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根井雅弘「英語原典で読む経済学史」

第10回 デイヴィッド・リカード(1)

 アダム・スミスは産業革命前夜のイギリスに颯爽と登場し、『国富論』の出版によって道徳哲学から枝分かれした「経済学」(Political Economy)の父となりました。18世紀における最も著名な経済学者だと言ってもよいでしょう。スミスから始まるイギリスの古典派経済学は、19世紀に入ると、デイヴィッド・リカード(1772-1823)という頭脳明晰な後継者を生みました。スミスは、『国富論』を読めばわかるように、理論ばかりでなくときに歴史や政治などの脇道にそれていく傾向がありましたが、リカードは、もっぱら論理的思考を突き詰めて考えるのを得意としました。歴史などに寄り道するようなことは決してありませんでした。
 リカードの父親は、オランダのアムステルダムで証券仲買人として成功していましたが、国際金融の中心地がアムステルダムからロンドンへと移行するのに伴って、オランダからイギリスへ移住してきたといわれています。リカードも父親の手ほどきで証券取引の仕事を始めましたが、驚くほど早くそれに精通し、まもなくひとかどの財産を築き上げるのに成功しました。とくに、ナポレオン戦争の最中、数度にわたり国債引受人となりましたが、戦時中のインフレによって国債価格は額面以上に高騰したので、国債引き受けに伴う手数料のほかにプレミアムを手に入れ、莫大な利潤を稼いだと言われています。

1 リカード入門としては、真実一男『リカード経済学入門』増補版(新評論、1983年)、菱山泉『リカード』(日本経済新聞社、1979年)などがあり、詳しい評伝としては、中村廣治『リカード評伝』(昭和堂、2009年)があります。

 しかし、リカードの凄さは、財を成しギャトコム・パークに邸宅を構えるというイギリスの上流階級が理想とするような「ジェントルマン」になったばかりでなく、時間を持て余したので、偶然手にしたスミスの『国富論』に啓発されて経済学の研究を始め、のちに古典派経済学を代表する理論家として大成したことです。リカードの親友に『人口論』(初版1798年)で有名なトマス・ロバート・マルサス(1766-1834)がいましたが、二人は理論的な立場を異にしながらも、お互いを尊敬し合い、生涯にわたって交流を続けました。二人のあいだの書簡のやり取りは、現在、『リカード全集』のなかに収録されています。
 リカードの主著は、『経済学および課税の原理』(初版1817年)ですが、この本は、二年前の穀物法論争の際に書かれた論文「穀物の低価格が資本の利潤に及ぼす影響に関する一試論」のなかでリカードが展開した議論をより厳密な理論的基礎を築いて体系化した古典的名著です。
 「穀物法論争」とは、簡単にまとめれば、次のようなものでした。――フランス革命以後の幾多の戦争によってイギリスへの穀物の輸入が困難であったため、穀物の価格が高騰した。穀物の高価格は、地代の上昇、賃金の上昇、利潤の減少をもたらすので(この点は、『原理』においてより精密に論証される)、地主階級のみが利益を独占する形になる。ところが、ナポレオン戦争が終わりに近づくと、今度は外国の安価な穀物がイギリスへ流入するので、イギリス国内の穀物価格が急落する可能性がある。それを恐れた地主階級は、議会において多数派を占めていたので、高率の穀物関税を課して穀物価格の下落を阻止するための穀物法改正を主張するようになり、いったん、それに成功した。しかし、そのあとも、穀物法改正をめぐる論争が続き、リカードがそれを撤廃するように主張する論客として活躍したと。
 しかし、このような立場を理論的に支えるには、前に触れたように、『原理』の出版を待たなければなりませんでした。以下、とくに重要な部分を英文で読んでいきましょう

2 『原理』のテキストは、Online Library of Libertyに上がっているものを使います。
http://oll.libertyfund.org/titles/ricardo-the-works-and-correspondence-of-david-ricardo-vol-1-principles-of-political-economy-and-taxation
 なお、このテキストは『原理』第3版(1821年)をもとにしています。下に参考訳として挙げる岩波文庫の日本語訳の底本は第2版(1819年)ですが、第3版で改訂された主要な部分は追加の上訳出されています。


 まず、序文が有名な文章で始まるので、これを丁寧に読んで下さい。

[1]The produce of the earth—all that is derived from its surface by the united application of labour, machinery, and capital, is divided among three classes of the community; namely, the proprietor of the land, the owner of the stock or capital necessary for its cultivation, and the labourers by whose industry it is cultivated.

