第3回 索引から事典を読む
みなさんは、知らない事がらや言葉を調べたい時、まずどうしますか。紙媒体の事典や辞書が傍らになければ、筆者も気軽にネットで検索します。ちょっとした疑問に手軽に答えてくれるのがインターネット、さらに踏み込もうとすると情報の渦に私たちを溺れさせがちなのもまた、インターネット……。
索引≠語句検索
さて本来、書物の索引とは語句検索とは別物であるべきです。本の索引で語句を調べて「参照ページ」が多く載っていると、心強く感じるもの。しかしそれらのページに余さず当たった結果、得た情報の少なさに落胆するケースは珍しくありません。それはネットの情報検索で、私たちが日常的に経験している疲労感にもどこか似ています。
事典における索引は編集方針、そこに内在する「知識の連鎖」を表します。例として日本の代表的な3つの事典における索引の「ヒトラー」項を比較してみましょう。『ブリタニカ国際大百科事典』(1995)では「オーストリア史」「スターリン」「ハンガリー史」(ほか全19項)というように、この人物が当時の国際情勢の文脈に位置づけられます。小学館の『日本大百科全書』(1984-1994)は「二十五か条綱領」「ヒトラー暗殺未遂事件」「『わが闘争』」(ほか全11項)と、ヒトラー個人の生涯を前面に出しています。平凡社の『世界大百科事典』(1988、2007)なら「『チャップリンの独裁者』」「『マブゼ博士』」「ロンギヌス」(ほか全12項)と結びついた、世界史における象徴の一つとしてヒトラーが浮かび上がります。各々の事典の中で知識がいかに編成されているかが、索引から明らかになります。
また「情報量」という視点から見れば、例えば『アメリカーナ百科事典』(1993)の索引には「ヒトラー」について全45項が羅列されており、それと比べて上記3つの事典の索引ではより取捨選択がなされているようです。
索引から始まる、フランス語の事典
フランスの『ユニヴェルサリス百科事典』(1995)の索引においては、ヒトラーは「Architecture et État au XXe s. (20世紀における建築と国家)」「Espace vital (生空間)」「Speer A.(A.シュペーアー)」(ほか全27項)、すなわち「空間、建築」にも繫がります。また90年代までの『ユニヴェルサリス』の索引巻には、「知の体系図」が散見されます【図版参照】。単なる羅列によって読者を情報量で潰さないように、との配慮がそこに可視化されています。
ユニヴェルサリスの索引「Psychologie心理学」項
主にブリタニカ社によってオンライン化された今日の『ユニヴェルサリス』には、索引のメインページや上記の体系図は見つからず、読者は「語句検索」をすることになります。「心理学」で検索すれば、このオンライン事典の1,314項がヒットします。画面右方の「Préciser avec lʼIndex(索引で絞り込む)」に目を移しても、そこには心理学の「関連項目」が94項連なり画面から溢れています……読者は「量」に圧倒されて知識欲を失いかねません。
第一版(1968)の序文で「百科事典とは何よりもまず連鎖である」と書いた『ユニヴェルサリス』は1980~90年代の第二、第三版において、この事典のあらゆる閲覧が「『辞典・索引』によって始められるべきである」と書いています。この時期の『ユニヴェルサリス』は「辞典・索引」が第1~4巻を占め、本体である論述部分は第5巻から始まります。『ユニヴェルサリス』によると、その索引は「分析的な」ものです。序文には「[当事典の索引は]概念や名前、場所などをただ割り出す、ということはしない。それによって言葉が確認されるだけで、理解の助けとなる要素をもたらさない限り」とあり、語句検索との区別が強調されます。
当時の『ユニヴェルサリス』の「辞典・索引」4巻には5万余りの見出しが並んでいますが、それは数十万の見出しが並ぶ同規模の事典の索引と比較すれば厳選されたものです。その絞られた索引のために、読者は、リサーチの入り口から「判断」「想像力」を要求されます。「情報を選別し、体系化すること」を読者にも提案するその事典の索引の紙面からは、編者のメッセージが滲み出ています。
実際に筆者は、留学時代には『ユニヴェルサリス』の索引に何度となく救われました。馴染みの薄い古い作家について発表をする際にも、索引に示された連鎖によって身近なテーマへと導かれ、必要な資料が溜っていったものです。
一方で、索引の無い事典からも創造の着想を得られるものです。この種の事典においても情報の取捨選択、知の体系の提示は、編者にとって主要な課題であるはず。量を誇る「ウィキペディア」の類にはそれが当てはまりませんし、ネット上では概して情報はその質の高低を問われぬまま並列されます。
そして紙媒体の『ユニヴェルサリス』が索引において可視化していた「知のヒエラルキー」の意味を考える時、気づかされることでしょう……「木ではなく森を見ようとするなら、紙媒体の事典に勝るものはない」と。
◇初出=『ふらんす』2018年6月号