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根井雅弘著『定本 現代イギリス経済学の群像——正統から異端へ』立ち読み

根井雅弘著『定本 現代イギリス経済学の群像——正統から異端へ』立ち読み(6/6)

根井雅弘著『定本 現代イギリス経済学の群像——正統から異端へ』より

六 晩年のロビンズ
 京都大学での師である伊東光晴教授の言葉を借りるならば、「悩むことなき新古典派」というのがあるそうである。その表現を使えば、「悩むことなきオーストリア学派」というのも、存在するかもしれない。ハイエクの書いたものを読みながら、時々思うのだが、インフレーションを抑えるためには、多少の失業が増えてもかまわない、インフレ率をゼロにして初めて来るべき新しい繁栄の準備が整うのだ、という彼の論調には、ケインジアンを自認しない人でさえ、少しくためらいを感じるのではないだろうか(66)
 私がこの章で言いたかったのは、ロビンズはもっとその思考がflexible であったということである。彼のことを、いまだにオーストリア学派の信奉者だと思っている学部の学生諸君に会う度に、私は彼のあの経済学の定義のイメージが彼らに悪い意味で大きな影響を与えていると思わざるをえない。そこで、このむすびでは、彼のインフレ論を例に取って、彼の思考の柔軟性を説明することにしよう。
 一九七〇年代には、周知のように、マネタリズムの勢力が世界的な規模で拡大していったのだが、イギリスもその例にもれず、マネタリズムの論客が次第に増加するようになってきた。ロビンズは、マネー・サプライのコントロール政策の重要性を決して否定しなかったし、戦後過度なまでに押し進められ、インフレの加速の原因となった完全雇用政策に対しても批判的であったけれども、彼は厳密なマネタリストではなかった(マネー・サプライを重視する人が即マネタリストというわけではない)。というのは、厳密なマネタリズムの処方箋を適用しようとすれば、雇用と産出量に対してあまりにも多くの犠牲を強いることになるからである。ロビンズは、一九七二年十一月、上院で次のように発言している。

「あのレトリックを用いた勧告は、もちろん、若干の極端なマネタリストたちの真剣な勧告であります。その類のものを含んだ勧告が、イーノック・パウウェル氏が経済的リベラリズムの原理に基づいた一枚岩のような一つの意見表明をする時に現われました。そういうものを聞くと……、私はたいてい椅子の上に立って「赤旗の歌」を歌いたいような気分になってしまいます。私は……、インフレがこの種の激しい諸手段によって停止させられるかもしれないということを否定しません。しかしながら、他の多くのものもまた、それによって停止させられてしまうでしょう(67)。」

 晩年のロビンズは、特に激しいインフレの状況に対処するためには、一時的手段と限定した上で、マネタリストやオーストリアンが嫌悪する所得政策の採用も容認するようになった。彼は言う。

 「私は、物価凍結について何の幻想も抱いていません。物価や所得に直接作用するもっと複雑な諸手段についても、そうであります。凍結は崩壊しがちです。……オーソドックスな物価・所得政策は、長期的には有効ではなくなりがちです。しかし、われわれが現在置かれているような状況においては、これらの諸手段は、成長と雇用に対する不当な抑制を伴うことなく、マネー・サプライの増加率を減少させる主な望みである、と私は提案します(68)。」

 さて、われわれは、かなりのスペースを費やして、これまでロビンズの生涯と思想を追ってきた。以上によって、彼がイデオロギー的自由放任主義者でも、骨の髄からのオーストリアンでもなかったことが、明らかになったと思う。しかるに、わが国におけるこれまでのロビンズの扱われ方は、彼に対して著しく公正に欠けるものであった。ロビンズは、若き日に大陸の経済学の影響を受けたとはいえ、やはり最後までイギリスの土壌を離れられなかった経済学者だったと思う。ある人が、彼の社会哲学を指して、「イギリス古典派経済学者たちの慎重なる功利主義」であると述べたのは、まさに至言ではないだろうか(69)
 彼の死後、LSEと関係の深い『エコノミカ』誌には、新古典派の立場に立つと思われる学者の追悼の辞が掲載された。しかし、彼と途中で袂を分かつようになったとはいえ、研究者として一本立ちするまで彼の蘊蓄に接して飛躍することのできた人たちの中には、進んでそれを書こうとするものはいなかったのであろうか。私には、そのことが少しく気になるのである。したがって、私は、改めて彼に対する尊敬の念と追悼をこめて、この章をむすびたいと思う。

諸君もかつては彼を愛した、それも理由あってのことだ、
とすれば、いま彼の哀悼をためらうどんな理由がある?
ああ、分別よ! おまえは野獣の胸に逃げ去ったか、
人間が理性を失ったとは。いや、許してくれ、
私の心はシーザーとともにその柩のなかにある、
それがもどってくるまで、先を続けられないのだ。
  シェイクスピア『ジュリアス・シーザー』第三幕第二場より
  (小田島雄志訳、白水uブックス、一九八三年)

(66) Cf., “Friedrich Hayek on the Crisis”, Encounter, May 1983.
(67) Lord Robbins, Against Inflation, 1979, p. 63.
(68) Ibid.
(69) Norman Barry, op. cit., p. 480.

根井雅弘著『定本 現代イギリス経済学の群像——正統から異端へ』より

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著者略歴

  1. 根井雅弘(ねい・まさひろ)

    1962年生まれ。1985年早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。1990年京都大学大学院経済学研究科博士課程修了。経済学博士。現在、京都大学大学院経済学研究科教授。専門は現代経済思想史。『定本 現代イギリス経済学の群像』(白水社)、『経済学の歴史』、『経済学再入門』(以上、講談社学術文庫)、『ガルブレイス』、『ケインズを読み直す』、『英語原典で読む経済学史』『英語原典で読む現代経済学』(以上、白水社)、『経済学者の勉強術』、『現代経済思想史講義』(以上、人文書院)他。

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