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「TOKYOジャズスポット案内」キャサリン・ワトレー

第3回 渋谷系

 80年代末から2000年頃まで、渋谷はサブカルチャーの街だった。バブルの余韻が残る90年代前半、若者たちは流行りのモノを求め、渋谷独自のモノカルチャーが現れた。若者たちは新しくオープンした古着屋で渋カジ(渋谷カジュアルの略)の服を探した。店頭からレコードが消えたタワレコ(TOWER RECORDS)でCDを漁り、パルコが運営するライブハウス CLUB QUATTRO でコンサートを聴いた。センター街にはギャル族やチーマー、ヒップホップ族などが集まった。ポストバブル期の渋谷は若者たちのカルチャーで盛り上りをみせた。そして90年代中頃、「シブヤ系」と呼ばれるポピュラー音楽の傾向が生まれた。

 私は小学生の頃、「シブヤ系」を経験した。私は1996年から2003年まで、渋谷駅からちょっと離れたマンションに家族と住んでいた。はじめは神南小学校に通っていた。東急ハンズを越え、ヒップホッパーの溜まり場 Manhattan Records の裏の坂を登って学校まで歩いた。インターナショナル・スクールに転校してからは、父と一緒に Bunkamura、道玄坂、109を通って渋谷駅まで歩き、電車に乗って通学した。ある朝、ガングロのギャル姉さんが酔っぱらって道端に寝ているのを見たこともあったし、ある日の下校の時間、道玄坂下の交差点が若者で溢れ、歩くのが難しいこともあった。「シブヤ系」のことはもちろん知らなかったが、今でもあの頃の光景が目に焼き付いている。

 90年代の渋谷はジャズとは無縁だと思う人も多いだろう。けれども渋谷で生まれた音楽の傾向は日本の第3次ジャズブームの根だと私は思う。第1次は戦前のSPの時代で、第2次が60年代と70年代のモダンジャズブームとするならば、90年代後半から2000年代が第3次だ。その当時、ボサノヴァ、ヒップホップ、ジャズ、60年代ポップスなどに影響を受け、渋谷で新たなポップスが誕生している。「シブヤ系」と呼ばれる音楽だ。そしてジャズを積極的に流す DJ たちが現れた。渋谷の DJ たちは Disk Union、RECOfan、Hi-Fi Record Store、Discland Jaro でジャズ、ボサノヴァ、ソウルなどの「新たな」レコードを探した。

 小学生の頃の私はもちろん「シブヤ系」の音楽やジャズのことなどまったく知らなかった。2013年以降しばらく日本を離れていた私は、アメリカ留学中に日本の独特な音楽シーンのことを知った。秋吉敏子のような日本人ミュージシャンのおかげで、終戦直後から日本のジャズはアメリカで認知されてきた。70年代に入るとフリージャズや電子音楽を演奏する日本人がアメリカでツアーをするようになり、日本人ジャズ・ミュージシャンの「自由さ」がアメリカでも知られるようになった。大阪発のノイズ音楽は Japanoise として知られ、80年代後半から90年代初頭にかけてアメリカで大人気となった。90年代中頃から、アメリカの Matador Records などのインディーズ・レーベルが「シブヤ系」音楽をリリースしている。

 私は日本の音楽をアメリカで知った。大学でラジオDJの仕事を始めた私はジャズ、特にフリージャズと即興、そして邦楽に夢中になった。毎年、夏休みになると東京に帰り、日本の音楽についてあれこれ調べ回り、箏のお稽古に通った。日本に帰るたび、私は渋谷と再会した。フリージャズ喫茶 Mary Jane(昨年閉店)に行ったり、日本でしか手に入らないようなレコードを渋谷のレコード店で探したりした。自分が演奏に使うマイクやケーブル(シールド)はイケベ楽器で買った。私にとって渋谷は音楽の街だった。

 卒業後は日本に戻り、東京のさまざまな音楽世界に触れている。渋谷の新しいジャズスポットと出会う日々を送っている。昨年、日本の第3次ジャズブームを支えた老舗クラブ The Room(1992年開店)を初めて訪ねた。The Room のオーナー沖野修也さんは複数のジャズグループに参加し、DJ をしながら The Room を経営する、なんでもできるジャズマンだ。The Room は「シブヤ系」と「ニュージャズ」の梯子になった。「ニュージャズ」は2000年代に現れ、ジャズ、ファンク、エレクトロニカ、フュージョンなどを取り入れた「新たなジャズ」だ。The Room は日本の70年代フュージョンジャズなどを流し、渋谷に集まった90年代の若者たちにジャズを広めた。

 家族と渋谷に引っ越してからもう23年が経ついま、渋谷という街が思いのほか奥深いことに気付かされている。でも、私が小さかった頃の渋谷はもう失われつつある。90年代の私の思い出が詰まっている場所や、当時の渋谷サブカルチャーの痕跡は薄れてきている。東京で育った人には当たり前のことなのかもしれないけれど。


私の顔がプリントされたTシャツ。母の友人がデザインしてくれた。私も「渋カジ」に一役買ったのだ。

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著者略歴

  1. キャサリン・ワトレー(Katherine Whatley)

    ライター、翻訳家。
    サンフランシスコ生まれ、東京育ち。コロンビア大学で東アジア言語文化と民族音楽学を専攻。在学中に日本のジャズと20世紀の音楽に関心を持つ。現在は東京に戻り、箏の稽古に通うかたわら、新聞・雑誌へ日本の音楽・文化について執筆している。
    https://www.kwhatley.net/

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