁じられた時期が長かったが、2001年の憲法改正でメキシコが多文化国家であると規定されたことで、言語としての権利を保障された。メキシコの先住民系の言語としては、1、2番目の話者数を誇る。
 とはいえ、もちろん日本ではかなり珍しい言語である。それをあえて学ぶことになったのはどんな理由だろうかと、吉田さんの答えに期待するが、実際は特別なエピソードはない。外国語学部で、ヨーロッパの言語がいい、スペイン語なら通用する国も多い、そして自分の成績に適う大学、というシンプルな観点で吉田さんは神戸市外国語大学のイスパニア学科に進んだ。2年生の終わり、せっかくだから留学したいと考えた。当時の公費で交換留学に行けたのはメキシコ。「スペインを選べたらそっちに行ったでしょうね」と語るように、メキシコへのこだわりはなかった。留学できる大学の候補は5校あった。先輩たちの話を聞くと、どうやらグアダラハラ大学がよいとのことだった。ところが、吉田さんの進路として割り振られたのはユカタン大学。志望理由書にマヤ文化に興味がある、と書いたせいではないか、と吉田さんは推測している。そのときたまたまマヤ文化のことを調べていて、メキシコに関係のあることを書けばアピールになるかな、という打算にすぎなかったのだが。こうしてマヤ語の中心地、ユカタンへ第一歩を踏み入れた。
 留学の目的としてはスペイン語の学習なのだが、生活をしていれば自然とスペイン語は身につく。ほかの言語も学んでみようかと、大学や市役所で開講されているマヤ語の講座に通うことにした。マヤ語を学んでなにかをしようという目標があったわけではない。「スペインに行っていたら、たぶんバスク語とかをやっていたでしょうね」というように、ただ語学が好きだったのだ。
 最初に留学した1981年当時、マヤ語を耳にする機会は少なかった。スペイン語以外での教育は禁止され、マヤ語を話すと差別されるという状況もあったため、マヤ語を使えても子どもには教えないという大人が多かった。都市を離れた村では話されているが、失われつつある言語、という認識がされていた。吉田さんも、下宿先に手伝いに来る先住民系のひとなどが話しているの少し耳にする程度で、マヤ語の学習はほんのさわりにとどまっていた。
 本格的にマヤ語に取り組んだのは研究の道に進んでからになる。何度か留学で足を運ぶうちに、ユカタンのマヤ社会がいちばん性に合うと思うようになった。なによりひとびとがオープンなのがいい。
 「お祭りの調査で突然訪ねていっても、快く迎え入れてもてなしてくれる。ユカタンのお祭りでは、必ず食べ物を配るんですけど、そこにいたひとには誰にでもあげる、そういう伝統というか慣習があるんですよ。来て来て、食べてって、食べなさいよ、と言ってくれて」。
 ちなみに、お祭りのときの食事とはどんなものだろうか。必ず欠かせないのは豚料理で、しかもひとつの願掛けとして主催者が育てた豚を振る舞うのである。豚の頭の踊りを舞って、次の祭りの主催者に主催権を渡す儀式もあるそうだ。
 現在のユカタンで先住民のひとがどのように暮らしているのか、その社会を知りたいと吉田さんは文化人類学の分野に進んだ。祭礼を研究テーマに、スペイン語で調査、研究を行っていたが、やがてその延長で医療人類学に取り組むようになった。マヤ社会では治療のための儀礼を行う「メン」と呼ばれるひとがいる。いわゆるシャーマンに相当する伝統治療師だ。「マヤの伝統治療師はマヤ語で祈祷を唱えるんです。身体語彙、それから病気に関する語彙が出てくるので、必然的にそういったマヤ語を分析の対象にしたんです」。
 マヤ語はおよそ500年前、植民地時代にさかのぼって資料が残されている。当時の宣教師たちが、布教のために先住民のことばを理解しようと記録した文書だ。それらの資料に残された語と比べて、マヤのひとが疾病観や身体観をどうとらえているかを探る。このときは主に単語レベルでの理解で、文法的な知識はそれほど必要なかったが、マヤ語に本格的に触れるきっかけになった。


植民地時代のマヤ語文法書と辞書『モトゥール語彙集』。Cuentos Mayas Yucatecos(『ユカタン・マヤの説話』1990, 1991)は現代マヤ語の分析に用いたコーパス。

[2022年1月11日追記]
本連載を書籍化いたします。続きは書籍でお愉しみください。
>『「その他の外国文学」の翻訳者』白水社編集部 編
2022年2月中旬刊

【お話を聞いた人】

吉田栄人(よしだ・しげと)
東北大学大学院国際文化研究科准教授。1960年、熊本県天草生まれ。専攻はラテンアメリカ民族学、とりわけユカタン・マヤ社会の祭礼や儀礼、伝統医療、言語、文学などに関する研究。主な著書に『メキシコを知るための60章』(明石書店、2005年)、訳書にソル・ケー・モオ『穢れなき太陽』(水声社、2018年。2019年度日本翻訳家協会翻訳特別賞)。

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