最終回 まとめに代えて 〜事典・辞書のABC〜
「百科事典 Encyclopédie」とは「全知識を円環状に結びつけた、体系的教育」という意味。その各項目には編集者によって推敲された「関連項目」「参考文献」があります。それは事典を読んで好奇心を抱いた読者を、さらなる知の連鎖へと導くため……。「知の円環」は閉じられてはいないのです。今回は、これまで5回の内容に関する参考文献、関連情報をアルファベット順にまとめて連載を締め括ります。
第1回 インターネットは脅威か?→①
第2回 百科事典・新時代について→②
第3回 索引から事典を読む→③
第4回 「迂回」と、創造性→④
第5回 詩人たちの事典・辞書改革→⑤
A. Actualité(時事)
2018年の夏、『プチ・ロベール』仏仏辞典と固有名詞事典がともに改訂されました。表紙には編者アラン・レイの姿が。
B. Brokhaus 『ブロックハウス事典』
「小項目・アルファベット順の事典」が主流となっていく過程にも、歴史的な必然性がありました。19世紀前半に『ブロックハウス』によってもたらされたこの形式の流行、それは市民階級の台頭に対する当時の反動的な政治と関連しています。[参考文献]服部尚己「ビーダーマイヤーの諸相 19世紀ドイツ文化研究」(『同志社女子大学、学術研究年報』、1999)→②
C. Co-Éxistence(共存)
紙媒体とインターネット事典の共存。どの時代にも存在する「新旧の共存」→①
I. Interdisciplinaire(学際的)
『音の百科事典』を始めとする「学際的シリーズ」(丸善)など、1巻本の事典が今日の売れ筋です。「学際的な索引」が魅力なのは「ジャパンナレッジ」。インターネット事典の中でも関連項目が分かりやすいのです。→③
J. Journées des dictionnaires(事典・辞書シンポジウム)
直訳で「事典・辞書の日」。 « Colloque lexicographique » とも名付けられます。日本では馴染みが薄いですが、西洋では多く開催されています(2018年はリビア、モロッコなどでも)。パリ近郊のシンポジウムで、筆者は仏和辞典の歴史についてドイツで話をするよう依頼を受けました。『仏和大辞典』(白水社)などについて発表したその内容は紀要 Cultures et Lexicograhies(2010) に含まれており、ネット上でも公開されています。当論考がフランス語圏の論文で引用されているのを見ると、日本における本分野の研究が求められていることが分かります。
L. Littré, Émile(エミール・リトレ)
19世紀の『リトレ辞典』に載っている語源の部分は、「古い」という理由から再版では除かれることも。しかし支持されているのは、むしろ誤謬を多く載せた語源付きの版のようです。文献学に基づいた著者の歴史綴りを、今日も読者は求めています。リトレが「語の数奇な生涯」をユーモラスな断章にまとめたのが、最晩年のPathologie Verbale『言葉の病理学』(1880)。これは複数の出版社から刊行されつづける、現代のヒット作です。→⑤
M. Méta-Lexicographie(japonaise)([日本の]事典・辞書研究)
彌吉光長による『百科事典の整理学』(1972)は、日本におけるLexicographieの先駆的著作。『ラルース』や『ユニヴェルサリス事典』の誕生の背景も描かれています。なお« Lexicographie » は厳密には「事典・辞書編纂法」、« Méta-lexicographie» はそれに関する研究、ということになります。→②
P. Petit Robert (『プチ・ロベール』)
1967年初版のアラン・レイ監修Petit Robert は、74年にPetit Robert 2 として1巻本の固有名詞事典Dictionnaire des noms propres も刊行されました。フランス語が少ししか分からなくても、図鑑のように楽しめます。もちろん、語学のためにもお薦めです。→⑤
Q. Que sais-je ? (「クセジュ文庫」)
第二次大戦中にフランスで起こった「百科事典改革」の一つ。モンテーニュの「私は何を知っているのか?」という自問をタイトルに掲げ、ディドロらの精神を継承した、1冊1テーマの叢書。邦訳されるようになって60年以上。ベストセラーには『キリスト教シンボル事典』などがあります。→⑤
R. Rimes(脚韻)
[参考文献]小岩昌宏「セレンディピティの誕生と拡散、そして迷走」(『水曜会誌』、京都大学工学部、2011)。“Serendipity” の語の数奇な歴史を描いた論考。郡司利男『英語学習逆引辞典』(1967)を参照しており、「脚韻(逆引き)辞典」のメリットが明らかになります。→④
結尾
さて本連載を通じて、情報社会を生きるみなさんが何かしらのヒントを摑んで頂いたなら幸甚です。事典・辞書とは「夢を見させる機械」(R. バルト)であり「神様の贈り物」(井上靖)、時には「風刺攻撃・文書」(エティアンブル)ともなります。18世紀の『百科全書』のように歴史を動かす著作もあります。日本でも、「事典・辞書学」が発展していくことが期待されます。半年間、ご愛読ありがとうございました。
◇初出=『ふらんす』2018年9月号