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「マンガ家デビューはフランスで」Kim Bedenne

第6回 熟練マンガ翻訳者が見た業界の変化

 「翻訳」は海外におけるマンガ出版の要ながら、翻訳者は長年認識されず、影の存在でしかありませんでした。ですが、近年やっと翻訳者が表舞台に出始めています。小西国際交流財団がフランス語のマンガ翻訳賞を主催したり、欧州最大のマンガイベント、ジャパンエキスポにおいてトークショーが開催されたりし、マンガ翻訳について語る機会が増えました。この連載の最後に、翻訳者にスポットライトを当てたいと思います。

 業界でトップクラスの翻訳者のフェドゥア・ラモディエール氏(Fédoua Lamodière)にお話を伺いました。ラモディエール氏が翻訳を始めたのはフランスでマンガが刊行され始めた初期の2001年、日本でマンガ家になるために大学で日本語を勉強していたところ、知り合いの編集者に翻訳を依頼されたことがきっかけでした。当時マンガの認知度は低く、単行本の翻訳を引き受けられる人は少なく、知り合い同士でお願いすることが多かったようです。翻訳者を目指していたわけではありませんが、ファンタジー作品「RAVE」や伝説のバトルマンガ「ドラゴンボール」、「呪術廻戦」など数々の名作を担当し、熟練した翻訳者の一人になりました。

 20年前には翻訳のルールが特にありませんでした。今ではあり得ないことですが、フランス語には存在しない「~ちゃん」や「~君」を残したり、プライベートジョークを勝手に入れたりと、翻訳のレベルのバラつきがひどく、話をちゃんと理解せずに翻訳する人もいたようです。それでもマンガが面白かったのは、セリフのリズム感と雰囲気の再現に重点が置かれていたからです。ラモディエール氏が現在「ダイの大冒険」新装版の新しい翻訳に取り組んでいるのも、過去の翻訳が現在の翻訳基準を満たしていなかったからです。「当時は契約も翻訳の基準もなしで皆ができることを一生懸命やっていました。昔のアニメ声優の話を聞くと同じような意見が出てきます。アニメもマンガも新しく、手探りでスタートしました」

 幸い、マンガの人気が高まると同時に、状況も改善されました。2000年から2010年までのフランスにおける第一次マンガ市場急成長期の際に、マンガを通して日本に興味を持ち、日本語を真剣に勉強する若者が一気に増えました。ラモディエール氏のようなプロの翻訳者が増えたことで翻訳の質が向上したのみならず、翻訳者の権利も尊重されるようになりました。2010年頃から翻訳契約締結が普及し始め、マンガの翻訳者が小説の翻訳者と同様、フランス語版の権利者として認められ、印税も発生するようになりました。ラモディエール氏曰く、「フリーランスとして働いている翻訳者は法的な文章に疎く、最初は契約書に対する不安感がありました。こんな書類に絶対サインしないぞ! と怒る人もいたくらいです。翻訳者の権利を守るための契約なのに…」 翻訳という職業は基本的に孤独です。一人でパソコンに向かい無言で仕事をこなし、同じ業界の人とやりとりをする機会は少ないです。しかし契約が浸透してくると、相談し合うことが増えました。ラモディエール氏も先輩翻訳者から色々教えてもらい、驚きながらも、著作者としての自分の権利に目覚めました。

 翻訳の職業化が進むにつれて出版社が翻訳をますます重視し、一般読者向けの文章作りを目指すべくルールを統一していきました。例えば、恋愛対象が「~さま」と呼ばれた時、「~ chéri = 大好きな~」と訳したりします。日本独特の呼び方の削除は、マンガがオタク向けのニッチなものではなく、幅広い読者層に愛読されるジャンルに変わってきた証です。「いまだに日本語の単語をそのまま残してほしいと訴えてくる読者はいますが、そのような人の多くは日本語をほとんど知りません。実のところ、フランス語で全て表現できます。ラーメンはnouilles(麺)にしても伝わりますし、「先輩」や「~君」などを訳さなくても言葉遣いで人間関係を表すこともできます。複雑な概念があったら、最終手段として説明のメモを加えますが、できるだけそのようなやり方は避けます」 違いとしては、フランス語版は元の日本語と比較すると若干書き言葉に近い点です。例えば、Ki-oonの翻訳では、否定形にneを必ず入れます(口語的な文では、neを省略します)。セリフは自然に流れるように工夫しつつ、正しい文法を用います。また、汚い言葉をあまり入れないようにします。特に少年マンガの場合、喧嘩の描写でも単語に気をつけます。フランス語には、おそらく日本語よりも汚い言い回しが多いですが、一番ひどい言い方はあえて採用しません。

 20年間で翻訳の総合的なレベルが上がり、内容に忠実でありながら読みやすく自然な文章に訳せるマンガ好きの翻訳者が多くなりました。ラモディエール氏はベテランとしてアドバイスを聞かれる度、「日本語を理解するのはもちろん重要ですが、フランス語に長けることが一番大事です。フランス語は豊かな言語なので、マスターすれば全てのニュアンスを伝えられます」と答えるそうです。

 日本語とフランス語はかけ離れた言語であり、フランスと日本は文化的にも非常に異なっています。それでも翻訳不可能なことはないとラモディエール氏は断言します。その考え方で視野を広めると、全世界の人間の間に壁がないことがわかります。マンガを通して私やラモディエール氏のように日本に興味を持った若者がフランスにこれだけ大勢いるのもその証拠です。

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キム・ブデン:Ki-oon東京オフィス代表 TWITTERアカウント@Kim_Ki_oon メール:mochikomi@ki-oon.com

◇初出=『ふらんす』2022年9月号

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著者略歴

  1. Kim Bedenne(キム・ブデン)

    編集者。講談社国際事業局、仏漫画出版社PIKAを経て2015年よりKi-oon在日オフィス代表

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