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青柳いづみこ「ドビュッシー 最後の1年」

第7回 本当に最後のコンサート

ヴァイオリニストであり指揮者でもあったガストン・プーレ
ヴァイオリニストであり指揮者でもあったガストン・プーレ


 1917年9月11日と14日、ドビュッシーは避暑先のサン=ジャン=ド=リューズと、近くの町ビアリッツで2度のコンサートに出演し、ガストン・プーレと《ヴァイオリンとピアノのためのソナタ》を演奏している。パリで初演してから4か月半、これが本当に最後の公開演奏になった。

 もうドビュッシーにはほとんど生きる力が残されていなかったのに、「《ヴァイオリン・ソナタ》を書いたばかりの巨匠」のもとには、自薦他薦あらゆる申し込みが舞い込み、彼を苛立たせたようだ。

 指揮者のアンゲルブレシュトは、尊敬する「先生」に鄭重な手紙を書き、すばらしい演奏をする若い生徒が「あなたのソナタを演奏したいと切に望んでいて、あなたに聴いていただく前にレッスンしてほしいと頼んできました」と遠まわしに売り込んでいる。

 サン=ジャン=ド=リューズに滞在していたラムルー管弦楽団のヴァイオリン奏者ノエラ・クザン嬢も、「このすばらしいソナタを弾かずに今日まで生きてこられたことが不思議だ」と言いはじめ、ぜひこの地で弾きたいとせがんでドビュッシーを困らせた。「彼女がバスク風のベレー帽を粋にかぶるさまは私を怖がらせ、彼女の音楽的理解に疑問をいだかせます……」

 「スコラの巣」というサークルを組織するデュクロー夫人からは、自分たちの活動に参加するように勧誘される。穏やかで優しい空気の小さな町なのに、音楽関係者たちはいくつかの流派に分断されていがみあっていた。たまりかねたドビュッシーは、「あらゆる組織に対する自分の独立を証明するために」サン=ジャン=ド=リューズを訪れるガストン・プーレと《ヴァイオリン・ソナタ》を弾く約束をしてしまったというわけだ。

 ドビュッシーとともに若いピアニストのジョルジュ・ボスコフがプーレや室内オーケストラと共演した。堀口大学が翻訳した「夜ひらく」で知られるポール・モーランが、たまたまこのコンサートを聴いている。

 「ボスコフはバッハの協奏曲を見事に演奏した。[…]ついでドビュッシーが、彼のソナタをプーレと共演した。それは甘美な作品で、あまり力強くはなく、高尚でもなく、フランクやフォーレのソナタとは比べようもなかったが、申し分のない魅力と優雅さをそなえていた」

 今日我々が感じるこのソナタの矛盾に満ちた美しさは、少なくともモーランには察知されなかったようだ。

 ドビュッシーはデュランへの手紙で「インテルメッツォ(第2楽章)がアンコールされたが、それは作品の統一性を尊重するために絶対に拒否してきたことなので、ソナタ全体をくり返さなければならなかった」と書いている。

 ドビュッシーは自作の部分的な演奏を嫌う人だった。若いときに書いたピアノとオーケストラのための《幻想曲》も、指揮者のヴァンサン・ダンディが第1部のみの演奏を提案したら、引っ込めてしまった。長い間上演先が見つからなかったオペラ《ペレアスとメリザンド》でも、付帯音楽やコンサート形式の上演を頑として承諾しなかった。

 ビアリッツでの慈善演奏会はその4日後、前述の演奏家にバリトン歌手のクーヴィツキーが加わった。ガゼット・ビアリッツ紙の批評欄によれば、「パレス・ホテルのホールには大変優雅な多くの聴衆が集った」という。

 「私は恥をしのんで告白するが」と評者は書く。「かの有名な《ペレアスとメリザンド》の作曲家が書いた作品──起伏が多く、不可解で、奇妙に生気にとぼしく、混沌としている──をあまり楽しむことができなかった。この作品の長所は、少なくとも演奏時間があまり長くないことである」

 《ヴァイオリンとピアノのためのソナタ》は、ポール・モーランが言うように単に優雅で魅力的な作品ではない。それは、むしろガゼットの評者が感じた「混沌」に近い。次に何が出てくるか演奏する側ですら予想もつかないほどの即興性に満ち、激しい感情がむき出しにされるかと思うとぞっとするような美しさに満たされ、また、言い知れぬ無気力、倦怠の淵に沈む。

 とてもアンゲルブレシュトの若い生徒や、ベレー帽を粋にかぶるラムルー管弦楽団のヴァイオリニストには弾きこなせなかっただろう。

 「ヴァイオリニスト、プーレの努力は空しかった」とガゼットの評者はつづける。「我々はこの崩壊した作品から“健全”と“安心”を引き出した彼に熱い称賛を送らなければならない。ホールに点在していた“ペレアス主義者”たちが作曲家に長い拍手を送った」

 自作自演だったのに、ドビュッシーのピアノに対する感想は皆無だ。

 7年後の9月、同地を訪れた未亡人のエンマは、次のように回想している。

 「ソナタの演奏中、私がどれほどの苦悩を感じていたかお察しください。このままでは決して最後まで行きつかないだろうと、何度思ったことでしょう!!」

 ドビュッシーは、文字どおり最後の力をふりしぼって演奏したのだ。

◇初出=『ふらんす』2017年10月号

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著者略歴

  1. 青柳いづみこ(あおやぎ・いづみこ)

    ピアニスト・文筆家。著書『ドビュッシー 想念のエクトプラズム』『ドビュッシーとの散歩』

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