 

[2]But in different stages of society, the proportions of the whole produce of the earth which will be allotted to each of these classes, under the names of rent, profit, and wages, will be essentially different; depending mainly on the actual fertility of the soil, on the accumulation of capital and population, and on the skill, ingenuity, and instruments employed in agriculture.

 

[3]To determine the laws which regulate this distribution, is the principal problem in Political Economy: much as the science has been improved by the writings of Turgot, Stuart, Smith, Say, Sismondi, and others, they afford very little satisfactory information respecting the natural course of rent, profit, and wages.


 [1]も、これまでと同じように、できる限り前から後ろへ読んでいきましょう。

 「大地の生産物――労働と機械と資本を結合して使用することによって地表から取り出されるものはすべて、その社会の三つの階級のあいだに分配される。すなわち、その三階級とは、土地の所有者、土地の耕作のために必要な資財または資本の所有者、そして勤労によって土地を耕作する労働者のことである。」

 labourers by whose industry it is cultivatedは、直訳すれば、「その勤労によって土地が耕作される労働者」となりますが、受身形は日本語らしくするには、ときに能動態に変えてもよいと思います。

 [2]は、英文法通りに訳しても、それほど違和感はありません。

 「しかし、社会の異なる段階では、大地の全生産物が地代、利潤、賃金という名称で三階級のそれぞれに割り当てられる割合は本来異なるだろう。というのは、それが、主として、土壌の現実の肥沃度、資本の蓄積と人口の大きさ、そして農業で仕事をするときの熟練、創意、用具に依存しているからである。」

 [3]も難しくはありませんが、リカードが『原理』の課題を明確に述べている英文です。

 「この分配を規定する法則を確定することが、経済学の主要問題である。この学問は、テュルゴ、スミス、ステュアート、セイ、シスモンディその他の著作によって大いに発展してきたけれども、彼らの著作は、地代、利潤、そして賃金の自然の道筋について満足すべき情報をほとんど提供していない。」

 スミスの『国富論』は、文字通り、国をいかにして富ますかという問題(現代的にいうなら、いかにして「経済成長」を成し遂げるか)に取り組みましたが、それに対して、リカードは、大地から収穫される全生産物が地主、資本家、労働者という三つに階級に分配されるときの「法則」を解明することが経済学のメインテーマだと宣言しています。しかし、この分配問題を解明するには、スミスが『国富論』において導入した労働価値説を初めとして経済学の根底から問題を再考することが必要でした。
 リカードは、最終的に、スミスの『国富論』よりはもっと体系立った経済理論を提示することに成功しますが、これにはもちろんプラスとマイナスの両面があったように思います。プラス面は、リカードが「科学としての経済学」の基礎を抽象的・演繹的モデルを使って厳密に展開したということです。マイナス面は、あえて挙げるならば、あまりにも抽象的・演繹的思考を好むがゆえに、スミスの『国富論』を特徴づけていたような現実の政治、経済、社会の歴史的背景の叙述(一言でいえば、社会科学的側面)を捨象したことです。後者は、リカードの畏友マルサスが、自分の『経済学原理』(1820年)の序文のなかで書いている文章が示唆的です

In political economy the desire to simplify has occasioned an unwillingness to acknowledge the operation of more causes than one in the production of particular effects; and if one cause would account for a considerable portion of a certain class of phenomena, the whole has been ascribed to it without sufficient attention to the facts, which would not admit of being so solved.


