【座談会】「来たるべきことばのために」中島隆博×石井剛×梶谷真司×清水晶子×星野太(1/4)
『ことばを紡ぐための哲学:東大駒場・現代思想講義』(中島隆博・石井剛編著)
座談会「来たるべきことばのために」
中島隆博×石井剛×梶谷真司×清水晶子×星野太
駒場は「現場」か?
中島 この本はもともと駒場で語られた講義録をもとにしています。駒場の知のある意味でのシンボルが1994年に東京大学出版会から刊行された小林康夫・船曳建夫編『知の技法』でした。先日、その小林康夫さんと話していたら、2010年代後半に新たな知のうねりがあったんじゃないか、とおっしゃっていて、この四半世紀の知のあり方の変化について考えさせられました。
石井 大学で培ってきた知のあり方に対する不信感が社会の各層で強まってきているという印象はあります。また東京大学の学内で見ても、もっと素朴に、現場感を取り戻そうという動きが、教員以上に学生にあります。
星野 よくわかります。
石井 たとえば駒場でも、学生をどこかに連れていく現場体験プログラムがたくさんあって、そこには結構な数の学生が集まって来ます。彼らは大学で学ぶことに飽き足りないものを感じているわけです。ただ、惜しいな、というか、残念だな、と思うのは、その体験の蓄積が特権化されていってしまう。「自分は実際のことを知ってるんだ、これこそが本当なんじゃないか」となっちゃう。そこで体験したことをもう一度普遍化させることが必要で、その作業を本来は大学という場が担うべきなんですが、大学は送りだすこと一辺倒です。学生も体験を積むことに熱心で、社会的には「ボランティアした」「インターンした」「海外を見た」ということでプラスに評価されていく。そのことに一体どういう意味があるのか、という問い直しをするチャンスがないんです。この問い直しがまさに人文学だと思うんです。
中島 体験を概念化して、普遍化していく。その技法というのは何でしょうか。
石井 もう一回ちゃんと本を読むっていうことなんじゃないか。全く背景が異なる人たちが集まって、同じ本を一緒に読む。
中島 それは以前にもやっていたわけですよね?
石井 本当にやっていたんですかね(笑)。
中島 大学の多くの授業では、集団で一冊の本を読んでましたよね。
石井 教員が一定の方向性をもって読んでたんじゃないですかね。あえて極端に言うと、教員はいなくてもいいと思うんです。大学は場所を提供できればいい。教室がそういう場所になれば。
星野 「現場」に出るという感覚に対しては、両義的な気持ちがありますね。学生の満足度という意味では、たしかに現場は魅力的なフィールドかもしれない。何かを「やっている」という感覚が明確にありますから。けれども、そこでしばしば隠蔽されてしまうのが、大学もまたひとつの現場であるという事実です。この当たり前の事実が軽んじられる空気のなかで、従来の学問知に現場の実践知を対置する、つまり「理論」よりも「実践」を重視するという雰囲気が醸成されているように思います。とくにわたしはいま地方都市にいるので、「地域連携」や「社会貢献」といったお題目のなかで、大学が実益主義に動員されるという風潮には敏感にならざるをえません。
清水 実践知と学問知の対立という図式には非常に抵抗があります。わたしの専門分野で言うと、それこそ女性であるとか、性的少数者であるとか、それ以外だと障害といった問題について、当事者の知だったり、実践知という言い方をされやすい。しかし、そんな囲い込みをしてもなんにもならないよねっていうのは、もうすでに80年代には通過してきている。だから、その点については知のうねりという感じは実はあまりないんです。80年代の状況からあまり進んでいない、っていう感覚のほうが強い。
『知の技法』を逆から読む
中島 『知の技法』が出たとき、多くの読者が「なにか新しいことが起きた」という感覚をもったと思うんですが、どうでしょうか。
清水 わたしは『知の技法』は、もちろん「ああそういうのがあるんだ」とは思ってたんですけど、ほとんど影響は受けていません。同じものを見ているんだけど、逆側から見ていたというか。
中島 逆側から見ていた?
清水 90 年代にわたしにとって非常にアクチュアルだったのは、80年代後半から90年代の英語圏のフェミニズムやポストコロニアリズムでした。制度から外れる可能性を説くこと自体の欺瞞性を踏まえたうえで、制度のなかで、しかもその制度が権力的であることを前提にして、なにをどう言うのかということを、フェミニズムやポストコロニアリズム、そして人種論は、やらざるを得なかった。そうした潮流が英語圏の人文系のメインストリームになっていたので、わたし自身はずっとそれを追いかけてきたっていう感じがあります。その点では、大きく知の地図が変わったという感じはしませんでした。
中島 根本的にはなにか新しいものがあるわけではない?
清水 わたしが見ていたなかでは、そうですね。
星野 少なくともある範囲においては、『知の技法』が領域横断的な(interdisciplinary)知の土壌をつくったとは言えるのではないでしょうか。1996年に駒場の表象文化論・文化人類学・比較文学比較文化の3 コースが超域文化科学専攻に統合されていますよね。これに象徴されるように、従来の専門領域に特化した=規律訓練型の(disciplinary)学問のあり方に対して、90年代には「インターディシプリナリー」と呼ばれる領域横断的な学知が日本の大学に急速に広がっていった。ただ、それから20年経ったいま、わたしがよく考えるのは、現代にどうやって「ディシプリン」を再インストールするかということです。昔のような専門知に閉じた学問のあり方に回帰するのでもなく、かつ、ただ領域横断的な現場の「つまみ食い」に終始するのでもなく、そこからあらためて、どのように学問の「普遍性」を確保していけるのか。
清水 ディシプリンの起動っていうのは一面では、それはなにかがあったほうが得だよねというか、ないときついよねとは思いつつ、同時に、ディシプリンをもう一度戻すというときの戻し方が非常に怖いなとも思うんですよね。
星野 もちろん、ひとつ間違えると反動的な思想になりかねないので、そこは気をつけなければいけないと思っています。
清水 駒場が面白いのはこういうところなんだなってわかった、身をもって感じたのは、90 年代の『知の技法』とはまったく違うかたちでやってきたと思っていたわたしが唯一、教員として専門でフェミニズムとかクィア理論とかをやっていいよ、と受け入れてもらえたのが、ここだった時なんですね。そして、インターディシプリナリーだからこそ、全く違うディシプリンのはずの同僚と、思いがけないところで接続できるし、話ができる。ディシプリンに戻る必要はあるんだけども、ディシプリンをひらこうとしたことのよさ、それによって可能になるものがあって、わたしは個人的にはそれは有り難かったんですよね。たぶんそういう試みがなければ、新しいかたちの、たとえば障害学でも、フェミニズムでも、それこそクィア・スタディーズでもそうなんですけど、既存のディシプリン、たとえば社会学のなかである特定の当事者について調べる、というかたちとは異なるアプローチがあるわけで、そこはやはり既存のディシプリンそのままではやりにくかっただろうと思います。