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青柳いづみこ「ドビュッシー 最後の1年」

第10回 アンドレ・カプレ


アンドレ・カプレとドビュッシー

 ドビュッシーの生前も、ポー作品の音楽化は試みられていた。後輩の作曲家フローラン・シュミット(1870-1958)には『アッシャー家の崩壊』の作中詩「幽霊宮殿」にもとづくオーケストラ作品がある。やはり後輩の作曲家アンドレ・カプレ(1878-1925)も、クロマティック・ハープと弦楽オーケストラのための《赤死病の仮面》を書いている。

 この2人は、1900年ごろ、ラヴェルを中心に詩人や音楽家によって組織された独身男性のグループ「アッパッシュ」(アパッチ族の意味)の仲間だった。1902年にドビュッシーのオペラ《ペレアスとメリザンド》が初演されたとき、「アパッシュ」の面々は一連の公演に毎日通い、作品を否定する一派と大いにわたりあったという。

 しかし、作曲家としての在り方は真逆だった。パリ音楽院でフォーレやマスネに師事したフローラン・シュミットは、後期ロマン派ふうの重厚なスタイル。1905年に初演された交響的エチュード《幽霊宮殿》も、サウンドがあまりに壮麗で、さしもの物の怪も退散してしまいそうだ。《ピアノ五重奏曲》の譜面をドビュッシーに送ったものの、冷やかにあしらわれている。

 これに対してアンドレ・カプレは、ドビュッシー好みの繊細で耽美的な語法の持ち主だった。黒死病(ペスト)を題材にした《赤死病の仮面》でも、ハープのさまざまな技法を駆使して不気味な雰囲気を演出し、仮面舞踏会に赤死病の化身が入り込んでくるシーンでは、ハープの横木を叩くなど、怪奇幻想の世界を巧みに音楽化している。

 1908年4月、ル・アーブルで開催された現代音楽祭でドビュッシーの個展をプロデュースしたカプレは、それをきっかけに巨匠と親しくなったらしい。3月末にカプレの歌曲を聴いたドビュッシーは、「芸術家だ、彼は音響的な雰囲気を見いだすことを知っているし、感受性にも恵まれ、構築のセンスも持っている」と絶賛している。

 以降カプレはドビュッシーの協力者として、《聖セバスチャンの殉教》や《管弦楽のための映像》、子どものためのバレエ音楽《おもちゃ箱》のオーケストレーションを手がけ、《夜想曲》や交響詩《海》など多くの作品をピアノ用に編曲することになる。

 カプレはまた、ドビュッシーとの間に多くの往復書簡を残している。ドビュッシーにとってこの若者は、《アッシャー家》についても胸襟を開いて話すことのできる数少ない友人だった。

 ドビュッシーが《アッシャー家》に着手するのは、1908年6月半ばのことである。18日のデュランへの手紙では、「このところ《アッシャー家》に熱心にとりくんでいます」と書いている。「ときどき私は、まわりの事物に対して正常な感覚をなくしてしまう。もしロデリック・アッシャーの妹がここにはいってきたとしても、それほど驚かないかもしれません」

 ところで、この前日、カプレがドビュッシー宅を訪れているのは興味深い。《アッシャー家》に没頭しているドビュッシーとしては、ポー作品の音楽化について大いに語ったことだろう。そこで興味をもったカプレが《赤死病の仮面》に着手した可能性もある。

 しかし、ひとつ不思議なのは、1909年7月3日に初演された《赤死病の仮面》について、ドビュッシーが何もふれていないことである。その日彼は、パリ音楽院の修了試験の審査員をつとめており、午後3時45分に迎えにくるよう妻のエンマに伝言している。《赤死病》の初演がちょうどその時間帯なら聴けなかったわけだが、懇意にしている後輩のポーがらみの作品初演にノーコメントなのは気になる。

 6月11日、ドビュッシーは妻の誕生日を祝うため「もしかすると《アッシャー家》の前奏曲になるかもしれない」スケッチを送り、26日には「《アッシャー家》の仕事をたくさんしました」とデュランに書き送っている。

 《アッシャー家の崩壊》はオペラで《赤死病の仮面》はオーケストラ作品だから規模は違うが、後輩のほうが先に曲を仕上げてしまい、おもしろくない気持ちがあったのかもしれない その後もドビュシッーは、なかなかはかどらない《アッシャー家》の作曲について、カプレ相手に愚痴をこぼしつづけることになる。

 1910年から14年までボストン歌劇場の指揮者をつとめたカプレは、第一次世界大戦勃発を期に従軍する。1917年10月18日、ドビッュシーはパリに一時滞在していたカプレに《ヴァイオリン・ソナタ》を聞かせるため、ガストン・プーレを呼んでいる。

 11月にはいるとドビュッシーは手紙が書けなくなり、エンマがカプレに病状を報告した。18年3月23日には「危篤」の電報が打たれている。

 カプレ自身、戦場で毒ガスを吸って神経を冒され、1925年に胸膜炎を併発して46歳で亡くなっている。

 もしカプレが万全の体調なら、《アッシャー家》を補筆してくれたかもしれないと思うと本当に残念だ。

◇初出=『ふらんす』2018年1月号

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著者略歴

  1. 青柳いづみこ(あおやぎ・いづみこ)

    ピアニスト・文筆家。著書『ドビュッシー 想念のエクトプラズム』『ドビュッシーとの散歩』

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