 「経済学では、単純化したいという願望があるために、特定の結果を生み出すのに一つ以上の原因が作用しているのを認めたがらなくなった。それゆえ、もし一つの原因がある種の現象の大部分を説明するならば、その全体はその一つの原因の結果だと見なされて、そのような解決を許しそうもない事実に十分な考慮が払われないままになっているのである。」

 抽象的・演繹的な思考法を好む経済理論家に「単純化したいという願望」があるのは確かですが、マルサスは、これに対して、「事実の重み」を指摘して注意を促しているのです。

3 マルサスの『経済学原理』は、第2版(1836年)が以下で読めます。
http://oll.libertyfund.org/titles/malthus-principles-of-political-economy


 <参考訳>

 『経済学および課税の原理』羽鳥卓也・吉澤芳樹訳、上・下(岩波文庫、1987年)

 「大地(アース)の生産物――つまり労働と機械と資本とを結合して使用することによって、地表からとり出されるすべての物は、社会の三階級の間で、すなわち土地の所有者と、その耕作に必要な資財つまり資本の所有者と、その勤労によって土地を耕作する労働者との間で分けられる。
 だが、社会の異なる段階においては、大地の全生産物のうち、地代・利潤・賃金という名称でこの三階級のそれぞれに割りあてられる割合は、きわめて大きく異なるだろう。なぜなら、それは主として、土壌の実際の肥沃度、資本の蓄積と人口の減少、および農業で用いられる熟練と創意と用具とに依存しているからである。
 この分配を規定する諸法則を確定することが経済学の主要課題である。この学問はテュルゴー、ステュアート、スミス、セー、シスモンディ、その他の人々の著作によって大いに進歩してきたけれども、それらの著作は、地代・利潤・賃金の自然の成り行きについては、ほとんど満足すべき知識を与えてくれない。」(『原理』上巻、11ページ)


●少し寄り道●
 リカードの『原理』フランス語版では、冒頭の文章はどうなっているでしょうか。関心ありませんか。
 見てみましょう。

Les produits de la terre, c'est-à-dire tout ce que l'on retire de sa surface par les efforts combinés du travail, des machines et des capitaux, se partage entre les trois classes suivantes de la communauté ; savoir : les propriétaires fonciers, - les possesseurs des fonds ou des capitaux nécessaires pour la culture de la terre, - les travailleurs qui la cultivent.


 この部分は英文の仏訳としては非常に簡単なレベルですが、英文ではthe labourers by whose industry it is cultivatedと言っているところを、 les travailleurs qui la cultivent(土地を耕作する労働者)というように受身形ではなく能動態で訳しています。英文では、直訳すれば、「その勤労によって土地が耕作される労働者」というところを、仏文では簡潔に表現しているのが印象的です。
 もちろん、訳者によって仏文も違ってくるでしょうが、英語とフランス語(あるいは英語とドイツ語)との差異は、日本語との距離に比べれば取るに足らないと言ってもよいのではないでしょうか。日本語だけではどう考えてもうまく訳せないところが、仏訳や独訳でヒントが得られるなら参考にしない手はありません。

1 テキストは以下を使いました。
http://classiques.uqac.ca/classiques/ricardo_david/principes_eco_pol/ricardo_principes_1.pdf

[2018年10月16日追記]
本連載に大幅に加筆し、『英語原典で読む経済学史』として刊行いたしました。続きはぜひそちらでお楽しみください。

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著者略歴

  1. 根井雅弘(ねい・まさひろ)

    1962年生まれ。1985年早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。1990年京都大学大学院経済学研究科博士課程修了。経済学博士。現在、京都大学大学院経済学研究科教授。専門は現代経済思想史。『定本 現代イギリス経済学の群像』(白水社)、『経済学の歴史』、『経済学再入門』(以上、講談社学術文庫)、『ガルブレイス』、『ケインズを読み直す』、『英語原典で読む経済学史』『英語原典で読む現代経済学』(以上、白水社)、『経済学者の勉強術』、『現代経済思想史講義』(以上、人文書院)他。

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