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『ことばを紡ぐための哲学:東大駒場・現代思想講義』特集

【座談会】「来たるべきことばのために」中島隆博×石井剛×梶谷真司×清水晶子×星野太(4/4)

『ことばを紡ぐための哲学:東大駒場・現代思想講義』(中島隆博・石井剛編著)
座談会「来たるべきことばのために」
中島隆博×石井剛×梶谷真司×清水晶子×星野太

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「前傾への脅迫」の時代に

星野 本書のなかでも書いたことですが、昨今「pro」という接頭辞がいたるところに蔓延しています。プログラム、プロジェクト、プロモーション、みなそうですね。鷲田清一さんはそれを端的に「前傾への脅迫」と呼んでいます。

中島 前のめりですか。

星野 哲学的概念としての「プロジェクト」と言えば、ハイデガー的な「投企」だと思うんですが、もはやそうした含みすら根こぎにされた、たんに「あらかじめ見通す」という意味での「pro」ですね。

中島 プログラムもそうですけど、それはあらかじめ書き込まれたものでしょ。そういったものを一方でうまく利用しなきゃいけないんだけど、他方でプログラムを超えなきゃいけない。わたしは、ハイデガーの投企っていうのはなんかうさんくさいなと実は思っているんですけど(笑)。どこかで、プロジェクトとかプログラムじゃない知のあり方があったほうが本当は面白い。いまの大学はたしかに前のめりになっていて、みずから倒れそうな感じがします。

梶谷 そもそもこの本は「動詞からはじめる」っていうのが最初にありました。それと手垢のついた「概念」ではなくて、もうちょっとそこから自由な、日常語からやるっていう。「弱い概念」ってたしか言っていました。そこから新しく学問をやろうみたいな意図がありました。

中島 概念のマッピングをやろうということですよね。そのときに、じゃあ、いったい概念ってなんなのかという、おおもとの関心に行き当たります。われわれが手にしている概念は、多くが名詞化された、強いものばかりじゃないですか。たとえば「超越」という概念について研究しますとか、「主体」についてやりますとかいった場合、最初から「強い概念」を強い仕方で扱おうという態度です。『知の技法』でも基本的にはそういう名詞的な概念が前提にあり、しかしそれをインターディシプリナリーな仕方でより豊かに論じていくという方向だったと思います。でも本当にそれだけでいいのだろうか、「強い概念」に対する批判を受けたあとに、もう一度概念なるものにわれわれはどう向かい合っていくのかが、問われているわけです。簡単に言ってしまうと、概念の「語り方」を変更しないと、もう通用しないんじゃないか。こんな風に思ったわけです。そのときに、名詞以外のものがいいなあと思いまして、わたし自身は最初、それこそ副詞とか前置詞を考えました(笑)。

石井 みなさんが挙げた動詞を見渡してみると、やっぱり大学のなかで学問をやってる人間が考えがちな動詞だったのかなっていうのがあって、当初はもっとドラスティックにやりたかったなというのが、ちょっと反省しているところです(笑)。

星野 でも、やはり動詞って面白いですよ。たとえば哲学に馴染みのない人に「超越」とか「主体」という概念について考えてもらっても何も出てこないと思いますが、「待つってどういうこと?」と聞けば、かならず何かが出てくる。実践的にも、動詞から考えるという試みは非常に面白いと思いました。そもそも、動詞って概念になりうるのかという問いは個人的にもずっとありました。ふつう概念というと名詞なわけですよね。副詞にしても前置詞にしても、もしかしたら概念と呼ぶことは可能かもしれないけど、いずれにしてもそれはふつうの意味での概念ではない。

中島 参考文献がないしね。

星野 そうなんですよ。わたしが担当した「待つ」というテーマであれば、ベルクソンのような哲学者の名前がすぐに出てくるわけですが、最終的には自前の道具で論じるしかなくなる。だから、いつもと比べて執筆は大変でした。

清水 わたしは「触れる」にしたんですけど、使っている文献が英語なこともあって、頭のなかではずっとtouch だったんですね。動詞でもあるけど名詞でもある。

梶谷 touch っていうのは英語の文脈のなかで、用語として使われている場合もあるんですか。

清水 概念じゃないかもしれないですけど、わりとフェミニズムでは中心で何度も出てくる話なので、あんまり……

中島 意外な感じはしない。

星野 touch はそれこそ触覚ですからね。美学をやっていても普通に出てきます。ただ、この「触れる」という動詞は、わたしはむしろ日本語として独特のニュアンスがあって好きなんです。「気が触れる」とか言うじゃないですか。

中島 かつて坂部恵先生が「ふるまい」で探求されていたようなことですね。そうした関与の仕方は、坂部先生以降あんまりないですよね。ですので、坂部先生に対するわたしなりのオマージュがあるものですから、そのようなことがあらためてできるといいなとも思っていました。

石井 『知の技法』から25年という地点で、大学の研究と教育のあり方をもう一度捉えなおそうという試みが本書です。星野さんが書いた「待つ」は、大学のあり方としてはきっと大事なことで、だけど、ただ待つだけじゃない。わたしはなんとなく自分なりの答えをもっていて、ひとつは評価のシステムを利用すること。だから、いまのエコノミーを存分に利用して、そこで、孤独な人たちが集まるようなシステムをつくりたい。それは、端的には言語が違う人たちなんですけど、みんなで集まるって言うときの「みんな」っていうのは、ぜんぜん違うバックグラウンドをもつ人たちであってほしいっていうのがある。それによって大きなアピールをするわけじゃないんだけど、そこである種、知的なため・・みたいなものができていくっていうのが、実は大学にとってのひとつのメリットっていうかアドバンテージだなっていう感じがするんですよね。だからそこでとくに言語的な多様性みたいなものを、評価システムにのりながら確保して、ゆっくり隠れるっていうのがいいんじゃないかなと思ってます。

中島 若い読者の方がもしこの本を手に取ってくださる機会があれば、いま大学を中心として知について考えている人たちがどのように苦闘しているかが少し伝わるかもしれない。それは、ただ苦しいというだけじゃなくて、それでも何らかのこうした場所をひらこうとしているわけです。そこに若い人たちには入ってきてもらいたいって思うんですね。そんなに言うほど怖くないから。

清水 そんなことないですよ。言うより怖いですよ。

中島 そうか。まあ、怖いものみたさというのもありますので(笑)、ぜひ飛び込んできていただければと思います。今日はありがとうございました。(了)

2018年11月11日、東京大学東洋文化研究所

◇初出=『ことばを紡ぐための哲学:東大駒場・現代思想講義』中島隆博・石井剛編著

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