第4回 「迂回」と、創造性
新潮社の編集者、中瀬ゆかり氏は、作家の浅田次郎氏に「すぐにネットで調べるのはダメだ!」と怒られたそうです。浅田氏によると疑問が生じた際には「ネット検索に頼るのではなく、図書館などへ行って書物で調べることが大切」であり、「問題解決にたどり着くまでの過程で得られる発見こそが、小説やアイデアを生む源になる」のです。
今回は調査、検索における「迂回」がテーマです。
「調べる前に、考えよ!」
とある知人は英文読解のクラスで、教師から「最初に文章を読むときには、辞書を引くのもダメ!」と言われているそうです。受験英語における長文問題の訓練においても、同じような指導を受けます。試験本番で辞書は使えないので、受験生は先ずは分からない単語を気にかけず、取っかかりがあればメモをしながら読み進めます。すると2度目にその文章に取り組むときには著者の言いたいこと、文章の背景が透けて見えてくるのです。こうして読者は、その文章と著者に興味を抱きます……著者とのコミュニケーションの始まりです。
安易に辞書、事典に頼ること、それがすでに私たちの理解力、判断力を低下させるのでしょう。対象に興味を抱いたとき、ようやく辞書、事典の説明が私たちの理解に役立つのです。
逆引き辞典、脚韻辞典
事典、辞書を調べるとき、私たちは便宜上の理由から五十音順、アルファベット順配列を当然のように受け入れています。しかしこの便利さを良しとせず、言葉を別の配列によって読者に示してきた事典、辞書の数も少なくありません。
辞書においては語幹が意味を持ちますから五十音、アルファベットの配列にも意義を見出し得ます。しかし、それだけが求められている配列法ではありません。日本語の著作なら漢和辞典の他にも、『逆引き広辞苑』(1992)、『逆引き熟語林』(1992)などの需要、評価がそれを証明しています。『逆引き熟語林』の編集部による序文には、こう書かれています。「配列が単なる音順では、その辞書はそこに収録された個々の語彙を予め知っている人々にしか利用できず、いかに豊富に用例を挙げようとも、語義・語釈・出典に心を配ろうとも、所詮語彙検索の域を出ない」。当辞典から具体例を挙げれば……「『馬』項⇒じゃじゃ馬、心の馬、尻馬、生き馬、野次馬、竹馬、種馬、暴れ馬……」。いったん「馬」にたどり着けば、そこには既知、未知を問わず豊かな表現が並んでいます。「馬」を通して私たちは歴史的、地理的にさまざまな背景を想像するのです。
英和辞典については1967年に既に『英語学習逆引き辞典』が刊行されています。今日のフランス国内ではラルース社がDictionnaire des rimes(「脚韻辞典」)を、ロベール社がDictionnaire des rimes et assonances(「脚韻と半諧音の辞典」)を、その他にもボルダス社などが同様の著作を刊行しています。
古典的なラテン語の男声韻、女性韻を多く踏襲するフランス語においては、何世紀にもわたる脚韻辞典の伝統があります。詩趣に富んだDictionnaire de la langue françoise(「フランス語辞典」、1680)を編纂したリシュレPierre Richelet(1626-1698)は、1667年にNouveau Dictionnaire de rimes(「新脚韻辞典」)を著していました。数世紀を経て20世紀前半のPh. マルティノンは、同じ接尾辞を持つ語を単に羅列することに満足しませんでした。たとえば« -isme » 項なら300以上の該当語を並べるだけでなく、それらを10以上のグループに分けました1)。彼はまた、その300余りの語を歴史、使用頻度によって階層化して記載しました。こうして« -isme » の接尾辞を持つ語群の全体像が、よりニュアンスを与えられて明らかになったのです。
自明とされる配列を持たない以上のような「逆引き辞典」は、読者に対してリサーチにおける手間、迂回を求めます。それが、しばしば「創造」に繫がります。
フランス語辞典や脚韻辞典を編んだP. リシュレ
アルファベット順配列は「愚行」?
さて西洋百科事典の起源は一般に、プリニウスの『博物誌』(79)であるとされます。事典の長い歴史においては、アルファベット順は決して当然ではありませんでした。その配列法は1674年にフランスのルイ・モレリの辞典で初めて採用され、18世紀が生んだ名事典であるイギリスの『サイクロペディア』、フランスの『百科全書』がそれに続きました。
しかし同世紀の後半にイギリスの『エンサイクロペディア・ブリタニカ』第一版(1768-1771)はこの配列法について「科学を個々の術語に分解し、アルファベット順に並べて説明しようとする愚行」と批判しています。この議論については、次回改めて取り上げます。
1)接尾辞« -isme » には「教義」(«bouddhisme 仏教»)、「活動」(«cyclisme 自転車競技»)、「集合」(«organisme 有機体»)、「状態」(«parallélisme 平行性»)などの意があります。
◇初出=『ふらんす』2018年7月号